【旧街道探索...のハズが?】
いつもより多めのご飯と水を与えて...
お休み。行ってくるね👍
午前7時前に家を出て...
去川の関に着いたのは午前10時半頃
ん〜、コレが関所跡かぁ〜
薩摩街道去川の関は、現在の国道10号線の脇に...ひっそりと申し訳なさそうにたたずんでいた。
つまりは、現在の国道は旧街道を「ぶった切る」カタチで造られている。
コレは全国的に見ても、そう。
反対に旧街道を探そうと思ったら、国道を斜めに見ると分かる。
今回の旅の目的の一つは、先月たまたま見つけた旧薩摩街道の一部のルート(岩屋が野〜去川約10キロ)を互いにトンネルを掘るようにして両方向から攻めて行こう👍というモノ。
大銀杏のその先にはナニがあるのかな?
ドキドキですね😁
最初だけMさんと一緒に歩いて...
すぐに散歩中のおじさんに会ったので聞いてみると...
「この先は行き止まりじゃなかったかな?」
...確かに。行き止まり...でした😂
しかし、笹の下には確かに道がある。
ある意味、笹が生い茂っているコトで、道が守られている?
この笹を掻き分けて進むには、半日じゃ足りない😅
あえなく断念?して、岩屋が野の方へ
ココは、国道10号線の入口から、ちゃんと「薩摩街道」の案内板が出ていた。
さらには神社の横にも案内板が...
なんだか期待出来そう?
試しにクルマで回ってみる。
が、田んぼの中を一巡すると再び神社に戻ってしまった😅
どうやら、右手の細い道がそのまま国見山の登山道のようにして続いていて←果たして続いているのかは不明だが...それがそのまま旧薩摩街道になっているらしい。
薩摩街道、とは言え、ココはその枝道的な存在で、くっきりハッキリ残ってはいない。
いずれにせよ、今回の旅では時間が足りなさ過ぎる。う〜む、残念...
【何の為に残すのか?】
古びた佇まいのうどん屋で、濃厚な肉汁の肉うどんを食べたあと、高城、山田辺りを回る。
神社の手前で見事な蓮を見かけた。
人形浄瑠璃資料館...
九州一帯は神楽が盛んだけど人形浄瑠璃というのは珍しい。
実は、もともとこの地にあったワケではなく、京都から来たサムライによって伝えられたモノ。
資料館の中には、昔から伝わる人形や源平の合戦で破れた平家の話のビデオが流されていた。
語り部というか案内役の女性は、とても丁寧に親切に説明してくれた。
現在も、ココで年に4回、人形浄瑠璃が開催されているという。
どこでもありがちだが、保存会の人は30代の一人を除き、全員が70歳以上...
というコトで、近くの麓(ふもと)小学校でサークルを作って、生徒たちが将来の後継者となるよう育てているのだそうで...
Mさんいわく。
「何の為に残すのか?そこを明確にしないと...」
先程の街道にしても同じ、ダ。
冗談半分、半分本気でランナー仲間で全国街道保存会を立ち上げよう!
ナンテひとり言?を言ってみたけど...
地元の行政(地域振興課?観光課?教育委員会?)に働きかけるにも、「何の為に残すのか?」ソコを明確にしないと説得力に欠ける。
【存在意義と再構築と...】
資料館で見かけた地図に「島津寒天工場跡地」というのを見つけた。
前回の旅で訪れた「観音瀬」...
そこは、島津藩が寒天を造って密輸するのに使っていた?とされる溝の跡が残っていた。
果たして島津藩は密輸をしていたのか?
...という裏付けをこの人形浄瑠璃資料館という所から得るコトが出来た。
さっそく、その寒天工場跡地へ行ってみるコトに。
山へ向かう道を走る←クルマで😁コト5分...
あった!
そして、そこにはハッキリと、財政に困っていた島津藩は寒天を造って中国やロシアに密輸していた、とハッキリ書かれていた👍
まるで窯元のような...
ココで天草(てんぐさ)を煮詰めていたのだろう。
前後するけど、通りがかりにあじさい公園というのがあったので立ち寄ってみた。
ピークは過ぎたけど、あじさいがキレイに咲いていた。
そして、遠くに霧島連山...
前回は天候が悪く、見るコトは叶わなかったけど、今回は雲の間に間にようやく見るコトが出来た👍
地元のこ洒落た?居酒屋で...
旧街道にしろ、人形浄瑠璃にしろ...
何の為に残すのか?という問は重要ダ。
何の為に?
は、すなわちソレそのものの存在意義👍
実は伝統文化に限らず、何でもそう。
例えば、今回のコロナ禍で多くの人が経済的な打撃を受けて、中には仕事そのものがたち行かなくなってしまった人も居る。
今までの仕事を捨てるか?続けるか?
続けるのなら、どーやって続けるか?
の前の質問として...
何の為にその仕事をするのか?
という問いかけが大切だ。
何の為に?
は、ソレそのものの「存在意義」
コロナを機に、今一度、「何の為にその仕事をするのか?」
という存在意義を自らに問い、存在意義に基づいて自らを「再構築」していきたい。