先日のブログで、加藤周一さんが、知識が細分化すればするほど、細分化された知識の関連が見失われ、物事の全体像は把握困難になる旨を指摘したことを紹介した。
受験勉強で得た知識や流行りの雑学知識は、まさに「細分化された知識」だろう。どちらも、現実世界の理解には多少寄与するだろう。しかし、その理解は、中途半端な部分的にとどまる。なぜなら、各知識間の関係が不明であることにより、全くジャンルの異なる知識間を埋めることはできないから。
この知識フェチズムは、過剰な程の膨大な知識量をもたらす一方、私たちがその知識の深い森の中の迷子となることとなった。
受験勉強で得た知識や流行りの雑学知識は、まさに「細分化された知識」だろう。どちらも、現実世界の理解には多少寄与するだろう。しかし、その理解は、中途半端な部分的にとどまる。なぜなら、各知識間の関係が不明であることにより、全くジャンルの異なる知識間を埋めることはできないから。
この知識フェチズムは、過剰な程の膨大な知識量をもたらす一方、私たちがその知識の深い森の中の迷子となることとなった。