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ひまわりさんより
ずっと以前に読んだ本の中にこのような言葉がありました。
「金をなくした人は少しをなくした人、友をなくした人は多くをなくした人、希望をなくした人はすべてをなくした人」
この言葉は、逆に言えば、「希望を持っている人は、すべてを持っている人」ということができますね。
デビット・カン先生は、真理を体験し、真理を語ることによって、この世の富や、友人たちを失われましたが、
キリストにある希望をもって語っておられるのですね。「そして、希望は失望におわることはない」(ローマ5:5)
キリストにあって完全になるとは(デビット・カン講演より)
愛を祈り求める時に、神様はかえって敵を私たちに送られます。
そうすることによって、神様は愛について教えてくださるんです。
忍耐を下さいと祈り求める時に、神様は、いろんな悩ましい経験が起こることをお許しになります。
印する働き、神の印というのは、過程、プロセスなのです。
ですから、私たちは、今現在も、印されつつあるのです。
先ほどの、大争闘の引用文の続きを見ますと、このように書かれています。
「今、われわれの大祭司がわれわれのために、あがないをしておられる間に、キリストにあって完全になることを求めなければならない」。
これはどういう意味でしょうか。完全になるなんて不可能ですよね。
神のみ子は天父の戒めを守られました。
そして、サタンが自分に有利に活用することのできる罪が、彼の中にはなかったのです。
これは大事な点ですよ。
SDAの信条について書かれている27項目には、この部分の引用がなされています。
ところが、その最後の部分が割愛されているのです。
最後の部分がどこか、みなさんご存知ですか。「これが、悩みの時を耐え抜く人々のうちになければならない状態なのである」というところです。
これは強い言葉で書かれています。