① ""阪神・淡路大震災から25年 被災地で犠牲者を追悼””
2020年1月17日 19時21分 阪神・淡路大震災
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で25年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では、夜になっても犠牲者を追悼する行事が続いています。
神戸市中央区の公園「東遊園地」では、およそ5000本の竹の灯籠に明かりがともされ、地震が起きた午前5時46分に遺族らが黙とうして犠牲者に祈りをささげました。
震災後に生まれた若い世代も訪れ、神戸市の高校2年の女子生徒は「これからも震災を体験した人に話を聞いて、伝えていきたい」と話していました。
「東遊園地」での追悼のつどいは夜になっても続いていて、神戸市によりますと、午後5時現在で、去年より5000人多い、およそ3万8000人が訪れました。
17日は各地で防災訓練や災害について学ぶ教室なども行われ、震災の記憶や教訓を次の世代につないでいく1日となっています。
追悼式典 秋篠宮ご夫妻のほか、およそ400人が参列
神戸市では、秋篠宮ご夫妻も参列されて、兵庫県などが主催する阪神・淡路大震災の追悼式典が開かれました。
阪神・淡路大震災の発生から25年となった17日、神戸市中央区の兵庫県公館で開かれた追悼式典には、秋篠宮ご夫妻のほか、遺族や政府の関係者など、およそ400人が参列しました。
⏰ 正午に全員で黙とうをしたあと、秋篠宮さまは「震災によって亡くなった人々のみ霊に深く哀悼の誠をささげます。震災の経験と教訓を踏まえ、人々が助け合い、安全で暮らしていける地域づくりが進められるとともに、その知見が国の内外に広まり、世代を越えて継承されていくことを願っております」と追悼のおことばを述べられました。
👤 また、兵庫県の井戸敏三知事は「震災を乗り越えてきた力で、未来に夢や希望が広がるよう全力で取り組んでいきます」と決意を述べました。
👧 遺族を代表して、妹を亡くした芦屋市の松本幸子さん(65)は「東日本大震災のあと、福島のボランティアに加わり、被災した人の話を聞いたことがきっかけで、震災の経験を伝える活動を続けています」と述べました。
🌹 このあと、参列者たちは献花台に花を手向けて、亡くなった人たちをしのんでいました。
芦屋市の小学校でも追悼
阪神・淡路大震災で8人の児童が亡くなった兵庫県芦屋市の小学校では、児童や遺族らが慰霊碑に黙とうをささげました。
25年前の震災で、芦屋市では、精道小学校の校区内にある建物のおよそ7割が全半壊し、当時、小学校に通っていた児童8人と保護者6人が亡くなりました。
毎年1月17日に追悼式が開かれていて、17日は全校児童およそ600人と、亡くなった児童の遺族などが参列し、校庭にある慰霊碑の前で黙とうをささげました。
👤 続いて遺族を代表して、いまは東京に住む会社員の米津勝之さんが、娘の英さんとともに追悼のことばを述べました。
米津さんは、小学1年生だった長男の漢之さん(当時7)と長女の深理さん(当時5)を震災で亡くしました。
米津さんは、被災した経験を語る活動をしていて「震災を経験していない子どもたちに思いが伝わったと感じることがあり、年齢や時間を越えて思いは伝わると知った。この小学校で震災について学んだ経験を今後に生かしてほしい」と述べました。
続いて、代表の6年生の男子児童が「追悼式や震災学習が続いていることの意味を一人一人が考えていきたい」と述べました。
👪 このあと、児童たちは折り紙で作った手作りの花を献花台に供え、静かに手を合わせていました。
教訓語り継ぐバケツリレー
阪神・淡路大震災で住民たちがバケツリレーで火を消した経験を語り継ごうと、神戸市の小学校で消火訓練が行われました。
25年前の震災で火災が起きた神戸市東灘区の御影小学校の近くでは、住民たちがバケツリレーをして川などから水を運んで火を消し止めました。
この経験を語り継ごうと、毎年、消火訓練が行われていて、ことしは3年生と4年生の合わせて220人がグラウンドに列を作り、声を掛け合いながら水が入ったバケツを隣の人に手渡していきました。
4年生の女の子は「思ったよりバケツが軽かったので、うまくできました。火災が目の前で起きても慌てることなく対応できるようにしたいです」と話していました。
👤➡👪 地元の自治会の日野昌弘会長は、「震災でこの地域にも大きな被害があったことを子どもにも知ってもらい、災害に備えるようにしてほしい。震災の記憶や教訓を風化させないためにも、今後も訓練を続けたい」と話していました。
長田区の商店街で黙とう
阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の商店街では、店の人たちや買い物客などが正午に黙とうし犠牲者を悼みました。
神戸市長田区の「大正筋商店街」は、地震の直後に大規模な火災が起きて、98あった店舗のほとんどが焼け、2人が亡くなりました。
17日は正午に店の人たちや買い物客などが黙とうし、犠牲になった人たちを追悼しました。
商店街は去年ようやく、ほぼ完了した行政主導による再開発地区の中にあり、建物や店舗は再建されたものの街のにぎわいが戻らないのが課題で、こうした経験や教訓は交流を続ける東日本大震災の被災地に伝えられています。
👤 訪れた神戸市須磨区の63歳の男性は「黙とうの瞬間は、震災当時の様子が頭に浮かんできました。25年の間で、この商店街は、ここまで復興したんだなと感動しました」と話していました。
👤 大正筋商店街の伊東正和副理事長は「25年は節目ともいえるが、あくまでも通過点で、あすからも1日1日を大切に積み重ねていきたいです」と話していました。
自民 二階幹事長「国土強じん化の努力 絶え間なく続ける」
👤 自民党の二階幹事長は、記者会見で「多くの教訓は、こんにちの防災・減災計画に反映されているが、自然災害で国民の命を失わないようにしようという国土強じん化の努力は、これからも絶え間なく続けていかなくてはならない」と述べました。
大相撲 照強「被害受けた人のために成長目指す」
大相撲で平幕の照強は、地震が起きた25年前の1月17日に兵庫県の淡路島で生まれました。
ことしの誕生日は初めて幕内の土俵に臨みましたが敗れ、「自分の相撲をこういう場で取れないのが、まだ力不足かな。また稽古して、来年も幕内で迎えられたら。こういう日にもっと気持ちに余裕を持って、相撲を取れるようにしたい。
25年というのは大きな節目だ。記憶が薄れていくというのもあるが、その日、被害を受けた人たちの記憶には鮮明に残っている。そういう人たちのために、30年を目指して番付を上げ、1年、1年、しっかり自分の成長を目指していきたい」と話していました。