こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

言論封殺の暴挙

2022-07-08 23:16:47 | つぶやき

安倍元首相が、銃撃され、そして亡くなった。

お昼前、訪問先でそのことが話題になり驚いた。

夕方、駅で宣伝中に、通りがかりの方から「死亡」の報を聞いた。

なんとも言えない悔しさ、無念の想いがこみあげて、一瞬言葉を失った。

言論封殺の暴力は、絶対に許せない。

 

そして夜。

「悔しさ」の意味を考えた。

 

私は、学生時代に日本共産党に出会った。

「出会った」というより、一つの出来事がきっかけで、自ら近づいた。

当時の人間関係から、また私自身の社会に対する心情から、いわゆる「新左翼」の方にずっと近い位置にいたのだと思う。

あるときに、心情的に親近感と憧れさえ抱いていた「新左翼」の人達(その中には、個人的に親しい人たちもいた)の言動に、「人の命を奪い、ふみにじる。それは違う。絶対に間違っている」と、強く感じた。

「新左翼」集団の暴力に対置している、民青同盟と日本共産党の姿が見えた。

 

どんな理由があったとしても、「人が人を殺す」ことは許せない。

人は、誰でも必ず命の終わりの時を迎える。

けれど、「殺される」のではなく、生きぬいた終点であるべきだと思う。

 

だから戦争をなくしたい。

殺し、殺される戦争の時代の到来を何としても止めたいと思う。

 

安倍元首相は殺された。

「あってはならないこと」が起きた。

 

あえて今、ここに書いておきたいことがある。

死者は美化される。

傑出した政治家だったと、功績が称えられてる。

しかし「アベ政治」によってつくられた格差と貧困で、生きることをあきらめた人がいる。

公文書改ざんの罪を負わされ、苦しみ、自ら命をたった人がいる。

森友・加計・桜を見る会は、終わっていない問題だ。

安倍氏の死によって不問にふすことはできない。

 

「権力による政治の私物化」を再び許さないために、「時の総理大臣が何をしたのか?」

そのことを、安倍氏には生きて、余すところなく語ってもらわなければならなかった。

 

その無念さもかみしめながら、「自由と平和」を守る闘い、参議院選挙の最終日を私は闘う。

大阪選挙区で、たつみコータローの議席を勝ち取るために、比例で日本共産党の議席を増やすために、あなたのご支援を心からお願いいたします。

 

 

 

 

 

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