夏原 想の少数異見 ーすべてを疑えー

混迷する世界で「真実はこの一点にあるとまでは断定できないが、おぼろげながらこの辺にありそうだ」を自分自身の言葉で追求する

「アフガニスタン。結局、アメリカは逃げ出すしかなかった」

2021-08-18 10:36:04 | 政治
            8月15日カブール大統領府の執務席に座るタリバン幹部(アルジャジーラによる)

 カブール陥落
 2021年8月15日、タリバンは、米情報機関の首都カブールも90日以内に陥落するという見通しよりも遥かに早くカブールに侵攻し、事実上アフガニスタン首都を掌握した。バイデン大統領が、在カブールの大使館員等のアメリカ政府関係者を退避させるため、5,000千人の兵員を派遣することを発表し、アメリカを含め各国政府関係者や多くのカブール市民が脱出の唯一の手段であるカブール空港に殺到するさ中のことである。
 これより前、アフガニスタン政府のガニ大統領は、報道によれば多額の現金とともに国外に逃亡した。アフガニスタン政府軍も完全に無抵抗で、戦闘が行われた形跡はなく、政権の平和移譲がなされた形になっている。アルジャジーラによれば、タリバンのナイーム広報官は、 アフガニスタンにおける戦争は終了したと述べ、統治と政権の形態はまもなく明らかになるとの見通しを示したという。 今後アフガニスタンは、彼らの主張する「イスラム首長国」となるのは間違いない。

 英紙ガーディアンはこの模様を<The fall of Kabul: a 20-year mission collapses in a single dayカブール陥落:20年のミッションが1日で崩壊>と書いている。確かに、そのとおりだ。しかし、この「ミッション」は始めから、「崩壊」するように運命づけられていたのである。
 
 米国のアフガニスタン攻撃は、2001年の9.11事件の首謀者とみなした、アルカイダの指導者オサマ・ビンラディンの引き渡しを求めたのに対して、当時のタリバン政権がそれを拒否したことを口実にして行われた。アメリカが主導する形で国連安全保障理事会では国連安保理決議(1368号)が採択され、NATOは集団的自衛権を発動し、米英をはじめとする連合軍が10月7日から攻撃を開始した。その圧倒的な軍事力の行使の結果、タリバン政権は2ヶ月で崩壊し、暫定行政機構が発足、ハミド・カルザイが大統領に就任した。 しかし、タリバンはアフガニスタン全土で抵抗を続け、じわりじわりと支配地域を拡大し、2014年に大統領がアシュラフ・ガニに変わっても、その勢いは止まることはなかったのである。

 タリバンは最大民族パシュトゥン人の組織
 国際政治学者で放送大学名誉教授高橋和夫の著書「国際政治」によれば、タリバンは、アフガニスタンの人口の40%を占める最大民族のパシュトゥン人の組織であり、そのパシュトゥン人は20世紀初頭のアフガニスタン国家の成立以来、政治の実権を握ってきたという。そして、カルザイ自身はパシュトゥン人だが、欧米に支援されたカブール政権は、タジク人、ハザラ人、ウズベク人などの混成で、事実上、最大民族のパシュトゥン人は排除されていたというのだ。(以下の記述も、概ね「国際政治」から準拠した。)
 大統領選や議会選も行われたが、それは、政府軍の武力に守られた選挙であり、その議員や政府高官はパシュトゥン人以外の旧軍閥(例えば北部同盟など、タジク人、ウズベク人,ハザラ人の軍閥)や反タリバンで戦闘を行った少数派民族の部族長などの旧来からの支配層であり、庶民階層出身者など皆無だった。
 このことが、タリバンがアフガニスタンで力を持ち続けた大きな理由の一つである。パシュトゥン人や、その他の民族でも庶民階層から見れば、タリバンの価値観に賛同しないとしても、生活は困窮するばかり、自分たちの民族や階層を排除した政権に反感を持つのは当然である。

 3度の軍事進攻
 振り返れば、アフガニスタンは多民族国家で、1926年にアフガニスタン王国が成立しても、それ以前の多くの王朝と同様に、その支配は首都と一部の都市に過ぎず、全土の統一性はないに等しいものだった。もともと山国であり、盆地ごとに様々な民族、部族、宗派が支配するという国なのである。さらに、周辺にはロシア、インド、パキスタン、イランなど激しく対立する大国に挟まれ、英国などの列強も帝国主義勢力もその支配圏を争い、権益が複雑にからみ合う状況に置かれていた。そのアフガニスタンに西洋勢力は、アメリカを含め3度軍事進攻している。1度目は、19世紀後半、英国はロシアの影響力を排除するため、2回にわたりアフガニスタン制圧を試みている。しかし、この時も、英国はパシュトゥン人による激しい抵抗を受け、失敗したのである。
 
 2度目の西洋勢力の進攻は、1979年ソ連による。それ以前に、アフガニスタン政府は、アメリカがパキスタンに軍事援助をしていることから、対抗上、ソ連に急接近していた。多大な軍事援助と人的交流があり、1978年にはクーデター等による親ソ政権が成立していた。しかし、この政権も支配は首都と一部都市のみで、「社会主義」に反対する多くのイスラム勢力と敵対するようになる。そこで、この親ソ政権はソ連に介入を要請した。そこでソ連はアフガニスタンが西側の影響下に入ることを恐れ、軍事介入に踏み切ったのである。そして、東西冷戦の中で、敵の敵は味方という論理の下、アメリカはイスラムゲリラに対し、直接、またはパキスタンを通じ、大量の兵器を供給したのである。それが、イスラムゲリラを強大化させ、後々、アメリカ側の脅威となるのだが、その時は、ソ連はイスラムゲリラの強靭な抵抗の前に、1989年に撤退せざるを得なかった(ソ連自体が崩壊寸前だった)のである。
 このイスラムゲリラの中で急速に勢力を拡大し、1996年にカブールを制圧したのがタリバンである。タリバンは、もともとパキスタンに逃れたイスラム教徒の神学生を主体とする勢力である。親米のパキスタンは、アメリカの莫大な援助をいいことにアフガニスタンを親パキスタン化するために、タリバンを支援した。また、多くのイスラムゲリラも他民族で構成されていることから、内紛が絶えなかった(所謂軍閥もそれぞれ対立していた)が、タリバンは最大民族のパシュトゥン人が主体で結束しやすいことも、最大勢力になった要因でもある。

アメリカはアフガニスタンから逃げ出すしかなかった
 今回のタリバンの攻勢に、政府軍はほとんど無抵抗だったが、それも当然である。タリバンは、アメリカがイスラムゲリラに直接・間接に供給した高性能の武器弾薬を大量に所有している。また、欧米に支援された政権にアフガニスタン国としての統一性などなく、生活の困窮から、カネで雇われたに過ぎない政府軍兵士が生命をかけて政権を守ることなど考えられないからである。
 
 バイデン大統領の撤退のやり方に、前任者のトランプは、「米史上最大の敗北の一つ 」(AFP)と非難し、右派系のウォール・ストリート・ジャーナルも社説で「タリバンによる権力奪取を事実上容認した 」と批判した。また、英国のベン・ウォレス国防相はも撤退を「誤りだ」と批判した。勿論、それにはカブール空港での、脱出の模様の大混乱が大きく影響している。
 しかし、上記のようなことを分析すれば、欧米に支援された政権を維持するのには、未来永劫にわたって米軍の駐留が必要で、アメリカの戦争が終わることがないのは、明らかである。その意味では、バイデン大統領が、トランプの米軍撤退政策を継承し、「アフガニスタンはアフガニスタン人が守るべきだ」と言い、戦争を終わらせるために撤退を早めたのは正しい。タリバンとの交渉で、彼らが和平を口にしながら守らず、「稲妻のように早く」カブールを占領したとしても、である。それは、遅かれ早かれ必ず訪れることだからである。
 結局、もとの木阿弥に戻ろうとも、アメリカはアフガニスタンから逃げ出すしかなかったのである。それも、もとの黙阿弥どころか、旧政権にアメリカが供給した大量の武器がタリバン側にわたり、さらに強力になったタリバンを残してのことである。

  この戦争による犠牲は、さまざまな推計があるが、17万人から24万人が死亡し、その内、一般市民は4万人から7万人となっている。アメリカ兵だけでも、2,400人以上が死亡している。これは、アメリカが軍事介入しなければ、死なずに済んだ者の数である。また、戦争に費やした経費は1兆ドル以上に上る。スラム復古主義者を勢いづかせるのは、その背景に絶対的な貧困がある。その貧困を欧米の文化のためだとすることで、イスラム過激主義者は復古主義を喧伝するのだ。アフガニスタンが最貧国であること考えれば、理解できることだ。その半分でも、純粋な経済援助として使用すれば、アフガニスタン国民の生活は上向き、タリバンなどが大きな力を持つことにはならなかっただろう。(実際に、医師中村哲はアフガニスタン国民の生活向上のため尽力し、敬愛された。)

ではなぜ、軍事行動という愚かな選択をアメリカはしたのだろうか?
 軍事評論家の田岡俊次は、アメリカが繰り返す軍事介入の失敗の理由を「大きな要因は、情報分析能力、あるいは分析姿勢に問題があるため、と考えられる」。「得た情報の分析が楽観にすぎたり、判断が偏りがちだったりすることが多い」 (DIAMONDonline7月15日)ためだという。 確かに、その点は否定できない。今回のカブール陥落も、アメリカ情報機関は90日以内としたが、実際には数日でタリバンは侵攻したのである。そもそも、タリバンがどのようなものか正確に把握していれば、軍事介入の選択肢は排除されただろう。タリバンは、武力で壊滅に近い状態にすることが可能だったIS(Islamic State in Iraq and the Levant )イスラム国とは、大きく異なるのである。
 最大の違いは、ISは世界中からの寄せ集めで、地元住民とはまったく異なる人間の組織であり、1日も早くいなくなって欲しい存在だが、タリバンは、アフガニスタン最大民族の組織なのである。ISは、地元住民にとっては、どこから来たのか分からないよそ者が残虐行為を含めたが好き勝手なことする組織だが、タリバンは、アフガニスタン住民の一部であり、むしろよそ者は、アメリカを始め外国の軍隊の方である。タリバン戦闘員以外の民間人に対しても空爆を行う(例え、誤爆だとしても)など好き勝手なことをするのは、外国軍の方である。その外国軍に支援された政権を嫌悪するアフガニスタン住民がいるのは、当然のことである。
 
 しかし、情報分析の問題よりも、アメリカが軍事介入を繰り返すのは、そこにネオコン流の軍事優先信仰があるからだろう。自由民主主義の錦の御旗をかざし、軍事力で他国の政権を転覆させることが正当だとする、その思想である。アメリカの「自由民主主義」に沿わない者は、邪悪evilで、排除すべきであり、そのための軍事力行使は正義であるというものだ。あるいは、目的の達成は軍事力以外では不可能だとするものである。その「信仰」が、第二次大戦以降、突出して数多くの戦争をする国アメリカを動かしているのである。また、そのような戦争をアメリカ国民の多くは支持するのである。
 
 マスメディアの戦争「貢献」
 その国民の支持には、マスメディアが大きく「貢献」している。アメリカにおける戦争報道は、ベトナム戦争での比較的自由な従軍記者による報道から、1991年の湾岸戦、2003年のイラク戦争での管制報道に大きく変化した。それは、ベトナム戦争の従軍記者が戦争の残虐性を写し出したことで、反戦機運が世論を喚起したことから、米軍主導の多国籍軍は自由な従軍報道を許さなかった。その変わりに、軍が撮影した攻撃の様子をメディアに提供し、それが大量に報道されたのである。その映像は、上空からのピンポイント爆撃など、直接人間が殺害されるシーンは一切なく、ビデオゲームと比べても、残虐性は皆無に作られている。また、軍は広告代理店を使い、イラク兵が未熟児を保育器から取り出すところを見たという少女まででっち上げ、メディアに流させたのである。
 
 タリバンについても、マスメディアは実態以上に残虐性や女性差別が強調されている。
 長年アフガニスタンで生活援助にあたった中村哲医師は、「タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです」と言う。また、女性差別についても「タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている『隠れ学校』。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している」 (以上、日経ビジネス2019.12.4)と言い、マスメディアが伝えるタリバン像とは著しく異なる。
 また、欧米が支援する政権が、アフガニスタンで初めて女性の教育を実現したというのは、マスメディアの真っ赤な嘘である。初めて女性の教育を実現したのは、1970年から80年代の、親ソ政権の主に人民民主党の社会主義者たちである。それは、ソ連では西側よりも早く男女同権が実現していたこを考えれば分かる。そのことは勿論、スターリン的支配による強権体制の中で、多くはない社会主義的要素の一つであるが。いずれにしても、男女平等を強硬に推進する社会主義者の政権が、イスラム主義者たちを大いに怒らせたのである。
 このような報道姿勢が、アメリカの戦争を正当化するのに大いに「貢献」しているのは間違いない。
 
 残された「問題」
 第一に、アフガニスタンには、カブール空港の大混乱で分かるように、タリバン政権から迫害される恐れがある市民たちが、多数残されている。その人びとを救助する責任が、欧米や中ロを含めた関係国にある。初めにすべきことは、何よりもこれである。
 
 第二には、イスラム復古主義者、ジハード主義者たちが勢いを増すことである。タリバンが、かつてアルカイダと親密な関係にあり、兵力と資金提供を受けていたのは事実である。それは、闘争スタイルが異なるとはいえ、復古主義という共通点を持つからである。タリバンが、多くの国でテロリストと呼ばれる国際的ジハード主義者と再び親密な関係にならない保証はない。
 
 また、アフガニスタン周辺のみならず、中東やアジア地域でのイスラム主義者を精神的に勢いづかせる契機になる恐れもある。
 第三には、徹底した復古主義に基づき、近代的な人権を無視し、特に、女性差別を強行する懸念である。

 タリバンの変化
 このような問題が大いに懸念されるのだが、唯一の希望は、タリバン自体の変化だろう。17日、タリバンの幹部である報道担当のザビフラ・ムジャヒドは、記者会見であくまで「イスラムの枠組みの中で」 だが、「我々の社会で女性はとても活発に活動することになる」 と述べ、女性の権利を尊重する姿勢を見せた。また、「アフガニスタンの国土を、他者の攻撃には使わせない」とも述べた。さらに、「内部にも外部にも敵は欲しくない」と融和姿勢を示したほか、政府治安部隊の兵士や外国政府と協力したアフガニスタン人には恩赦を約束した(BBC8月18日)。 
 
 この記者会見を額面どおりに受け取るわけにはいかないが、彼らは彼らなりに、多くのことを学んでいるのは間違いない。タリバンが20年前戻れば、再び国際的に孤立し、欧米の強大な兵器による攻撃を受けかねないことである。軍事的に強大な国は、今でも世界のどこかで、敵と見做す勢力を空爆している現実があるのである。アメリカを怒らせば、地上軍は派遣されないとしても、いつでも空爆される危険があるのである。それらのことを、タリバンが理解できない筈はない。タリバンは、自らを守るために、融和的にならざるを得ないのである。
 
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菅政権の五輪強行開催で最悪の感染爆発的拡大。五輪後に菅の首が飛ぶ?

2021-07-28 09:45:21 | 政治
 
 オリンピックの開会式のNHKのテレビ視聴率は、56.4%(ビデオリサーチ社)と、1964年東京大会(関東地区61.2%)に迫る高視聴率となった。テレビ・新聞は日本人選手の「活躍」を連日報道し、国民の熱気を煽っている。さぞ、国民は菅政権の失政を忘れ、オリンピックに熱中しているかのようにも見える。
 しかしながら、オリンピックが開催された7月23日~25日の日経新聞とテレ東の世論調査では、内閣支持率が前回調査の6月から9ポイント低下の34%で、2020年9月に政権が発足してから最低となった。 開催以前の調査でも、7月9日~11日の政権応援団の読売新聞のものでも(読売新聞の世論調査は、質問文が政権に都合のいいように出るよう工夫されている。そのため、他のメディアより内閣支持率が高く出る。)、内閣支持率は37%と横ばいだったが、不支持率が53%(前回50%)に上がるなど、支持率の低下傾向が続いていた。それを挽回すべく、五輪の強行開催に打って出たのだが、開催後の世論調査でも、支持率低下に歯止めはかからなかったのだ。

  25日には、金メダルを獲得した髙藤直寿選手に、菅首相はお祝い電話をかけた。それを、ご丁寧にも、首相官邸のホームページでも動画付きで報じるなど、五輪に便乗しての人気回復に余念がない。与党幹部は、多数派の五輪中止の世論に「日本人選手の金メダルラッシュで、状況は一変する」と言ったが、そうはなりそうもなく、支持率回復はできそうもないのである。
 当然のことである。国民は、日本人選手のメダル獲得は、菅首相のおかげなどではないことを知っている。日本人選手を応援するが、コロナ危機が深刻さを増しているのを忘れるはずがないからだ。
 五輪開催の東京は、27日新規陽性確認者2,848人となり、1週間平均でも149%と爆発的な感染拡大が続いている。それでも菅首相は、記者団の五輪中止の質問に「人流も減っているので、そこはありえません」とまったく根拠なく答えている(朝日新聞27日)。それ以前にも、菅首相は重症者・死者は増えていないことを強調し、危険な状況にあることをを否定しているが、現実は、高齢者の感染は減ったとしても、それ以下の世代の爆発的感染拡大は、中等・軽症の著しい増加とその後の重症化を招くことは避けられず、医療の崩壊が迫っているが実情である。

 五輪の感染予防バブル方式の「穴」も避けられないが、それ以上に、「五輪をやっているのだから、自分たちだけ我慢するのは不公平」という意識を醸成させ、主に外での飲食の抑制だけという感染予防策では、所謂人流を抑制することはできない。日経新聞が25日、「都内飲食店の5割超、時短応じず」と報道しているように、緊急事態宣言の感染予防策はまったく機能していない。
 五輪のお祭りムードがある以上、行動抑制は歯止めが効かなくっており、ワクチンによる予防効果は高齢者のみで、感染が減少する要因なゼロとなっている。新規陽性確認者の増加は止まることはあり得ず、その数字は未知の領域に突入する。その中で、たとえ多額の放映権料を支払ったテレビ各局とはいえ、五輪報道を辞めることはできないが、厳しさを増す感染状況を無視することはできないだろう。新聞では、東京、毎日、朝日は、紙面で感染の状況を表す記事は増えており、菅政権応援団の読売、産経も、今のところ、感染状況の記事を五輪関連記事の片隅に置いているが、いずれ五輪より感染状況にスポットを当てる記事を書かざるを得ないだろう。

 支持率回復のための五輪強行開催は、完全に裏目に出たのである。自民党は、このままでは、衆院選の敗北は決定的である。当然、首相の「首の架け替え」論が噴出すのは必至だろう。5月27日に安倍前首相は、菅の後任候補に4人の名前を挙げたが、恐らくは、安倍自身が再再度、首相になりたがっているのは、間違いない。
 いずれにしても、そのような状況では、菅は自分から辞職を言い出す可能性が高い。記者会見での、おどおどした自信のない表情は、精神状態をも表している。安倍がそうであったように、精神状態から疾患に陥り、入院という構図が繰り返される可能性は高い。
 結局のところ、菅にとっては、最悪の結果ということになるだろう。しかし本当のところは、最悪なのは、コロナウイルスに蹂躙されつつある国民の方である。無能な政府のせいで、国民は甚大な被害を被るのである。
 
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日本独自のコロナ危機 ワクチン不足の原因② 国が「自治体に、ただばら撒いただけから」

2021-07-19 10:17:43 | 政治
 
 7月13日のNHKは「厚労省は(ファイザー製ワクチンの)8月前半の供給量を示し、大阪市や名古屋市など一定量の在庫があると見なした自治体については、人口に応じて配分する『基本計画枠』を今回から1割減らし」たと報道した。これ以前にも、7月以降は、自治体の希望数量より大幅に減らされた供給量が提示されている。要するに、 「厚労省は、全国にはワクチンの在庫が一定量あるはず (NHK同日)」と見ており、だから、国からの供給量を減らしても、不足することはないと言うのである。
 しかし自治体側は、全国知事会でも「ワクチン供給が急減しているので、迅速に改善すること」、「希望量のワクチンを必要な時期に確実に供給すること」を近く国に要請するという(複数報道)。これは、実際に自治体で予約の取り消し、集団接種の中止などに追い込まれている実情があり、仮に、厚労省の言うとおり、どこかで余っているところがあるとしても、不足している現場が多数あるのが事実なのだから、自治体の要求は当然だ。
 結局のところ、国とっては、大量のワクチンがどこに行ったか分からないということである。最近のアメリカでは余り気味、春頃のEU諸国では供給総量が不足が深刻だった。そして当然のことだが、世界全体ではワクチンは不足している。その中で、あるはずのワクチンがない、などというのがニュースになるのは、世界中で日本だけだろう。
 
 7月12日、加藤勝信官房長官は、記者会見で「6月末までに、輸入した1億回分の内、自治体には8,800万回分を供給し、接種実績は4,800万回で、差引4,000万回分が自治体や医療機関がお持ちになっている」はずだと言った。それまで、政府は供給実績を正確に公表せず、メディア情報では輸入した1億回分はそのまま供給されていると見られていたのだが、実際には8,800万回分だと明らかにした。6月末の段階で、その供給量の55%しか接種されておらず、45%は自治体側に残っている。だから、7月以降は、自治体側の希望数量より減らしても問題ないはずだ、と言うのである。
 本当のところは、はどうなっているのだろうか?

 朝日新聞は7月13日、自治体は「在庫なんてない」、「国の説明は実態と乖離している」と訴えていると書いている。
 この記事の中では、神戸市の例をあげている。国からの供給量は95万回分分で、接種券の読み取りを伴うVRS(ワクチン接種記録システム)の接種済み入力は68万回だが、それとは別に、市独自の集計方法では72万回で、2回目用に23万回分が確保してあるのだという。合計は95万回分で、単なる在庫として残っているものはない、という意味だ。
 どうやら、これが多くの自治体で起きていることだと思われる。
 そもそも、接種済みの入力は、国の要請ではVRSの他に「医療従事者等」や「高齢者施設等従事者」等は、V-SYS(ワクチン接種円滑化システム )にも入力することになっている。それが入力業務を複雑化しており、さらに、朝日新聞記事であるように、多くの自治体で独自集計も行っているので、本当の接種実績が見えづらくなっているのである。
 国は、VRSだけの実績で接種済み分を把握していたが、それは実際より少なく、さらに、各自治体では、1回目の予約分や2回目分を確保していたが、それを国は在庫と見做したということである。
 国が把握しているのは、各自治体の供給実績とVRSの接種実績だけである。その差から、十分ある、不足していると判断しているのだが、接種拡充に沿って、今後のきちんとした計画を立て、適正にワクチンを確保していた自治体も在庫が十分あると判断しているのである。
 しかしそれでも、それらを足し合わせたとしても、不明の解消にはならない。各自治体は、ワクチン供給にVRSの接種実績が加味されていることを知った7月に入ってから、VRSの入力を確実にするようになったので、実態に近い数字がVRSに入力されいると考えられるからだ。7月5日、12日の週で、11,000箱1,072万回分が供給されているからである。7月15日現在で、官邸による接種実績は累計6,670万回(モデルナも含む)で、自治体への供給量9,800万回、その差は3,000万回分以上になる。これは接種実績の方はモデルナも含んでいるので、ファイザーのみの自治体接種では、今までの接種合計の半分、少なくとも1月分以上になる。
 もし、自治体側が平均的に数週間程度先の接種量を確保していたとすると、ほぼ不足することにはならない。だが、実際には報道にあるように、7月後半の予約を多くの自治体・医療機関がキャンセルせざるを得ない状況に追い込まれている。何が起きているかと言えば、自治体への過大な供給偏りがあるということしか考えられない。今後の供給不足を懸念して、自治体よって在庫に余裕があったとしても公表することはない。
 首相官邸主導で、ワクチンをばら撒いた
 政府は、菅首相が、7月になって「先進国の中でも最も速い」とワクチン接種実績を自画自賛したように、支持率を上げるために自治体側に接種回数を増やせと半ば強制した。そこで自治体側は、能力をフル動員して接種回数を増やしたのである。そして、政府はその能力を過少評価していたのである。
 ワクチンの専門家である川崎医科大中野貴司教授は「短期間で一斉に接種しようとする場合、計算上の対象人数を上回る十分なワクチンを確保し、綿密な接種計画に基づいて供給するのが通常のオペレーションだ(朝日新聞7月18日)」と言う。これが、まとも政府のやることである。しかし、菅政権は官邸が司令を出す形で、接種の「対象人員」も想定せず、「綿密な接種計画」も策定せず、やみくもに接種実績だけを求めたのである。政府は各自治体の「対象人員」や「綿密な接種計画」や予定などは一切問い合わせていない。ただ希望数量だけを聴いただけである。その結果、自治体個々の必要な供給量も一切考慮せず、ただ各自治体にばら撒くように、供給したのである。
 そもそも、VRSを作成したのは、厚労省ではなく、内閣官房 IT 総合戦略室、つまり首相官邸である。官邸というワクチン接種の素人集団が厚労省を指導し、無理やり接種実績数だけを上げるために自治体に接種を拡充させ、後先考えずにワクチンをばら撒いたのである。上記の中野貴司教授の「首相官邸主導でやるんだという感じで、専門家に相談することも乏しかった」という言葉もそれを裏付けている。

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ワクチン不足の原因 ファイザー「5千万回分行方不明」 モデルナ「調達見通し甘すぎ」

2021-07-07 16:12:36 | 政治
 
 6月4日に、厚労省は、ファイザー製の供給量を大幅に減らすと、自治体宛てに通知を出した。 それは、7月には「自治体の希望した量の半分程度」(大村愛知県知事6月22日)しか供給されないというもので、それに対し、19日に全国知事会は「十分な量の確保と具体的な情報提供を国に要望」した。
 しかし、この時点では、「国もファイザー社製ワクチンが手元にあまりないのではないか (大村知事22日)」と懸念が示される程度で、ワクチン不足は、五輪の開催・中止、観客の有無の問題の陰に隠れ、まだ、大きな問題とは認識されていなかった。
 ところが、6月23日、河野太郎担当大臣が突然、国や自治体の大規模会場と職域接種で使用していたモデルナ製ワクチンが不足しそうだと言い出した。国は、不足しているのは、ファイザー製だけでなく、モデルナ製ワクチンも不足していることを明らかにしたのだ。当然この頃からは、メディアもワクチン不足を大きな問題として扱うようになった。
 それまでは、5月7日に菅首相は「1日100万回を目指す」と言い、6月9日には「10月から11月にかけ、希望する国民すべてに、(接種を)終えることを実現したい」と表明し、高齢者接種が半分も終わっていない段階で、なりふり構わず大量接種の大号令をかけていたのである。供給不足が表面化したのは、各自治体が接種スピード加速させ、大企業や大学、一部の業界なども職域接種に突き進もうとした矢先のことである。国が自治体に供給量を減らす通知をしたことで、自治体は接種枠の拡大から、一転して縮小に向かわざるを得なくなった。当然、それまでの市民からの予約を取り消す自治体も続出し、接種の現場は混乱した状況に陥っている。また、職域接種の新規申請は受け付けないとされたことで、当初申請に間に合わず、準備段階だった大学等の職場では、接種計画を中断させられた。なぜ、このようなことになってしまったのだろうか?

 不足の原因①「接種機会を増やし過ぎて、ワクチンがどこに行ったかわからない」
 ワクチンの海外からの調達は、ファイザー製ワクチンでは、6月の段階で既に1億回分以上あったことは政府も認めている。接種実績の方は7月6日時点で、ファイザー製とモデルナ製を合計しても5千2百万回であり、この数字だけを見れば、不足は起こり得ない。それが起こるのは、接種されていない約5千万回分のワクチンが、自治体に供給されたまま、どこに行ったか分からないからである。
 そこで政府は犯人探しをするかのように、6月22日、河野太郎は(自治体の)「申請の中には過大な接種量を申請しているところが散見され」ると言った。また同日、田村憲久厚労相は「自治体や医療機関に在庫がたまっている可能性があり、調査する」と言い放ち、供給不足の原因は、接種を進めている方にあると言いたげだった。
 要するに、ファイザー製は自治体の希望どおりに供給したら、足りなくなった。モデルナ製は、職域接種の申請を積み上げたら、足りなくなった、ということである。
だから、7月以降は、ファイザー製は希望の半分以下の供給となり、モデルナ製の職域接種は今後の申請は受け付けない、ということである。
 ファイザー製の方は実態として、ワクチンの供給済みの数字と接種実績の大きな差から、確かに、「自治体や医療機関に在庫がたまっている」のは間違いない。つまり、自治体や医療機関に在庫が大きく偏在しているのである。余裕のあるところと逼迫しているところの差が著しいのである。しかし、この原因を作り出したの政府である。
 多くの報道によれば、医療従事者に続き、高齢者に接種を開始した3月から4月の段階で、自治体には充分なワクチンは供給されなかった。つまり、自治体の希望より大幅に減らされた供給しかされなかったのである。それはその時点では、海外からの調達の遅れと実際の配送体制が充分に構築されていなかったためである。
 しかし、5月18日に河野太郎は「ワクチン供給に問題はない。自治体は接種をどんどん進めて欲しい」と言った。自治体側は、政府の指示どおり高齢者以外にも接種を開始し、また、政府は具体的な供給計画も見通しも明らかにせず、自治体の希望数量算出の目安も示さなかったので、希望どおりに供給されるか不安に陥り、自治体によって、その判断はまちまちで、上乗せして希望を出すところも数多くあった。しかしふたを開けて見ると、自治体の予想とは違い、5月、6月は希望にそった数量が供給されたのである。このことは、複数の新聞報道で明らかで、かなりの数の自治体の担当者が「こんなに来るとは思わなかった」と答えている。勿論、この時点では、政府は海外からの調達分が消費期限を心配しなければならないほど、充分確保していたからである。だから結果的に、適正な在庫を持つ自治体と在庫過剰な自治体が出てきたのである。
 これらのことはすべて、国のワクチン接種施策計画がずさんであり、さらにそのずさんな計画すら無視して場当たり的に実行した結果である。政府は、コロナ対策失敗の汚名返上のため、医療従事者・高齢者接種の完了を一定程度待つこともせず、単にワクチン接種数を上げることを最優先にし、当初の優先順位を完全に無視して、打てるところから打て、という方針に変更した。だから、多くの自治体で、接種現場を最大限拡大し、そのためにできるだけ多くのワクチン希望数量を国に返答したところが出てきたのである。
 ずさんな接種施策は、接種方法を自治体側に丸投げしたことにもある。それにより、自治体によって、集中接種会場を主体に医療機関を補助的役割に置いたところ、個別医療機関を主体にしたところとバラバラになった。例えば、東京都豊島区など、個別医療を主体にした自治体は、予約も各医療機関で行っている。このメリットは、接種場所を市民の住居からできるだけ近くに数多く設置でき、かかりつけ医が接種できることである。この場合、自治体は各医療機関からのワクチン希望数量を供給する。したがって、この方式が順調にいくのは、常に希望数量が潤沢に確保できるという前提にのみ可能ということになる。ひとたび、ワクチン数量が逼迫すれば、自治体側は数多くの各医療機関の接種状況を把握し切れないので、どこを優先供給していいか分からず、混乱するばかりになる。豊島区の医療機関が予約を断るシーンが、テレビで何度も放映されたのは、この事情による。
 国はワクチン接種に、VRSワクチン接種記録システムとV-SYSワクチン接種円滑化システム という管理システムを作っている。VRSは主に個人の接種記録を管理し、V-SYSは主にワクチン在庫・配送を管理するものである。自治体はV-SYSを通じて、ワクチンの希望数量や入荷情報を管理する。これらに各自治体や医療機関は速やかに入力し、国はその情報を一元管理できるというものである。
 これらが順調に運営されるのは、各自治体や医療機関が統一して速やか入力するという条件の下である。しかし、入力状況はそれぞれバラバラで、早くところ、遅いところと大きな差があるのが実態である。それは、このシステムの入力作業が煩雑で、人員不足の自治体は、その時間がないという状況が生じている理由による。また、システムへのアクセス権限者も明確化されていないので、実際に入力に携わる者も、各自治体でバラバラになった。都道府県、市町村、保健所、医療機関のそれぞれの担当者と、誰がやっているのか全体ではよくわからないのである。システムを設計した厚労省は、入力の人的な作業をまったく考慮しなかったからである。
 いくらシステムがあっても、使いこなせなければ、管理などできるはずはない。システムが期待どおりに動いていれば、国は医療機関や保管施設を含めた各自治体の在庫状況を一目瞭然に把握できるので、ファイザー製に限れば、今の時点でワクチン不足は起こらない。全体の接種実績の約2倍の供給を、総量として各自治体に配布済みだからである。7月以降9月までに、7千万回分が供給される見通しで、合計で1億7千万回分以上、8千5百万人分に達する。この数字は、人口の70%に相当し、接種が順調に進めば、集団免疫に近づくと考えられるものである。それでも、「不足」起こるのは、ワクチンが「どこに行ったか分からない。行方不明」のためなのである。
 7月8日、内閣府が都道府県別の供給量に対する接種率を公表した。宮崎県が68%で最も高く、大阪府が46%と最も低かった。この数字でも、全体で半分程度の接種しかされていないので、当面の間、不足はないように見える。しかし、国も認めているが、実態は未入力がどれくらいあるのか、見当がつかないので、正確なところはまったく分からないのだ。これは、各自治体も同様に、その先の接種機関の実態が分からないので、在庫の偏在が正確に把握できないのである。
 さらには、日本が公表しているVRSによる接種実績も、本当に正しいかどうか分からない。未入力や誤入力がどれくらいあるか分からない。それが実情である。

 原因②「調達見通しの甘さ」
 モデルナ製の方は、実際に調達できた数量が当初の契約より少なかったという理由による。当初は、6月末までに4000万回分調達できるはずが、1370万回分だったということである。これについては、河野太郎担当大臣は5月連休前から知っていたが、批判を避けようと、恐らく意図的に公表を遅らせたので、問題がさらに大きくなっただけである。
 そもそも、ワクチンが契約どおりには、調達できないのは、国際的「常識」である。EUがアストラゼネカ社に供給遅れを理由に提訴したのは、3月と5月のことである。そのことで分かるように、世界的にワクチン争奪戦が起きており、契約どおりにならないのは、冷静な人間なら誰でも予見可能なことだ。それだけ、日本政府は「世界の非常識」のことをやっているのである。

 もはや、こういう状況になるのは、政府の「バカ丸出し」のせいとしか言いようがない。
 
 
 
 
 
 
 
 



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畏れ多くも畏くも、陛下が「反対」と宣い給うのだから、五輪は中止?

2021-06-28 09:19:59 | 政治
 
 6月24日に西村泰彦宮内庁が、天皇がコロナ危機下の東京五輪の開催を「懸念していると拝察した」と発言した。この発言に対し、菅首相は「(西村氏)本人の見解を述べたと理解 している」として、問題視しない考えを示した(読売新聞)という。しかし、五輪開催派の右派は「政治的発言で憲法違反」だという。極右の八木秀次麗澤大教授は「五輪を中止に追い込みたい人々は必ず政治利用するだろう。これは陛下のお立場として望ましくない(zakzak6.25)。」と反応した。
 
 この発言が物議を醸すことになったのには、海外メディアの報道も大きく影響している。24日にワシントン・ポストは「五輪開催に重要な不信任投票」と見出しを掲げるなど、海外メディアは概ね、天皇が五輪開催に反対しているという趣旨の報道をした。このような海外メディアの反応を、日本のメディアは大きく報じた。
 
 確かに五輪中止派の中には、「政治的発言でなく、陛下が国民を心配しただけ」「天皇の声は国民の声と捉えて真剣に向き合うのが当然だ。」(NEWポストセブン6.25)という声が多い。「歴史的メッセージはなぜ出されたのか?(aeradot.)」、「ご懸念を否定するのは、不敬ではないか(NEWポストセブン)」、立憲民主党の安住淳も「言葉の重みをかみしめなければいけない」などと言い(報道多数)、 天皇の「お気持ち」は重要だとして、中止に結びつけたいという意図が表れているものも散見される。
 しかし実際には、多くの国民が、天皇の発言によって、「開催すべきだ」から「中止すべき」にというように、意見を変えるというようなことは考えづらい。ネット上でも、もともとの中止派が「天皇も心配している」と言い、開催派は「政治利用するな」と言っているだけで、天皇の発言によって意見が変わったなどというツイートは皆無といっていい。国民の多くは、天皇がこう言ったから、それに従おうなどとは思わないのである。
 
 結局のところ、中止派の一部が重要視すべきだと言い、開催派は「政治利用を恐れた」だけであり、中止派の勢いが増したなどとはなっていない。上記のワシントン・ポストは「日本政府やIOCを当惑させるだろう」 と書いたが、天皇の意向が、世論を左右することはなく、日本政府もIOCも当惑するような動きは起きていない。

 メディアでは憲法学者の発言は多くは紹介されていないが、九州大の南野森教授(憲法学)が 「天皇の気持ちの代弁は悪用されれば政治利用につながる。それこそ憲法が警戒していること」(jiji.com)というのが、平均的なものだろう。憲法第4条の「天皇は」「国政に関する権能を有しない」とは、天皇の、国政に与える一切の影響を排除すると解釈すべきであるからだ。それは、歴史上、天皇の名において、様々な行為がなされたことへの反省でもある。これは極めて重要であり、天皇の「お気持ち」が、五輪が国家の事業という性格を持つ以上、それをどうすべきかに影響などあってはならないのである。
 当然のことだが、五輪中止派の多くの人たちは、その原則を理解している。立憲民主党を社会民主主義的な党に近づける努力をしている山口二郎法政大教授は、twitterで「私は天皇発言を契機に五輪中止の流れが強まることは日本の政治にとって結果オーライでは済まないになると思う。止めることには賛成だが、止め方が問題」と言っている。また、日本共産党の志位和夫は「天皇は憲法で政治に関わらないことになっており、それをきちんと守ることが必要だ」 と言っている。(複数の報道)
 本質的には、天皇が「ご心配されているから」などと言うのは、「畏れ多くも畏くも、陛下が『反対』と宣い給うのだから、五輪は中止すべき」と言うのと、大きな差はないのである。
 
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