広島市中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2024年版」です。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
4月25日(木)11時ころでした。晴れでした。
アオギリたちは、やっと新葉が出てきていました。
被爆アオギリ前にもボランティアガイドが引き連れている外国人観光客が熱心にアオギリの説明を聞いていました。
若葉が出てきだしたアオギリたちでした。
(裕編集の)被爆アオギリの四季(2024年)
被爆アオギリの西隣に、3月1日から5月10日の工期で、G7サミット記念コーナー建屋の工事がおこなわれています。
「G7広島サミット記念コーナー(仮称)の建設工事」から
「G7広島サミット記念コーナー(仮称)の賃貸借業務」と工事名が変わったようです。
建設工事なら請負契約金がすぐわかることから、
出るお金は同じでも、
金額があからさまにわかることを避けようとした姑息な手段のように思えてしまいました。
〔先月も云いましたが、〕
平和記念資料館東館地下で催されていたのですから、わざわざお金を使って建物を建てることはないのではと思えてなりません。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。
4月25日(木)11時ころでした。晴れでした。
アオギリたちは、やっと新葉が出てきていました。
被爆アオギリ前にもボランティアガイドが引き連れている外国人観光客が熱心にアオギリの説明を聞いていました。
若葉が出てきだしたアオギリたちでした。
(裕編集の)被爆アオギリの四季(2024年)
被爆アオギリの西隣に、3月1日から5月10日の工期で、G7サミット記念コーナー建屋の工事がおこなわれています。
「G7広島サミット記念コーナー(仮称)の建設工事」から
「G7広島サミット記念コーナー(仮称)の賃貸借業務」と工事名が変わったようです。
建設工事なら請負契約金がすぐわかることから、
出るお金は同じでも、
金額があからさまにわかることを避けようとした姑息な手段のように思えてしまいました。
〔先月も云いましたが、〕
平和記念資料館東館地下で催されていたのですから、わざわざお金を使って建物を建てることはないのではと思えてなりません。
4月27日(安芸区のわが家付近)天候:雨模様それでも洗濯。
19.5℃、68%
焼け野が原になった大地で生き残ったアオギリ
広島に住む人達に取ってはより感慨深いモノがあると思います。
アオギリ達は季節が巡ってくると冬に蓄えた命を一斉に芽吹きに力を注ぎます。
年々歳々人同じからずという言葉を思い出しております。
被爆で左脚を失い絶望に陥ったところを、被爆アオギリを見て生きる希望を取りもどしたと云われていた(故)沼田鈴子さん。
長いこと被爆証言をされておられました。
昨年末気が付いたのですが、
真ん中の大きい方のアオギリ傾いてきており(傾きながらも必死に生長しているように思うのですが)、倒れなければいいな~と余計な心配をしています。