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【美術】 絵画…三岸節子、この「花」には命の輝きを感じます!

2018-05-21 22:28:38 | 📲 インターネット、サイバー犯罪、SNS、量子パソコン、アプリ・プログラム

好きな女流画家の一人です。花を画題に多くの作品を残しています。
特にこの赤い「花」を見た時は、その花に込められた生命を感じて
ある種のショックを受けました。

 ① 三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は、女流洋画家で新制作協会会員。

 節子は愛知県中島郡小信中島村(現・一宮市小信中島)の尾張物工場を営む裕福な家に生まれた。旧姓は吉田。母・菊は鵜飼氏で、安政の大獄で死罪となった水戸藩士・鵜飼吉左衛門(幼名は菊三郎)の一族であった。しかし、この家は不況のあおりで倒産した。節子も、この大きなショックからこの頃興味を抱いていた絵の道へと向かっていく。当時の画壇における女性の地位向上に努め、生涯にてたくましい精神力で生命を賛歌する作品を描き続けた。

 岡田三郎助に師事し、1924年に洋画家の三岸好太郎と結婚するも1934年に死別する。1946年、女流画家協会を創立。1968年からは南フランスに居を移して、作品の制作を行った。1989年に帰国し神奈川県大磯町の自宅兼アトリエにて制作を続けた。作品に『くちなし』『飛ぶ鳥』等がある。

 
 ② 花へのこだわり
 節子の作品の中には“花”という名前の作品がいくつも残されている。節子にとって花とは生命力を感じさせるもの。花を愛し、生涯に亘り描き続けた。花の作品からは節子の人生がうかがえるほど作品が変化している。

 1950年代までは花瓶に挿した花を画面全体に描いている。このころは日本にいるため室内画が多い。1970年代アトリエころからは(フランス)の庭にある花を描いている。このころは日本から海外に舞台を移したことにより、風景画を描くようになった。



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