水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《師の影》第二十回

2009年05月15日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          
《師の影》第二十回

 間もなく、一馬が井戸から戻ってきた。両腕に下げた手桶を気持ちよさそうに土間へと置く。そして、一つは甕(かめ)の中へ水を注ぎ入れ、もう一つの桶は、柄杓(ひしゃく)で左馬介の洗い水として注いだ。急に手先へ感じる冷たさで、身体中の汗が一気に引くような心地よさを左馬介は感じた。
「…よく冷えてますねえ」
「ええ、…今はいいのです。しかし、冬場は、きついですよ。手先の感覚がなくなります」
「そうですか…」
「左馬介さんも、孰(いず)れ分かります」
 一馬の忠言そのものは、左馬介の心の蟠(わだかま)りにはならなかったが、これから続く、先の見えぬ修行の日々を思えば、心が重くなる左馬介であった。
 夏場は食材の足が早くなる、ということで、他の季節よりは少し塩味を濃い目に効かす。この話を一馬に付き従って聞きながら、左馬介は鋭い視線で惣菜に入れる塩加減などを覚えていった。汁物に入れる豆腐も夜迄は持たないから、夏場は茄子などで代用し、井戸へ鍋を吊るす、などという堀川道場独特の奇妙なことにも出食わした。


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