(鳴門海峡の潮流を調査)
(鳴門うず潮キャンペーン)
(直径は最大30M?!)
① ""鳴門海峡の潮流速度を調査 渦潮の世界遺産登録目指し""
神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2018/11/11 10:30
鳴門海峡で10日、潮流の速度調査があった。「鳴門の渦潮」の世界遺産登録に向けた調査の一環で、秋の大潮のタイミングに合わせて淡路県民局(兵庫県洲本市)が実施。鳴門海峡で渦潮ができるメカニズムに関わるデータを本年度中にそろえ、来年度以降、世界遺産登録に向けた資料作成に取りかかる。(西井由比子)
渦潮は潮の干満が引き起こす現象。鳴門海峡では、瀬戸内海側と太平洋側の水位差、海底の複雑な地形などさまざまな要因が絡み合い、大きく流れの速い渦が発生する。大潮の際の渦の直径は最大30メートル、流速は時速20キロに達するといわれ、渦の大きさは世界でも最大規模とされる。
この日は、超音波測定器をへりに取り付けた小型船が、1時間にわたって海峡を航行。潮流の中心部と周辺部を行き来し、データを収集した。中心部と周辺部で生じる速度差は、渦をつくる要因の一つ。あいにく調査時間中に大きな渦は確認されなかったが、小さな渦は次々と発生し、うねる波が小型船を左右に揺らしていた。
収集したデータは今後、調査会社が分析。県民局は並行して海底の地形、地質などの調査を進め、昨年度から進めている鳴門の渦潮の形態、発生メカニズムに関わるデータをまとめる。
来年度は海外の渦潮調査に乗り出す計画。
🌸 この渦潮の記事を読んでいたら高校時代に読んだエドガー・アラン・ポーの
短編小説、「メエルシュトレエムに呑まれて」を思い出しました。
🌸 wikipedia、「メエルシュトレエムに呑まれて」
(メエルシュトレエムにのまれて、A Descent into the Maelström)は、1841年に発表されたエドガー・アラン・ポーの短編小説。巨大な渦巻「メエルシュトレエム」に呑み込まれた漁師の脱出譚である。
日本では、翻訳者・書籍によって『大渦に呑まれて』、『大渦の底へ』、『メールシュトレームに呑まれて』その他幾つかの題名が用いられている。
※ ブラックホールのイメージ!?
🌸 あらすじ[編集]
語り手は「年老いた」漁師に先導されて、ノルウェー海岸の近くにあるロフォーデン州の山ヘルゲッセンの頂上に着く。そこは断崖絶壁になっており、眺望が開けて海と島々の様子が見渡せる。海は荒れ狂っており、一旦静まったかと思うと海流が変化し、突然巨大な渦巻きが現れた。どんな巨船も逃れられないであろう猛烈な大渦。これが「メエルシュトレエム」であった。漁師は、自分は老人のように見えるが本当は若く、ある恐ろしい出来事が自分をほんの1日足らずでこのような姿に変えてしまったと明かし、語り手に大渦を目の当たりにさせながら、3年前に自身に起こった出来事を語り始める。
彼は二人の兄弟とともに漁船を出し、渦の起こる近くで漁をしていた。他の漁師たちは大渦巻きを恐れて近寄らないが、そこはいつでもたくさんの水揚げがあった。普段はちゃんと時間を見ながら、潮が緩んで大渦が発生していない時に引き上げるのだが、しかしその日は運悪く、長い海上生活の経験でも予測できなかった嵐に遭遇してしまう。弟はマストごと海の中に吹き飛ばされて消え、彼と兄が乗った船は暴風によって急速に渦の方へ押しやられてしまう。時間を計っておいた漁師は、じきにメエルシュトレエムの活動が終わる頃になるに違いない、と希望を抱いていたのだが、それも空しかった。彼の時計は止まっており、もうすぐ終わるどころか、メエルシュトレエムが荒れ狂っている真っ最中であったのだ。
船は大渦に捉えられ、回転運動をしながら次第に渦の中心に近づいていき、漁師は観念して渦の様子を見守る。渦の漏斗には船の破片など様々なものが飲み込まれて行っている。その様子を観察しているうちに、彼はやがて、体積の大きいもの、球状のものは早く渦の中心に落下して行くのに対して、円柱状のものは飲み込まれるのに時間がかかっていることに気付く[1]。兄にそれを伝えて共に脱出しようとするが、恐怖で錯乱した兄は言う事を聞かなかった。彼は覚悟を決め、一か八かで円筒状の樽に自分の体を縛り付けて海に飛び込んでいく。船がそのあとすぐに渦の中心に飲み込まれてしまったのに対し、円筒状の樽は飲み込まれずに留まり、渦が消滅するまで持ちこたえることができた。「恐ろしさに髪は真っ白になり、まるで老人のように変わってしまって、助けてくれた漁師たちは誰も私だとわからなかった。あなた(語り手)もロフォーデンの漁師仲間と同じで、こんな事はとても信じられないでしょう」と最後に漁師は締めくくる。
作品内にはサルトスラウメンのメエルシュトレエムについて書いたノルウェーの歴史家ヨナス・ラムスへの言及がある[2]。また冒頭のエピグラムにジョセフ・グランヴィルのエッセイ『Against Confidence in Philosophy and Matters of Speculation』(1676年)からの引用が取られているが、ポーはかなり言い回しを変えている[3][4]。