⑲今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、織田信長についてお伝えします。
――――――――――――――――――――――――
信長は永禄十一年(一五六八)生野銀山を収め、代官生熊左兵衛に精錬法を研究させた結果、灰吹き法を用い、莫大な金銀を得るようになっていた。
織田の軍勢は、軍装、兵器は新品をそろえ、金銀金具もまばゆいばかりであったといわれていた。軍資金が豊富でなければ、一挺(ちょう)の価格が米十五石といわれた鉄砲を、三千五百挺も装備することはできない。
当時、十万人の兵力を動員できるのは、信長だけであった。十万人の兵站(へいたん)は、食い分で米五百石である。
一カ月では一万五千石。四斗俵にして三万七千五百俵である。馬糧(ばりょう:馬の飼料)、陣営具、弾薬など、合戦に必要な品をととのえ、兵站能力に万全を期するためには、莫大な財力のうらづけが必要であった。
信長は一代で成りあがった僣上者(せんしょうもの:分を過ぎたぜいたくをする者)が、好んで衣食住にあらわす贅沢(ぜいたく)には、まったく興味を示さなかった。
彼が贅沢をあえてするときは、自らの権威と富力を誇示することによって、他者を慴伏(しゅうふく:恐れてひれ伏すこと)させようと考えているのである。
信長は安土城の本丸に日本の城郭建築に前例のない七層の天主をあげる年来の構想を、実現しようとしていた。
彼は「天下」と呼ぶ中央政権を確立するために、自分の全能カをかたむけようとつとめている。安土の天主は、「天下」の象徴となるのである。
質素な食事をとり、睡眠を惜しみ、常に諸方の反対勢力ヘの対策に心をくだき、懸命の努力をつづける信長を見る側近の男女は、専制君主への畏(おそ)れよりもつよく、敬愛の念を抱いていた。
(『下天は夢か 1~4』作家・津本陽より抜粋)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます