(「プラスを増やしてマイナスを減らす」が基本原則)コロナ禍のなかで、「ピンチをチャンスに変えていく」という意味では、「いかにして、自らの手金、お金を使っていくべきであるのか」を考えなくてはなりませんが、一方では、耐久力というものを維持する意味でも、*「ダム経営」ということが大切だと思います。この両者のバランスをどうすればいいのか。「お金の使い方」あるいは「投資判断の基準」はどうすべきなのでしょうか . . . 本文を読む
上杉謙信について、このシリーズは今日で終わりです。―――――――――――――――――――――――――「おぬしは、自分がなにゆえ儂(わし)のあとを継ぎ、上杉の当主となって、三軍を指図(さしず)する身になるのか、分っておるか」景勝(謙信の養子、後の米沢藩初代藩主)はしばらく考え、かぶり(頭)をふる。「何も分りませぬ」謙信はうなずく。「儂にもしかとは分らぬ。われらが現世でのおこないはすべて、神仏の指図で . . . 本文を読む
今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――鎌倉時代・室町時代から江戸時代にかけて栄え、上杉謙信や上杉鷹山(ようざん)らを輩出した上杉家には、代々受け継がれた家訓が存在する。その家訓こそが、群雄割拠の戦国時代から明治までの長い期間、上杉家を支えたのだ。中でもとりわけ有名なのが、上杉謙信が残した「上杉家家訓十六箇条」。この家訓に大きな意義があるの . . . 本文を読む
今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――「上杉全軍団の軍役量は、全体で槍三千四百九人。手明(てあき:従者または歩侍)六百人。鉄砲三百人。旗三百四十八人。馬上五百三十五人。合計五千百九十二人である。上杉軍団の特徴は、鉄砲が槍の十分の一と比重の低いことである。当時、北条氏の軍役表を見れば、槍五十九丁に対し鉄砲十三丁。毛利氏では槍と鉄砲の装備比率 . . . 本文を読む
今回のシリーズは、上杉謙信についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――戦争とは、結局、人の力と力との高度なあらわれである。古今、いつの時代であろうと、その行動の基点から帰速まで、人の力にあることに変りはない。政略、用兵、経済、器能の働きはもちろん、自然の山川原野を駆使し、月光烈日の光線を味方とし、暗夜暁闇(ぎょうあん)の利を工夫し、雲の去来、風の方角、寒暑湿乾の気温気象 . . . 本文を読む