残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第二十三回
「おいっ! 秋月。…今日は、特別だ。お前も握ってみろっ!」
思い掛けない井上の言葉が、左馬介に飛んだ。
「は、はいっ!!」
返事と同時に立ち、左馬介は思わず躓(つまず)いた。場内の全員が一斉に振り向き、爆笑の渦が起きた。山上が出奔したことで冷え切っていた門弟達の空気が、左馬介の予期せぬ失態で消え失せ、昨日までの活気が戻りつつある。
「ははは…、そんなに慌てずとも、よいぞ」
厳しい表情だった井上の顔も、すっかり弛(ゆる)んでいる。ただ一人、他の門弟達とは違い、一馬はすぐ真顔になった。左馬介が計算ずくではなく場内を和ましたことに、只者ではない異質の才を感じ始めていた。無論、この時点では、師範代の蟹谷、そして今、その蟹谷の代行をしている井上も、その才は全く気付いてはいなかった。左馬介は左側板に設けられた刀掛けの上段から、竹刀を背を伸ばして一本、手にすると、中央へと歩み出た。
「よしっ! 皆、稽古を始めぃ!」
井上の号令一過、各自が決め事のように二人一(ひと)組となり、打ち込み稽古を開始した。左馬介は一人、取り残された恰好である。
「おいっ! 秋月。構えてみぃ」