ボランタリー画廊   副題「げってん」・「ギャラリーNON] 

「げってん」はある画廊オーナとその画廊を往来した作家達のノンフィクション。「ギャラリーNON]は絵画を通して想いを発信。

げってん(その41)-ものづくりが好き・坂本隆昭1/4ー

2008年03月05日 | 随筆
 1981年9月、「テラコッテと創作ループタイ」と題した展覧会が催されました。出品者は千原稔、長谷川健治、松屋和代、光安鐵男、坂本隆昭、川岡秀美の六人です。この「げってん」シリーズにすでに登場した千原稔、長谷川健治、松屋和代さんらは画家ですが、あとのご三方は画廊主と画廊階下の眼鏡技術者です。
 この展覧会について当時の新聞は次のように書いています。

 人は時に本業からちょっと離れて「遊びの空間」を演出してみたくなるものだ。日頃キャンバスとにらめっこの画家たちが、粘土をこねて彫塑をつくった。そして眼鏡屋さんがレンズをいじっているうちにループタイをこしらえた。このなんお脈絡もない二種の作品群が「余技の美しさ」という点で見事に合致し、持ち寄った100点余りの作品はユニークな創作展となっている・・・後略。
 
 画家達の牛の親子、ドクロの壁掛け、ピエロ、自画像、リーゼントがきまったガクラン姿の高校生などのキャンパスにはない自由な造形。一方、眼鏡屋さんらはセルロイドをクリスタル、羽ばたく鳥、角のある牛の顔などにカットし、削り、磨いたものにレンズをはめたループタイ。思いっきり楽しんだことの分かる作品ばかり。上手に見せようとすることから開放されたら、こんなにも楽しいものであることを実感したに違いありません。

 千原稔 作 「カレイ」
 
 今回は、いつも「げってん」さんの影になって表に出ることをせずマルミツ眼鏡店の屋台骨となってきて、この展覧会にも加わった坂本隆昭さんにフォーカスします。
 坂本さんは1942年、熊本は山鹿の生まれ。父の戦死で母は3人の子供を育て上げなければなりませんでした。長男の坂本さんは小さい時から細工をすることが好きで小学5年の時は壊れた自転車やブリキなど身近なものから材料を集めて全て自力でモーターボートを作りました。夏休みの工作でこれを出品したら一躍話題になり、学校は特別の計らいで坂本さんにノーベル科学賞を贈りました。
 高校を卒業と同時にすぐ働かなければならず、名古屋の眼鏡店に集団就職しました。当時、ポラロイド社が検眼器を商品化し、眼鏡店としては憧れの機器でしたが高価で手が出せないでいました。それを坂本さんは手作りで完成させ店の有力な武器としました。しかし、店からは応分の評価はなく、ただよくやったと重宝がられるだけでした。また、当時はレンズをフレームに合わせてカットするのは手作業でした。そのため破損してしまうことが多く、歩留まりを向上させる必要がありました。坂本さんはプロジェクトを組み、歩留まり向上のノウハウを確立しました。しかしそれでも店からは重宝がられるだけで応分の評価はありませんでした。こんなことが度重なると理不尽な思いが募ります。その上、改善することには大そう興味が湧きますが、同じことの繰り返し作業にはすぐ退屈をしてしまいます。もどかしさから逃れるように5年でその名古屋の店を飛び出してしまいました。