学術会議の政府による任命拒否の問題は、英国の科学誌「ネイチャー」が「黙って見ているわけにはいかない」とすぐさま反応したように、民主主義を標榜する国家においては、学問に対する国家の圧力であり、やってはいけないことは明白である。しかし、菅首相は国会答弁でも明確な説明を避け、むしろ学術会議側に問題があるかのように論理をすり替えて、間違いを認めようとはしない。現時点でも追求するメディアや勢力もあるものの、菅政権は逃げの姿勢を崩さす、状況は逃げ切れるかのようにすら見える。
それはメディアによる世論調査でも、政府の対応に「問題なし」とする意見が過半数を占めるなど、「世論」が容認する姿勢を示しているからでもある。だがしかし、学問の自由に政治的圧力をかけることは、一切許されないとするのが、通常の民主主義に対する考えであるはずだ。菅首相が任命拒否の理由を答えられないのは、彼自身が民主主義上「やってはいけないこと」だという認識があるからであり、もし容認されると考えていれば、「政治的に意見の異なる学者は任命しない」と答えればいいのである。それにもかかわらず、何故「問題なし」などという意見がこれほど広まるのだろうか?
右派は容認、中道・左派は批判
トランプの選挙集会で、アメリカの医学責任者である国立アレルギー感染研究所のファウチ所長に対し、極右のトランプ支持者は辞めさせろという叫び声をあげた。自分たちに都合の悪いことを言う学者は辞めさせろということである。勿論、トランプ自身はさすがにそこまでは言わなかった。当然のことだが、CNNはじめアメリカ主要メディアは、そのことを批判的に報道した。これは、日本の学術会議の中で自分たちに都合の悪いことを言う学者は辞めさせろ、ということと同じである。しかし、奇妙なことに日本の場合では、メディアによって対応が分かれているのである。
学問に対する政治権力による対応というこの問題を、政党でいえば、政権党は別にして、右派の維新は「容認」、立憲、共産、社民は「批判」の立場である。このことは、メディアでも同様なかたちで分かれており、右派のメディア、新聞で言えば読売、産経は容認し、概ね中道の朝日、毎日は批判的な記事を連日載せている。権力とカネの強い影響を受けるテレビは、一部で右派のタレントが容認論を述べるほかは、NHKも含め黙認する姿勢を見せ、ほぼこの問題を避けている。また、右派論調の雑誌等で、内閣官房参与になった高橋洋一などが、さかんに学術会議側に問題があるかのように、政府の意向を宣伝することに努めている。
人々がこの問題をどう考えるかは、どうしてもマスメディアの情報に頼らざるを得ず、その論調に強く影響されてしまう。日本ではテレビ、新聞、ネットニュースともいずれも右派系メディア(中道右派から極右までの)が強く、その多くが問題なしとしているので、人々の意見もそのようになるのである。言わば、世論の動向はマスメディアの動向の反映なのである。
もともとファシズムなど極右思想は民主主義を否定しているので(すべての極右がファシズムと親和性があるわけではないが)、一部の極右トランプ支持者が、都合の悪い学者を排除しろと言うのは理解できる。しかし、民主主義そのものを否定している訳ではない中道右派までが「問題なし」とするのは何故なのか? そこには民主主義とは別の問題があり、民主主義よりも優先されるものがあると彼らが考えるからである。
このことが問題化した直後に、維新の創立者である橋下徹は、「学術会議は軍事研究反対の立場を他の研究者に強制している」という趣旨の発言で政府を擁護したが、強制しているかどうかは別にして、この問題の根幹に軍事研究があるのを見抜いている。
学術会議は昭和24年に制定された日本学術会議法の前文の「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し」とあるように、一貫して平和と福祉が根本的理念であり、その正反対を志向する軍事研究には反対の立場を維持してきた。自公政権の戦争ができる国づくりには、軍事研究は必須である。端的に言えば、その妨げになる学者たちは、政府にとっては、邪魔なのである。政府が任命拒否した6名に安保法制や共謀罪に反対した者が含まれるのは、それを証明している。
軍事力よって、敵対する国家との戦争を抑止するという安全保障論がある限り、軍事力の向上は必須の要件となる。この抑止とは、相手が攻撃してきた場合、軍事的対応を行って損害を与える姿勢を示すことで、攻撃そのものを思いとどまらせる軍事力を維持するというものだが、相手方も同様な考えに立っており、双方が常に今以上の軍事力の増強を目指すことになる。相手方よりも強力な軍事力維持のためには、軍事研究は欠かせない。現実に、アメリカもヨーロッパも中国もロシアも、勿論日本も、その他ほとんどの国で、軍事力の向上が図られており、そのための軍事研究がさかんになされている。
自分たちに都合が悪いからといって、任命拒否するのは民主主義に反する。しかし、民主主義よりも優先するものがある。政府も、それを擁護するメディア、評論家も、総じて中道右派から極右までは、そう考えているに違いない。何故ならば、そういった例は世界中で山ほどあるからだ。