⑦今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――これがかれの歴史に対する、「平和政権の長期維持」とも絡まって、独特な「組織と人事の管理運営方法」を生む。それが「分断支配」である。あるいは「船底の論理」といってもいい。船の底は、いくつかのパートに分かれている。いろいろな仕事があるからだ。しかし、座礁などのアクシデントが起こったときには、普段は互いに行 . . . 本文を読む
⑥今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――家康は小さな時から他人の家の飯を食ってきたから、人の心の動きをつぶさに見続けてきた。かれの人生観は、その底においてかなり冷ややかである。だからこそ、かれは慎重と果敢の絶妙なバランスを保つことができたのだ。そして、そのバランスを保つ柱や台になったのが、「忍耐心」である。しかしかれの忍耐心は単なる、「我慢 . . . 本文を読む
⑤今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――おそらく信玄は、あなたのおられる浜松城を攻めることなく、遠くを通過するはずだから、そのまま見過ごしてください。決して手を出さないように」と告げた。が、家康は考えるところあって、この信長のことばには従わないつもりでいた。それは、「たとえ信玄が浜松城の北の道を通るとしても、自分にとつては庭先を荒らされるよ . . . 本文を読む
④今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――また、近くの安倍川を通りかかったあるとき、子供たちが石合戟を始めるところに出くわした。石合戟というのは、川の両側に分かれて石をぶつけ合う遊びだ。供をした武士が、「若さまはどちらが勝つとお思いですか?」と聞いた。両岸に分かれた子供たちは、一方が多勢で、一方は人数が少ない。家康は、「あっちだ」と人数が少な . . . 本文を読む
③今回のシリーズは、徳川家康についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――ある意味では、「徳川家康の天下取り行動も、すべて禅僧に学んだ」といっていいだろう。そうなると、少年時代に学んで強い印象を受けた『貞観政要(じょうがんせいよう)』も『吾妻鏡(あづまかがみ)』も、自家薬籠中(じかやくろうちゅう:自分の薬箱の中にある薬のように、自分の思うままに使える物、または人)のものとな . . . 本文を読む