フィットネスクラブがこの世に誕生してから久しい。当初は、会員制高級クラブのようにメンバーも医者や弁護士、社長等々だったが、今では敷居も低くなって、誰でも入会できる。
プログラムも単にジムでのトレーニングからエアロビクス、格闘技系、パンプアップ系、ダンス系・・・と多様化してきた。
これほどまでにフィットネスクラブが現代社会に広がりを見せた背景には、現代社会のブラックホール的な部分があると思う。
そもそも、運動はなぜ必要か?なぜ、私たちは運動するのか?
痩せるため?
生きるために獲物を追い続けた時代には、当然、フィットネスクラブなんて無いけれど、そもそも、そんな発想すら無かったであろう。なぜなら誰もが生きていくために獲物を追い、それだけで十分な、いや、十分過ぎる運動だったから。
一方、夫の狩の成果を待ち続ける妻も、付近の植物の実などを採取し、飢えをしのいでいたであろうから、当然、「飽食」になることもなく、肥満はいなかったと想像できる。
利便性追求型の現代社会にドップリ浸かってしまうとその後の処置のために、フィットネスクラブの果たす使命は大きくなる。
そこで私は思うのだ。これだけいろいろなクラブが出現し、競合し合っていく中で最終的に生き残るのは、どのようなクラブなのか?と。
それは、現代人のメンタルまでフォローできる、そんな体制の整ったクラブではなかろうか?と。
カラダは健康、でも、ココロは不健康・・・そういう人が増えてきているような気がする。そして、その中の多くの人たちは、それでも自分は「健康」だと思っている。
そんな人たちのために心と体の両方からサポートできる組織、人が求められている・・・そんな気がしてならない。
プログラムも単にジムでのトレーニングからエアロビクス、格闘技系、パンプアップ系、ダンス系・・・と多様化してきた。
これほどまでにフィットネスクラブが現代社会に広がりを見せた背景には、現代社会のブラックホール的な部分があると思う。
そもそも、運動はなぜ必要か?なぜ、私たちは運動するのか?
痩せるため?
生きるために獲物を追い続けた時代には、当然、フィットネスクラブなんて無いけれど、そもそも、そんな発想すら無かったであろう。なぜなら誰もが生きていくために獲物を追い、それだけで十分な、いや、十分過ぎる運動だったから。
一方、夫の狩の成果を待ち続ける妻も、付近の植物の実などを採取し、飢えをしのいでいたであろうから、当然、「飽食」になることもなく、肥満はいなかったと想像できる。
利便性追求型の現代社会にドップリ浸かってしまうとその後の処置のために、フィットネスクラブの果たす使命は大きくなる。
そこで私は思うのだ。これだけいろいろなクラブが出現し、競合し合っていく中で最終的に生き残るのは、どのようなクラブなのか?と。
それは、現代人のメンタルまでフォローできる、そんな体制の整ったクラブではなかろうか?と。
カラダは健康、でも、ココロは不健康・・・そういう人が増えてきているような気がする。そして、その中の多くの人たちは、それでも自分は「健康」だと思っている。
そんな人たちのために心と体の両方からサポートできる組織、人が求められている・・・そんな気がしてならない。