磯のすーさん あれこれ

江戸から16里ほど離れた海辺の田舎に棲む地味で怠惰なオイチャンのあれこれ。 中身は勝手気まま=自然体で~す。

乃木大将 最後の写真

2007-11-17 00:26:30 | コレクションや備忘画像

古い手文庫を整理していたら、珍しい(貴重?)写真が出て来ました。
明治天皇崩御後に奥様と共に殉死した乃木希典大将が最後に撮った写真だそうです。
大量にプリントされたもののひとつだと思われますが・・・
写真の説明によると、“大正元年9月13日 乃木大将最終ご撮影”と記されておりました。
乃木大将について調べました。
東京生まれ。陸軍軍人。父は長府藩士。第2次長州征討に参加。明治4年(1871)陸軍少佐に
任官。萩の乱、西南戦争に従軍。20年(1887)戦術研究のため川上操六とドイツ留学。
日清戦争では歩兵第1旅団長として従軍し、旅順を占領。29年(1896)第3代台湾総督に就任。
37年(1904)大将へ昇進。
日露戦争では第3軍司令官として旅順攻略を指揮するも、困難を極めた。戦後、軍事参議官
となるが、
40年(1907)から明治天皇の意を受けて学習院の院長を兼任。
明治天皇の大喪(国葬)の日、1912年(大正元年)9月13日赤坂の自邸で天皇の霊柩が
皇居を出る号砲を合図に、夫人(静子)と共に殉死されました・・・

辞世の歌
うつし世を 神さりましし
       大君の みあとしたひて 我はゆくなり
                            希典
出でまして 還ります日の
       なしときく 今日の御幸に 遭うぞかなしき
                            静子

コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 梅干入り肉じゃが | トップ | 晩秋の カマキリさん »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史 ()
2007-11-17 17:53:03
なんと、崇高な人生、感激です。
この様に生きたいです。
返信する
乃木神社 (southfellow)
2007-11-20 16:16:01
山口県下関の傍の町に長府藩主の住まいがあって、その町に乃木神社の本社がありました。昨年の秋に、お参りした記憶があります。東京赤坂の乃木神社との関係は良くわかりませんが・・・。でも将軍が東京(江戸)生まれとは知りませんでした。
返信する
崇高な殉死 (磯のすー)
2007-11-20 23:06:48
栗さま コメント有難うございました。
視点によって 色々論評されることもおありになるようですが、崇高な殉死であったことは間違いないと感じております。
返信する
当方も・・ (磯のすー)
2007-11-20 23:09:38
southfellowさん コメント有難うございました。
私も知りませんでしたが、写真が出て来たので調べたものです。
返信する
宛名面はどうなっているのでしょうか (一松書院)
2023-03-12 17:56:04
突然申し訳ありません。
画像検索からたどり着きました。
この乃木大将の最後の写真を撮ったのは秋尾新六で、読売新聞社が、つるや書房から絵葉書をセットで出したものが有名なのですが…。
ここに掲載されている写真はそれとは違う系統です。
乃木大将の最後の写真を撮ったと一部新聞に誤報された麻布新龍土町の山田写真館のことを調べているのですが、ひょっとして宛名面のほうに何か手がかりがないかと思ってこのコメントを書いています。
よろしくお願いします。
返信する
乃木大将 最後の写真 (磯のすー)
2023-03-12 21:52:27
一松書院さま

コメント有難うございました。
この絵葉書は大量に格納してある古書籍棚のどこかに有ると思いますが、整理がついておらず、見つけることが難しい現状です。
返信する
御礼 (一松書院)
2023-03-13 08:38:22
お返事いただきありがとうございました。
私もいつも見つけたいものが見つけられず四苦八苦しています…
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コレクションや備忘画像」カテゴリの最新記事