物は使っているうちに少しずつ劣化(れっか)して痛んでいく。それを元に戻(もど)すため、補修(ほしゅう)を施(ほどこ)すことになる。人の場合もまた然(しか)りで、老化をしたり病気になるから補修、この場合は治療(ちりょう)することになる。例えば、セラミックなどの人工関節を入れる外科治療があるが、これなどは補修めいた治療だ。それでも身体や物は劣化していく。そしてやがて補修が追いつかなくなったとき、物や人は寿命を終える・・と、まあ話はこうなる。^^
小春日和(こはるびより)の昼さがり、二人の老人が長閑(のどか)なひと時(とき)を縁側(えんがわ)で楽しんでいる。
「ホッホッホッ…私など、今年で105ですぞ。至るところ補修だらけで…」
「上には上がいるもんですなぁ~! 103になる私の上などおらぬ・・と思っておりましたが…」
「ホッホッホッ…さよでしたか。お互い補修だらけですな」
「ファファファ…さようで。それでもお迎えが来ないところをみると、まだそれだけお役に立つ値打ちがあるんですかな?」
「まあ、そうでしょうなっ! ホッホッホッ…」
補修だらけの二人の老人の話は果(は)てしなく尽(つ)きなかった。
このように、補修だらけの身体で、それでも生き続けられる背景には、人には分からない何らかの訳があるようだ。^^
完