自己中心的だった私がみんなと心を一つにできた
http://voicee.jp/2015020610723
絶交の手紙を突然親友から受け取った
中学2年のある日の放課後のことです。帰宅しようと思って教室に戻ると、私の机の上に1通の手紙が置いてありました。
手紙を見ると、私の親友で同じ吹奏楽部に所属しているLちゃんの名前が書かれていました。
中身を読んで私は愕然としました。
「世界はYちゃんを中心に回ってるんじゃないんだよ。もう、Yちゃんの性格にはついていけない。友達やめたい」
それは明らかに絶交の手紙でした。
いったい何があったのかもわからず、とにかく私はすぐに隣のクラスのLちゃんのもとに駆けつけました。
しかし、Lちゃんは「何も話すことはないよ。手紙に書いてあることがすべてだから」と冷たく言い放ち、クラスの友達と一緒に帰っていきました。
突然の出来事に、私は込み上げてくる涙を抑えることができませんでした。でも、しばらく経つと、悲しかった気持ちが、自分を否定されたことへの悔しさに変わっていきました。
「どうしてあんなこと言われなきゃいけないの? Lちゃんだけが友達じゃないし、別にいいや」
それ以来、Lちゃんとは一言も口をきかないまま、私は中学を卒業しました。
吹奏楽部で服装や頭髪、練習態度の指導係に
私は、高校でも吹奏楽部に入部しました。そして、2年生の6月、部の「統制役」となり、部員の服装や頭髪、練習態度を指導することになりました。
半年後に迫ったクリスマスコンサートに向けて必死だった私は、「もっと真面目にやってよ!」「だらしない服装で、やる気あるのっ!」といったぐあいに、相手の状況にお構いなしで、一方的に命令することが多くなりました。
次第に、部員達との間に溝が深まっていくのを感じました。練習が終わると、私と目も合わせず、無言で帰っていくのです。
その理由がわからず、「私はこんなに頑張ってるのに」「みんな、ちゃんとやってよ」という気持ちになっていました。
そんなある日、追い討ちをかけるように、男子にこう言われたのです。
「おまえ、口うるさいだけで、全然みんなの役に立ってないよな!」
コンサートを目前に控え、部の雰囲気は最悪の状況でした。
自分のことしか考えてなかったことに気付いた
途方に暮れた私は、以前からよく相談をしていた、母が通っているテニススクールのコーチに、気持ちを打ち明けてみました。その方は、幸福の科学の信者でもありました。
その人は、自分の言いたいことばかり押し付けていたら人はついてこないと言い、今の私にきっと必要なことが書いてあるからと、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』という本をわたしてくれました。
家に帰って早速読み始めると、次のような箇所が目に留まりました。
「『どうしてこんな結果しか出ないのか』など、与えられないことばかりを考えている人は、きらわれて当然です」
ドキッとしました。私は、自分の思う通りに動いてくれない部員に不満を持ち、責めてばかりいました。
そこで私は、中学の時Lちゃんに言われた言葉を思い出しました。
「Yちゃんは、自分の話は聞いて欲しがるのに、私の話は全然聞いてくれないんだね」
Lちゃんのときも、今も、同じ間違いをしていることに気が付き、私は初めて、Lちゃんに対して申し訳ない気持ちで一杯になりました。
これから部のみんなとどう接していけばいいだろう、と不安に思いながら、答えを求めて読み進めると、こう書いてありました。
「自分のために生きようとすれば、他の人は助けてくれません。ところが、他の人のために生きようとすれば、他の人が助けてくれるのです」
これからはみんなのために頑張っていこうと強く決意しました。
それから私は意識して、部員一人ひとりに声を掛け、話を聞くようにしました。
2週間程経つと、「最近のYちゃん、話しやすくなったね」と、以前は目も合わせてくれなかった部員が打ち解けてくれるようになりました。お互い心が通い始め、部内にまとまりが出てきたのです。
コンサート前日の夜。私は、みんなの顔を思い浮かべ、一人ひとりに感謝していきました。
心が一つになったコンサート
いよいよ本番当日。会場には何百人ものお客さんが入っています。部員のみんなも緊張している様子です。
「大丈夫。今の私達の、最高の演奏をしようね!」
1曲目から、部員の心が一つになっていました。練習の時は、あんなにバラバラだったのが嘘のようでした。
すべての曲目を終えると、会場は割れんばかりの大きな拍手で包まれました。
「こんなにうまくいくなんて!Y、ありがとう!」
思いがけない感謝の言葉でした。
みんなの嬉しそうな笑顔を見て、私は感激で胸が熱くなりました。
自分のことだけ考えていた時は、周囲の反発ばかり招いていました。でも、自己中心的な性格を反省し、部員のために考え、行動すると、急にみんながまとまり始め、大きな舞台で成功できたのです。
今後も、常に周囲の人を思いやれる人となれるように、努力していきたいと思います。