水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

春の風景 (第十話) 小さな幸せ

2009年05月06日 00時00分00秒 | #小説

        春の風景       水本爽涼

    (第十話) 小さな幸せ        

 今年も、あちこちで田植えが始まっている。まずは田の中に水が張られ、耕運機がコネクリ回して水田化し、秘密レシピの肥料等も播(ま)かれる。それが終わると、暫くは水稲苗の到着と植え付け時期を待つ(勿論、苗は苗で、苗作り作業がある)。昔は手作業で一株ずつ植えられたようだが、昨今は機械で瞬く間だ。
「賑やかな音がし出したな。もう、こんな時期になったか…。一年は早い」
 じいちゃんが毎朝の朝稽古を終え、木刀片手に洗い場の湧き水で身体を拭いている。
「お父さん、行ってきます!」
「おっ、恭一。今朝は偉く早いじゃないか。何かあったのか?! 飯、食ったか?!」
 要点をポンポンポンと押さえて、じいちゃんが後ろ姿で家を出る父さんへ投げた。
「はいっ! 会社の急用でして…!」
 息を切らし、遠ざかりながらの物言いだから、今一、父さんの早出の訳が聞き取れない。無論、傍らにいるじいちゃんも同じである。
「なんだ、あいつは…。正也、それにしても珍しいな、恭一の奴がこんな早く出るとは」
「そうだね…」
 僕も学校があるから、そう長くはじいちゃんの話に付き合っていられない。日課のポチの散歩を終え、リードを繋ぐと餌をやる。家に入ると、タマにも餌をやる。餌代はお年玉とお小遣等の収益で賄われている。歳入歳出の決算や監査がない、云わば勝手気儘(まま)なものだ。
 父さんは早く食べて出かけたので、今朝は三人の朝食となった。
「未知子さん、珍しいですな。恭一が、こんな時間から…」
「ええ、…よくは分からないんですけど、社内旅行の幹事の打ち合わせだとか…」
「えっ! 仕事じゃないんですか? …このご時世に、結構なことだ!」
 半分、呆(あき)れ顔でじいちゃんが云う。母さんの手前、こきおろす迄の悪態はつかない。
「はい。でも、あの人、会社での人望は厚く、評判は、いいようですよ」
「そりゃ、そうでしょう。旅行部長、歓送迎会の宴会部長と、偉いお方なんですから…」
 じいちゃんは愚痴の代わりに、ジク~~っと堪える嫌味を放出する。
母さんは苦笑いして話題を大きく変えた。
「田植えのようですね…」
「はい、今年も始まったようです」
 耕運機の音が、一段と賑やかさを増す。
「正也! 急がないと遅刻するでしょ!」
 僕に、とばっちりが飛んできたので、緊急避難を余儀なくされ、急いで台所を後にした。前を横切った時、
じいちゃんが僕を見てニタリと笑った顔が目に入った。某メーカーの洗剤Xで磨いたような頭の照りは今朝も健在で、光り輝いて眩(まばゆ)いばかりだ(これは少しオーバーぎみの表現だが…)。
 何気ない、春の朝の小さな幸せと、輝く頭…。そんな情景が僕の春を祝福している。 
                                                      第十話 了                                                                                                                      
                                            


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