恋に落ちた神様 23
愛によって、愛のために
私たちはなぜ存在しているか、分かりましたか?私たちは神様の愛のゆえに存在しています。大きな、限りない神様の愛を受けるために存在しています。私たちに生きる意味を与えるのは神様の愛、それですね。わたしたちの永遠の命のために、イエス様は命を捨てて下さったのですね。
「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をお遣わしになった。ここに愛がある」(Ⅰヨハネ4:9、10)
皆さん、十字架を見つめて、見上げて下さい。十字架を見つめる時、私たちの生きる目的、意味がはっきりとわかります。十字架を見上げる時、私がなぜ存在しているのか、私の人生の意味は何であるのか、ちゃんと悟ることが出来るのです。死よりももっと強い愛を受けていることを、私たちが気づく時、死を恐れない人生を送ることが出来るのです。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか、患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。・・・しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちはこれらすべての事において勝ち得て余りがある」(ローマ8:35、37)。
神の火 24
それはどのようにして可能なのでしょうか。私たちは、今この邪悪な状態にありながら、それが可能なのでしょうか。しかし、神様はまさにそのことをしようとしておられるのです。イエス様は私たちの模範として、ご自身の生涯を残されました。本当に素晴らしい模範を、私たちが見ることが出来るようにされました。他にも色んな模範があるわけですね。ダニエル、エノク、エリヤ、バプテスマのヨハネ・・・。
ある人たちは、そのような人物は、生まれたのがよかったとか、生まれながら善良だったのだと考えます。しかし彼らもまた、自分の罪と格闘して戦い、そして勝利者となったのです。神様の恵みのうちに、彼らは成長していったのです。
私が今から言うことを、注意深く聞いてください。神様は、皆さんの過去には関心がありません。皆さんが過去にしたことについて、神様は関心を持っておられないのです。皆さんが、今日、また明日何をするかということに、神様は関心を持っておられるのです。私たちは一日、一日と生きていくのです。私たちの真の心の意図は何でしょう。私たちは自分の人生で何を成し遂げようとしているのでしょうか。本当に神様に、全的な信頼を置きたいと思っていますか?今、心からそのような思いを持っているかどうか、イエス様は一人ひとりに関心を持っておられます。
神様は焼き尽くす火であられます。神様を受け入れる時、そして神様に心に入っていただく時、神様が、聖霊が、焼き尽くす火となられます。私自身も過去において、何度も何度も、聖霊の働きかけに抵抗して来たことがありました。しかしその結果刈り取った、色んな苦い経験から学ばされました。色んな失敗から、試練から学びました。