こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

東北・震災瓦礫の受け入れについて・・・その後

2011-11-01 07:37:56 | 東北被災地支援・がれき処理問題
昨日、港湾室長を訪ねた。

HPに掲載された文章について「なぜ、こんな中途半端な書き方を?」と尋ねた。

(室長)「今のところは、こういうことで・・・」
(私)「議会答弁では、管理型には受け入れる余地なく、安定型には到底受け入れられないと言ってますよね」
(室長)「個人的に聞きにきた人には、そういうことも説明します。」
(私)「なぜ、それをHPに書かないんですか」
(室長)「管理型、安定型・・・と言っても難しい」
(私)「簡潔に説明すればいいんじゃないですか?」
・・・・

こんな押し問答でした。

私のこのブログも「震災がれき」等の言葉で検索していただいている件数が、昨日はとても多かった。やはり、市民の皆さんの心配、関心事なのだと思う。

議会で答弁した総合政策部長の見解を尋ねようと思ったが、お出かけするところだったので、また後日。

東北の惨状を見てきたものとして、あの膨大な量の瓦礫がいったいいつ、片付くのか?
それを思うと、本当に胸が痛む。
「ここには受け入れないで」と、私たちは言う。
その「受け入れて欲しくない」ものの、傍らにも8ヶ月間の人々の暮らしがあった。

しかし、というよりも「だからこそ」、危険、不安を拡散してはならない。
コメント (7)
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東日本大震災の瓦礫の受け入れは?

2011-10-27 23:18:11 | 東北被災地支援・がれき処理問題
熱出して寝込んでいる間に自宅の留守番電話にメッセージ。

「東北の震災の瓦礫を泉大津のフェニックスに受け入れるっていう情報をインターネットでみたんですけど、何か情報があれば教えてください」

町名・お名前(姓のみ)名のっていただいていたので、心当たりに℡をしたのですが、同姓の人違いでした。

「ネットで・・・」ということでしたので、このブログを読んでいただいているでしょうか?

お電話いただいたときは、一番声が出ないときだったのですぐにお電話できずにごめんなさい。その上、「人違い」でお返事遅くなっています。明日また、別の心当たりにお電話してみます。

ところで、「瓦礫」の件、これまでに他の方々からも質問がありました。

9月議会の一般質問で田中一吉議員が、この件に関連して質問されています。
答弁の趣旨は「フェニックス泉大津基地の管理型区域(注①)への埋め立て処分は終了している。安定型区域(注②)への埋め立て処分は、海への浸水が考えられるので、到底受け入れられない」・・・つまり、【泉大津沖のフェニックス埋立地への震災瓦礫の受け入れはない】と言う答弁でした。
(注① 進出水によって公共水域等を汚染する可能性のある廃棄物を処分する区画)
(注② 性質が安定しており、生活環境上の支障を及ぼす恐れが少ない廃棄物を埋め立て処分する区画)
 
詳細を知りたい方へ。会議録ができるのは数ヵ月後ですが、市議会のHPから、録画で視聴できます。コチラへ
これまで質問いただいた全ての方に「市の見解はこうです」と上記の答弁を引用してお答えしてきました。

昨日、市役所の生活環境課で別件で話しをしていた時に、課長さん曰く「市民の方から問い合わせが多いので、HPに載せるように港湾室長にいいました。」と。

ところが、HPに掲載された文章を読んで、ちょっとがっかりです。
市のHPトップページ「新着情報」にありますが、短い文章なので以下、転載します。

東日本大震災の瓦礫処理について、大阪湾フェニックスでの受け入れの件は、新聞等の報道で承知しております。しかし、現在のところ大阪府等からそのことについて連絡もなく、今後正式に協議などがあればその時点で判断したいと考えています。ご理解のほどお願いします。   
【お問い合わせ先 港湾振興室】


実は、昨日も「なぜ、本会議の答弁のように、わかりやすくはっきり書かないんですか?」と聞きました。
多くの市民の皆さんが疑問に思い、不安に思っていることに、HPで答えるのはいいけれど、上の記事を読んで「ご理解のほど」といわれても???

「わかりにくい」だけでなく、明らかに議会答弁とは違います。
HPの記事でわかるのは「大阪府から連絡がない」ということだけです。
市民が知りたいのは、そんなことではないのに。
市の「見解」として議会では答弁しているのに。


きょうは、田中議員にも、たまたまお会いして「ちょっと変ですよね」という話をしました。

また明日、時間があれば港湾振興室長と話をしようと思います。

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支援物資、岩手に届きました

2011-10-18 22:27:36 | 東北被災地支援・がれき処理問題
日本共産党阪南地区委員会が、赤旗読者に呼びかけた「冬を迎える東北被災地に支援物資を」。
たくさんのご協力をいただきました。
赤旗読者だけではなく、知り合いの方から聞いて物資を提供してくださった方もたくさんありました。

当初「2トントラックで運びます」とビラに書いてありました。

みなさんからお届けいただいた衣類や毛布を、私の車に積んで岸和田の事務所まで何往復もしました。
行く度に、事務所の前に積み上げたダンボールの山は高くなり、2トントラックではなく、4tトラック2台連ねて、東北へ向かったとのこと。

昨日の朝には無事到着し、きょうは岩手県大船渡市で青空市を開催。被災者のみなさんの元へ届いたそうです。1階が浸水、布団も衣類も流されたが「全壊」でないので、支援の手も届かず保障もない。そんな方々に、喜んでいただけたそうです。

森下議員のブログでご覧ください。
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寒さに向かう東北へ、支援物資

2011-10-12 08:36:07 | 東北被災地支援・がれき処理問題
日本共産党阪南地区委員会が、赤旗新聞読者への折込ビラで「東北へ支援物資を」と協力を呼びかけました。

呼びかけに応えて、私のところにもたくさんの方から協力の申し出がありました。
読者の方からも、その知り合いの方からも、その方が声をかけてくださった方からも・・・

こんなふうに、心がつながる、輪がひろがるのは嬉しいことですね

寒さに向かう東北へ。布団、毛布、冬物衣類、靴、食器、鍋、タオル、文房具、梅干も。
車にいっぱい、パンパンに積み込んで、岸和田の事務所まで3回運びました。
昨日の夜、岸和田の事務所前は、高石から岬町までの広い地域から届いた物資の山。壮観でした

地区委員会のビラによると「2トントラックで運びます」と書いてありましたが、とてもとても、2トントラックに積める量ではありません。
でも、みなさんから寄せていただいた、あったかい気持ちのこもった品々、ひとつも無駄にすることなく、東北の地へ届くことでしょう。(どうやっって・・・と内心、心配しています・・・)

支援物資と一緒に、泉大津議員団から森下議員が2回目の、東北ボランティアに参加します。
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そこに生きる人たち

2011-08-13 22:10:07 | 東北被災地支援・がれき処理問題

青空市は、全国から寄せられた支援物資を被災者の皆さんに無償で提供する広場。
毎日のように来る人もあるそうです。「ここに来れば、人に会えるから・・・」と。
「着るものは全部ここでもらった。助かったわ~」と言う若い女性は「仕事に行く途中で津波にあった。自分の家も近所も、みんな流された。仕事場は駐車場まで水がきたけど、なんとか残った。今は、避難所から仕事に通っている。こっちの方に用事があると、必ずここに寄る」と話してくれました。

写真をクリックして拡大してみてください。


青空市を毎日開設する共同センター(市政を支える「市民の声」と共産党の共同のセンター)の前で。現地のスタッフと大阪からのボランティア。前列左から二人目、青空市の店長は藤倉市議の息子さん。




コンクリートの電柱がまっぷたつに折れて転がっていた。


よく見るとそこは鉄道の駅があったところ。地図で確かめたら確かに・・・。


陸前高田市役所の仮庁舎。震災後、「広報」臨時号が毎日発行された。


仮設住宅で移動青空市(支援物資を運んで無料提供)。震災後、初めて会えた。「よかった。元気で・・・」感激の対面を思わずパチリ。


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先人の教え

2011-08-13 18:22:45 | 東北被災地支援・がれき処理問題

倒れた家。


先人が残してくれた貴重な教え。碑から上の家は残っている。
書かれている文字を書き写した。「それ津波 機敏に高所へ」「津波と聞いたら欲捨て逃げる」「地震あったら津波の用心」「低いところに住家建てるな」(昭和9年3月3日)。そばに「明治29年1月5日」の碑も。


積み上げられた、おびただしい数の車の残骸。どれも激突し大破した事故車のよう。
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私が見た被災地・陸前高田

2011-08-13 15:45:56 | 東北被災地支援・がれき処理問題
テレビや新聞で、たくさんの映像が流されてきました。
それでも、自分の目で見たものを少しでも伝えたい・・・と思ったのが、ブログを始めたきっかけでもあったのですが、なかなかできずもう1ヶ月。

ずっと考え続けていかなければならないと思っています。

(写真をクリックして拡大してください。)


陸前高田市役所の中。


美しい浜辺、7万本の松林に、今たった一本の“奇跡の松の木”。復興への希望のシンボル。


市政を支える「市民の声」と日本共産党の共同センターで毎日開催される青空市


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ありがとう。岩手の皆さん

2011-07-19 07:48:13 | 東北被災地支援・がれき処理問題
今日、大阪に帰ります。たくさんの方にお話を聞かせていただきました。3日間しかいない者が、突然訪問して迷惑ではないだろうかと思いましたが、どなたも命の瀬戸際の体験を時に涙ながらに話して下さいました。中には地元の人には言えなかった胸のうちを、私達に話してくださった方もありました。それをセンターに帰って報告すると、ひとつひとつ丁寧に受け止め対応してくださいました。訪問先で、暑いのにご苦労さん!と労っていただいたこともしばしばです。

地元の若い方たちがが頑張っているのが心強いことでした。
センター前で毎日開設している「青空市」の店長は藤倉市会議員の息子さん。私たちが大阪から持っていった支援物資も含め、全国から寄せられた暖かい気持ちのこもった品・・・ひとつも無駄にしないで活用するため、心を砕き、真っ黒になって立ち働いていました。

「大阪でここで見たこと、聞いたことを生かしてください」と何度も言われました。その約束を果たします。
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ここは人々の暮らしがあったところ

2011-07-18 07:06:28 | 東北被災地支援・がれき処理問題
日中は暑いけれど朝夕は寒いくらい。小鳥のさえずりで爽やかに目覚め東北での1日が始まります。

16日と17日、2日分の活動報告

一ノ関の日本共産党両磐地区委員会の一角にあるボランティアセンターに宿泊し、日中は車で1時間余りの陸前高田のセンターで活動しています。

初日の16日は朝早く出発し、津波の浸水地域を歩きました。海岸から遥か離れ、海の見えないところまで すさまじい被害が襲ったことがわかります。瓦礫と倒壊した家屋の柱や壁、壊れた家具などがが積み上げられた中に子どものオモチャや袋に入ったままのお菓子も。その直前までそこには普通の暮らしがあったことを、瓦礫の中の形あるもののひとつひとつが教えてくれます。

16日は午前も午後も矢作町という高台で津波の被害を受けていない地域を1軒づつ訪問して要望を聞きました。直接の被害はなかったものの多くの方が家族や親戚の犠牲者の話をされました。夫が入院していた陸前高田病院からヘリで搬送されカルテがないので3日間何の治療もされず、14日目に亡くなった。夫は病死。津波で死んだのではない。誰にも打ち明けたことない。あぁ、話してしまった
...と静かに話された方があります。夫は津波が亡ければまだまだ生きたに違いない。せっかく搬送された病院で適切な処置がされれば助かったかもしれない。でも津波の被害による死者に数えられさえしない...言葉にできない悲しみ、悔しさが伝わります。

17にはセンターの前で毎日開設している青空市の手伝いをしてから1週間前にできた仮設住宅を訪問して要望を聞きました。やっと扉のあるところに住めるようになって有難いと言いながらも、近所に店がない。子どもの通学路が心配。住民同士のコミュニケーションがない。などの声もありました。
午後はこの仮設住宅の駐車場に支援物資を運んで移動青空市。

たくさんの方からお聞きするお話の全てが今も蘇ります。

帰ってから写真もアップしてもう少し整理した報告をします。

さあ、今日もそろそろ出発の時間です。
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一ノ関にて

2011-07-15 18:51:17 | 東北被災地支援・がれき処理問題
今日は携帯からの投稿。
朝5時泉大津を出発。渋滞を避けて早く出たので終始スムーズ。北陸道を通り、お昼は磐梯山を仰ぎなからドライブインで。
天気も快晴。夕方4時半には一ノ関の日本共産党震災支援センター到着。

明日帰る先発隊の仕事帰りを待ってこれから引き継ぎを兼ねて夕食。明日からの活動に備えて今日は早く休みます。

5日間お世話になった日本共産党両盤地区委員会事務所の一角にあるボランティアセンター
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あさってから岩手

2011-07-13 22:42:00 | 東北被災地支援・がれき処理問題
私たち3人の議員団は、4月の選挙後まもなく「6月の市議会定例会が終わったら東北の被災地へ行こう」と決めました。

何よりも、たとえ何か少しで役にたつことができれば・・・という思い。
そして、自分達が生きている時代に遭遇した大災害の現場を、自分の目でしっかりと見てこなければ・・・という思い。

あまりにも大きな命の犠牲でした。
だからこそ、そこから教訓を汲みつくして、これからのまちづくりに生かしていくことが、今生きている私たちの責任でもあると思うのです。

先に行っている仲間の現地からの情報では、タオルやせっけん、夏物衣類、などまだまだ不足しているとのこと。身近な方々にお願いして、短期間の間にずいぶん集まりました。市役所の職員さんにも協力いただきました。
きょうは夕方、それらの支援物資をM下議員の車に積み込みました。

明日は朝から、相談事1件。夜は介護保険の学習会で大阪へ。午後の時間にやることを手帳に書き出したら、う~ん、時間が足りない!!
実はこういう「せっぱつまった感じ」嫌いじゃないんです。
(せっぱつまらいないと動かない・・・・と、影の声)これから一仕事。
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