今、坂本さんにどうして店を飛び出したのか聞いてみるのですが、「きっと世の中のことが何も分かっていなかったからだと思う」と述懐しています。飛び出してはみたがどうする当てもなく実家の山鹿に帰ってしまいました。歳は23、さあこれからどうするか考え始めました。
眼鏡の訪問販売を始めることにしました。資金は母親が出しました。中古のライトバン、眼鏡の仕入れ、問屋さんから検眼器をレンタル、ヤスリ・ペンチ・ヤットコ・小さなドライバーなど最低限の道具を揃え、山鹿のガタガタ道を走り回りました。当時の山鹿の人々には近視と老眼の眼鏡をかける程度で目の特性に合わせたきめ細かいマッチングはありませんでした。次第に坂本さんのサービスは地域の人々に受け入れられ自分の仕事の軌道が見えてきました。名古屋の店に居た時の彼女にラブコールをして山鹿に呼び寄せ、結婚にも漕ぎ着けました。ところが、仕事は軌道に乗り始めたのですが、ガタガタ道を走り続けているせいでしょうか胃を壊してしまいます。子供がうまれたというのに。やむなく問屋さんの紹介で飯塚の眼鏡店の店員に転職します。しかしなんということか、その店は中華料理・時計・眼鏡などを構えた大型店舗だったのですが、眼鏡は廃業して、さらに大きなビルに改築すると言うのです。僅か半年の飯塚でした。
落ち込んで居た時に問屋さんが紹介してくれたのが「げってん」さんが経営する若松の眼鏡店。そこへ移ることにしました。3人の女性店員とげってんさんの4人の店。繁盛していましたので「げってん」さんは遊ぶ(営業)時間がありません。坂本さんが来てくれたのでおそらく営業ができるだろうと目論んでいましたが、期待以上に坂本さんの腕が利いており、眼鏡だけに限らず何でも不便があれば直してしまいます。この店の看板である大久保彦左衛門調の巨大な眼鏡レリーフも坂本さんの作。めがねフレームも18金や鼈甲(ベッコウ)でお客の要望に応えて手作りしてしまいます。「げってん」さんは全幅の信頼で坂本さんにまかせるようになりました。
かつて名古屋の店も飯塚の店も、眼鏡の全てを任せてくれることはありませんでした。坂本さんは水を得た魚のように存分にオリジナルめがねを作りました。お客は全て坂本さんに付き、「げってん」さんはレジから札を掴みだしては営業し続ける日々となりました。
そう言えば「げってん」さんの若かれしころ、父親から
「お前が動くと金が出て行く。商売は慈善事業ではない、儲けなくてはならんのだ」
と言われたことがあります。弟からは、
「兄貴はじっとしておれ。お前が動くと金が出て行く」
と掴み合いの喧嘩になったこともあります。それが今また再現され始めたのです。あの時は叱るものがいましたが、今は叱る人はいません。一方の坂本さんは、お金のことには興味が無く、作ることが存分に楽しめるこの環境が好きでした。レジのお金が消えていくことは分かっていましたが、問題としませんでした。
眼鏡の訪問販売を始めることにしました。資金は母親が出しました。中古のライトバン、眼鏡の仕入れ、問屋さんから検眼器をレンタル、ヤスリ・ペンチ・ヤットコ・小さなドライバーなど最低限の道具を揃え、山鹿のガタガタ道を走り回りました。当時の山鹿の人々には近視と老眼の眼鏡をかける程度で目の特性に合わせたきめ細かいマッチングはありませんでした。次第に坂本さんのサービスは地域の人々に受け入れられ自分の仕事の軌道が見えてきました。名古屋の店に居た時の彼女にラブコールをして山鹿に呼び寄せ、結婚にも漕ぎ着けました。ところが、仕事は軌道に乗り始めたのですが、ガタガタ道を走り続けているせいでしょうか胃を壊してしまいます。子供がうまれたというのに。やむなく問屋さんの紹介で飯塚の眼鏡店の店員に転職します。しかしなんということか、その店は中華料理・時計・眼鏡などを構えた大型店舗だったのですが、眼鏡は廃業して、さらに大きなビルに改築すると言うのです。僅か半年の飯塚でした。
落ち込んで居た時に問屋さんが紹介してくれたのが「げってん」さんが経営する若松の眼鏡店。そこへ移ることにしました。3人の女性店員とげってんさんの4人の店。繁盛していましたので「げってん」さんは遊ぶ(営業)時間がありません。坂本さんが来てくれたのでおそらく営業ができるだろうと目論んでいましたが、期待以上に坂本さんの腕が利いており、眼鏡だけに限らず何でも不便があれば直してしまいます。この店の看板である大久保彦左衛門調の巨大な眼鏡レリーフも坂本さんの作。めがねフレームも18金や鼈甲(ベッコウ)でお客の要望に応えて手作りしてしまいます。「げってん」さんは全幅の信頼で坂本さんにまかせるようになりました。
かつて名古屋の店も飯塚の店も、眼鏡の全てを任せてくれることはありませんでした。坂本さんは水を得た魚のように存分にオリジナルめがねを作りました。お客は全て坂本さんに付き、「げってん」さんはレジから札を掴みだしては営業し続ける日々となりました。
そう言えば「げってん」さんの若かれしころ、父親から
「お前が動くと金が出て行く。商売は慈善事業ではない、儲けなくてはならんのだ」
と言われたことがあります。弟からは、
「兄貴はじっとしておれ。お前が動くと金が出て行く」
と掴み合いの喧嘩になったこともあります。それが今また再現され始めたのです。あの時は叱るものがいましたが、今は叱る人はいません。一方の坂本さんは、お金のことには興味が無く、作ることが存分に楽しめるこの環境が好きでした。レジのお金が消えていくことは分かっていましたが、問題としませんでした。