[自分の物]とは何なのか? を分析することにしよう。そんなことを分析する暇(ひま)があったら年末の大掃除でもしろっ! と怒られる方もあろうかと思う。そこはそれ、夕飯前の熱燗(あつかん)を一本、サービス! ^^ ということで、ご勘弁(かんべん)いただきたい。^^
さて、[自分の物]とはどういう物なのか? を分析すれば、奥深い内容が含まれていることが分かってくる。人が裸で生まれることを誰も否定はしないだろう。鎧(よろい)や甲(かぶと)姿で生まれる訳がないだろうし、着飾(きかざ)って宝石を身につけたり化粧をして生まれもしないのだ。^^ 生まれた以上、当然、いつかはあの世へ・・というその逆は必ず起こる。わしゃ死なんっ! と意固地(いこじ)に言われるお年寄りでも、やはりお亡(な)くなりになる訳だ。^^ 分析すれば、死ぬときに地位とか名誉、それにお金や土地etc.を持ってあの世へはいけないことに気づく。死ぬと同時に全部、没収(ぼっしゅう)されるのだから、なんにもならない。^^
とある公園にあるベンチで、一人の老人が新聞を読んでいたが、読み終えたあと、うっかり老眼鏡を置き忘れた。老人は知らずに立ち上がり、その場を去った。しばらくして、別の老人が現れ、立った老人と同じベンチへ何げなく座った。すると、上手(うま)い具合に読んでください! と言わんばかりの新聞と老眼鏡が置いてあるではないか。座った老人は辺(あた)りを見回したが、人の気配もなく、これはこれはっ! と、したり顔で老眼鏡をかけ、置き忘れられた新聞を読み始めた。
一方、立ち去った老人は、途中で老眼鏡と新聞を忘れたことに気づき、しまった! と思い、公園へと引き返した。公園に戻(もど)ると、自分の老眼鏡で新聞を読む老人がベンチにいるではないか。『あの…その老眼鏡と新聞、自分の物ですっ!』と老人は声が出そうになったが、口には出さず思うに留(とど)めた。よくよく考えれば、老眼鏡と新聞に名前は書いていないから、自分の物です! とは証明できない訳だ。
『まっ、いいかっ! …』
老人は別の老眼鏡を買うことにして、座っている老人に老眼鏡と新聞を進呈(しんてい)する奇特(きとく)な気分になったのである。老人はUターンすると、ふたたび帰路に着いた。老人は歩きながら思った。『あれは自分の物ではなく、人生を生きていく上で使わせていただいた物かも知れん…』と。
ここに登場したお話のように、[自分の物]を分析すれば、実に曖昧(あいまい)な概念(がいねん)であることが分かる。^^
完