靫蔓(うつぼかずら) 水本爽涼
第六十三回
「ほやな…、天丼でも、こさえてくれるか」
「あ~、ちょっと待ってや。お母(かあ)、呼ぶわ」
八田は、ノソリと立つと、奥の方へと消えた。
「あらあ~珍しいやないの、直さん」
ニコニコと福々しい顔を満面にして、嫁の照代さんが現れた。手には淹れた茶碗を盆に乗せて、しっかと握っている。旦那の方は注文された天丼の調理をもう始めていた。
「近所やけど、ここしばらく、お目にかかりまへんでしたなあ。繁さんには、ちょくちょく会(お)うてましたんやけど…」
「そうなんよ。母の具合が悪うて、ちょっと実家へ帰ってたもんやから…」
愛想笑いか性分の笑いなのか判別できない笑顔で、賑やかに照代さんは捲(まく)し立てた。テーブルへ置かれた茶を啜りながら、直助も愛想笑いで返す。他に客がいないもんだから、店の雰囲気は、すっかり和んだものになっている。
「なあ繁さん、ちょっと聞いてもらいたいことが、あんにゃけどな…」
直助は厨房で小忙しく動く八田へ声をかけた。