京都市の南西部に位置する長岡京市にお住まいの友人TFさんから、
「すーさん、天満宮さんの桜が満開だったよー」と画像付きメールを頂きました。
私も昔、この近くに住んでおりましたので、懐かしく早速ブログに拝借しました。
TFさん 投稿有難うございました。
以下は、長岡天満宮公式ホームページ(こちらをクリック)から拝借しました。
当長岡天満宮の御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を
楽しまれた縁深いところであります。
公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を
惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立であります。
爾来皇室の崇敬篤く度々の御寄進御造営をうけ、寛永15年(1638)には八条宮智仁親王によって
「八条が池」が築造されました。中堤両側に樹齢百数十年のきりしまつつじが多数植えられており、
その見事さは我が国随一と言われ、花の季節には多くの観光客で賑わいます。
きりしまつつじで有名ですが、春は桜の名所でもあります。
菅公は仁明天皇の御宇、承和12(845)乙丑6月25日すなわち丑年のご生誕であり、
貞観元年己卯 月2月乙丑、ご元服の当夜、白牛が角をくじいて死ぬ悪夢を見られ、
たいそう気にされて自ら牛を画き、 お酒を供えてご尊拝せられたということです。
寛平5年、癸丑の9月、公は北山に茸狩りの宴を催されましたが、いずこからともなく
小牛が宴席近く寄 り、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、
公はたいそうお喜びになって御館に連れて 帰り、お可愛がりになりました。
又、菅公が太宰府にご左遷の御時、道明寺から、こもやの里まで落ちゆかれる途中、
時平の命を受けた笠 原宿禰等が後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、松原の中から
荒れ狂った白牛が飛び出て、宿 禰の腹を突き刺しました。
よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。公は「都にて流罪 極る前夜、
不思議に 逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、
筑紫ま で伴わん」と涙を流 してお喜びになりました。これにより牛にお乗りになって、
御心安らかに旅立たれた のであります。
そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、延喜3年
( 903)2月25日の丑の日に薨去されました。 由来、全国の天満宮には牛の像が数多く
奉納されているのであります。
以上はHPから

捨てられない日めくり・・・。
大自然の脅威は人類が未だ出て来てない太古の昔からずーっと続いているのだ・・・

百人一首に残る貞観地震による津波
契(ちぎ)りきな かたみに袖を しぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは (後拾遺集)

震災直後のいわき市

震災1年後のいわき市

震災直後の気仙沼

震災1年後の気仙沼

震災直後の女川町

震災1年後の女川町

震災直後の南三陸町

震災1年後の南三陸町
いずれの画像も朝日ネットから拝借しました

花ニラ


黄色い花は、「オキザリス・セルヌア」と呼ぶそうです。

名前は「ジュリアン」と呼ぶそうです。
何れも花好きな友人SAさんから教えて頂きました。 有難うございました。