残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第二十六回
左馬介は、幻妙斎が告げた、遠山(えんざん)の目付という教えを想い出したのである。左馬介は、井上の姿を観望した。
「そうだ、そうそう…。腰が据わってきたぞ」
決して褒め言葉ではないのだろうが、それでも初めとは違い、叱る言動ではない。二人は対峙したまま、暫く時が流れていった。他の者達は、その間も二人ずつ組み合い、交互に相手へ打ち込んでいる。打ち込まれる側は、所謂(いわゆる)、いなしで応じる。打ち込む側も、決して1本取ろうという打ち込み方ではなく、自分の打ち込みの様を工夫している。
「よ~しっ、やめいっ! 今日は、これまでに致す。…蟹谷さんの代理で、儂(わし)も疲れた…」
井上が常の構えを解き、片方の手で、もう片方の竹刀を持つ腕を揉む。それを見て、左馬介も竹刀を左手へ納め、堤刀(さげとう)
の姿勢に戻った。他の者達は、井上の号令一過、稽古を止めると一礼し、ざわつきながら竹刀を掛けて場内を去った。左馬介だけが直立した姿勢で残っている。
「稽古始めにしては、上出来、上出来…」
井上は竹刀で肩を叩きながら、満足げな笑みを湛えてそう云うと、刀掛けへと竹刀を納め、出ていった。