幕末・・・・
長きに渡る徳川家康が始めた江戸幕府の終焉。
同時に源頼朝が始めた数百年の武士の世の中の終わりである。
黒船来港により、開国をよびなくされ・・・
不平等条約を結ばれ、それに反発する水戸藩や長州藩ら尊王攘夷派が暗殺行動に出るなど・・・
世の中が不安になり、特に京都は特に酷かった。
幕府は清河八郎らで浪士組を結成。
しかし清河は別の目的であり、近藤勇や芹沢鴨らと対立。
清河離脱後、京に残ったメンバーで新選組を結成。
長州藩などの尊王攘夷志士と戦った。
蛤御門の変や第一次長州征伐でどんどんか活躍する新撰組。
しかし
第二次長州征伐で一辺。
どんどん離反者が出たり、幕府の権威が落ちたり・・
それに伴い新撰組は地に堕ちてしまった。
徳川慶喜の大政奉還
鳥羽伏見の戦い・・・
江戸城無血開城。
新撰組は幕府に従い近藤勇などの多くの仲間を失い・・・ながらも
新時代の流れに抗う・・・
【1869年】
白河口の戦いで敗れ、二本松城が落城。
公現入道親王(後の北白川宮能久親王)を盟主とする奥羽越列藩同盟もかなりのダメージを負った。
新政府軍参謀・板垣退助と伊地知正治らが雪が降る前の会津攻めを主張。
その案が採用され・・・会津へ進撃した。
一方
土方歳三「よぉ」
新撰組、土方歳三
斎藤一「土方さん、怪我の方は大丈夫ですか?」
新撰組、斎藤一
土方歳三「なんとかな、むしろおちおち眠れんよ。」
斎藤一「しかし。」
土方歳三「近藤さんや多くの仲間は死んだし、永倉達は離脱し・・・新撰組もどんどんいなくなっても俺は・・・戦わないといけない。」
土方は怪我を押して戦いに参戦した。
今回の戦は重要、おちおち眠れないと・・・
斎藤らに心配されるが、土方は刀を持って陣地で寝て戦いに備えた。
会津藩は進行予測の中山峠に守備を強化。
新政府軍を待ち構える。
しかし
新政府軍は裏をかいた
母成峠へ板垣・伊地知が率いる主力部隊1300名
土佐藩の谷干城が率いる勝岩の台場方面に兵1000名
別働隊として薩摩藩の川村純義が率いる300名を送り込まれる。
本命だった中山峠に陽動部隊800名が進撃した。
「報告、坂下で会津軍と伝習隊が新政府軍と交戦。会津藩は敗走し、伝習隊に被害を出しましたがなんとか進撃を食い止めました。」
土方歳三「よしなんとかなるな。」
坂下で前哨戦が始まった。
伝習隊が奮戦、会津軍逃亡・・・
会津軍が情けない結果になりながらも、なんとか足止めに成功。
土方はこの結果を受けて、なんとか勝てる確率は上がったと思った。
その翌日・・・・・
「土方さん大変だ!」
土方歳三「どうした?」
「敵です、数は恐らく数千!?」
土方歳三「来たか!皆の者、準備しろ!」
濃霧の中、薩摩軍と土佐軍を主力とし長州軍・佐土原軍・大垣軍・大村軍で構成された・・
新政府軍2200名が会津城下を目指し、土方ら幕府軍に対峙した。
土方ら新撰組組と田中源之進率いる会津軍や二本松軍と仙台軍含めて800名しかいない。
だが
ここは戦場だ!
土方達は数で勝る新政府軍に睨み付け攻撃のチャンスを待った。
ズドォンズドォン
土方歳三「今だ!突撃しろ!」
本格的な戦いは砲撃の音声によって始まった。
新政府軍と旧幕府軍はお互いの陣地へ向けて砲撃し・・・・
銃撃戦と白兵戦が繰り広げられる。
「チェストぉぉぉぉぉぉぉ」
土方歳三「甘い!勝てるか!」
「がぁぁ」
「くそ強いぞ!」
「これが新撰組だと言うのか?距離をとれ!」
土方や斎藤などの新撰組も戦う。
圧倒的な数の新政府軍に怯まず、ただ意識を集中させて戦った。
全力でやらねば勝機は上がらない。
全力で殺さなければ、勝つことも生き残ることもできない。
どんな相手だろうが殺して生き抜く・・・・
土方や斎藤は奮戦し、新政府軍兵士を斬り殺す。
板垣退助「流石は新撰組だな、甲斐で壊滅させたのにまだ生きている。」
新政府軍板垣退助.参謀
伊地知正治「確かに敵にまわせばどれだけ脅威かは分かるでごわすな。」
新政府軍伊地知正治.参謀
板垣退助「まぁそれが面白い連中なのよ、厄介な敵ほど早く潰したいが。」
新政府軍の陣地に布陣する板垣退助と伊地知正治。
あまりにも奮戦するので、二人は驚きつつも冷静に観察する。
どんなに強かろうが、戦力差の前では無力。
板垣達はそう考えていた。
パンッパンッパンッパンツパンツ
「ぐぁぁぁ」
斎藤一「くそ、守りが固いか。」
土方歳三「守りが固いなら死ぬ気で斬り込め!」
池田七三郎「どけどけ!薩奸には負けんぞ!」
新撰組、池田七三郎
激しい戦闘により幕府軍は次々に倒れるが・・・
土方ら新撰組の闘志は消えず、島田魁や中島登らの隊士達は新政府軍に斬り込む。
しかし
鈴木三樹三郎「新撰組久しぶりだな!土方!」
新政府軍徴兵七番隊鈴木三樹三郎
土方歳三「鈴木!」
鈴木三樹三郎「新時代の為、負けんぞ!」
鈴木三樹三郎らが土方歳三ら新撰組組に立ちふさがる。
鈴木は新撰組九番隊組長の役職についた新撰組隊士で・・・
鈴木だけではなく加納鷲雄や阿部十郎・内海次郎らも参戦していた。
彼らは新撰組から別れた御陵衛士のメンバーであり・・・
思想の違いから分裂した元新撰組隊士である。
篠原泰之進「七三郎、まだ幕府に従っているか!」
新政府軍篠原泰之進
池田七三郎「従って何が悪いか!」
新撰組同士の戦い・・・・
今の我々からすれば衝撃的な光景であるが・・・
彼らは倒幕か佐幕に分かれただけに過ぎず、特別な念はない。
お互いに刃を交えて戦い殺し合う。
鈴木らは明治時代以降も戦い抜き・・・生き抜いた一人鈴木は警察官になるなどしている。
「第一台場陥落、第二台場も炎上」
斎藤一「くっ」
土方歳三「第三台場まで撤退、態勢を立て直す」
戦線はどんどん悪化する。
第一台場や第二台場など、幕府陣営の陣地が制圧されていく・・・
追い詰められた幕府軍は第三台場まで後退・・・
新政府軍に必死に抗う。
土方歳三「内藤殿、小原殿」
内藤「おお土方殿」
守将.内藤介右衛門
小原「どうなされた?」
砲兵隊長.小原宇右衛門
土方歳三「敵は明朝には必ず猪苗代まで押し寄せるだろう。諸口の兵隊を残らず猪苗代に回すべきである。さもなくば、明日中にも若松まで押し寄せるだろう」
唯一、史実で判明している土方の行動は内藤と小原に警告している。
しかし
それもむなしく、内藤と小原は若松城下町撤退を優先にし・・・
戦線を維持する事は出来なかったと言う。
土方歳三「戦線は崩壊・・・・もはやこれまでなのか?いやまだ終わらん。まだ機会は残されているはずだ!」
圧倒的な戦力さ不利さもあり、土方は一瞬諦めかけたが・・・
それでもやり通さねばならぬ事がたくさんあった。
例え己のみが朽ち果ててでもやらねばならぬ事が・・・・
「突撃!」
「殺せ!殺せ!」
「ぐぁ」
「ぎゃあ」
土方歳三「くそ新政府軍め、奇襲を仕掛けてきたか!」
新政府軍は砲撃の末に、濃霧に乗じて背後を強襲。
幕府軍は混乱し一気に戦線が崩壊・・・
新政府軍優先に一気に進んでいく・・・
大鳥圭介「戦え!まだ負けてないぞ!」
幕臣大鳥圭介
大鳥は叱咤するがむなしく混乱を納める事が出来ず・・・
戦線崩壊・・・・
新政府軍の会津方面侵入を許すことになる。
【猪苗代城】
土方ら幕府軍は敗走し、若松城下へ目指していた。
猪苗代には猪苗代城と言う会津藩の拠点があったが・・・
城代・高橋権大夫により焼き払われている。
土方は同じく若松城下へ敗走している斎藤らと合流した。
斎藤一「えっ庄内へ!?」
土方歳三「庄内藩に向かい、援軍を要請する。このまま会津藩単独では戦えない。」
斎藤一「そうか、気をつけろよ!」
土方は斎藤に庄内藩に援軍に援軍を頼みにいくと伝える。
聞いていた斎藤は泥だらけの顔をふき、土方を激励した・・・
その後、大鳥と共に庄内藩へ向かう土方に手を振りながら斎藤は若松城下へ向かった。
これが永久の別れになるとは思わなかっただろう・・・
結果は・・・
土方歳三「無理だったか・・・斎藤すまん・・・・」
歳三の望みむなしく、庄内藩に入城叶わず・・・
今さら会津に戻ることができないため
大鳥圭介らと共に仙台へ向かった。
その後
会津藩は長きに渡る激戦の末、降伏。
斎藤一もしばらく抵抗してたが、説得により降伏した。
白虎隊二番隊の悲劇、婦女隊の悲劇、城下町婦女子の自殺。
多くの人間が死んだ会津戦争・・・
斎藤一「土方、お前は武士として殉じろよ。俺と違ってな・・・」
斎藤一は高木時尾と結婚し・・・藤田五郎と改名。
警視庁に所属し、西南戦争に従軍。
大正の世まで生きるのである。
(長男勉は陸軍少佐、孫の実は陸軍兵士として沖縄戦に参戦し捕虜として終戦を迎えている)
一方
土方歳三「戦いはまだ終わってない、俺は最期まで戦い見事に果ててみる。」
土方は大鳥と共に脱出し、函館を目指した。
もう自分に出来る限りできるのは死に場所を求めるのみ・・・
そう考えながら、土方は海の人になる。
その後
土方は宮古湾海戦を転戦した後、函館にて銃弾を受け落馬。
仲間が駆けつけた時には絶命・・・
最期まで武人らしく、消えゆく武士の世に殉じて死んでいった。
その後
新撰組伝説の終焉
【昭和12年(1937年)】
池田七三郎「どんどん新撰組の仲間は死んでいったな。わし以外に生きている者は聞いたことはないな。」
池田七三郎・・・・
あの戦いを生き抜き、89歳のよぼよぼなおじいさんになっていた。
時は第二次世界大戦間近の昭和
池田がこうして歩いている今から一年前ほどに
陸軍将校らのクーデター二・二六事件が起きている。
池田七三郎「そろそろわしも土方さんや皆の者へ行けるのだな、この世は一人でさびしゅうございます。」
昔の新撰組の仲間を思い出しながら涙を流す。
そして自分がそろそろ・・・そちらへ旅たつ事を・・
池田は新撰組の仲間との思い出を思い出す・・・・
苦しくも楽しかった日々が・・・
池田七三郎「幕末の世から何年経ったのだろうか、わしも若かったのう。今では新撰組の隊士で生きているのは、わしくらいか・・・」
もう既に新撰組と呼ばれる面々はもういない。
新撰組の幹部であった斎藤一や永倉新八は15年前に亡くなっている。
事実
この時点で生きているのは、池田ただ一人であった。
近年、池田は新撰組の事について証言していた。
坂本龍馬暗殺は新撰組が関与してない、大名姿の近藤勇など・・・
遠い遠い幕末の頃の新撰組の事をいろいろと取材していた母沢寛に話した。
【昭和13年(1938年)1月16日】
新撰組の中で一番長生きした池田の最期の時がやってきた。
もうそろそろ皆の者へ行くのだなと・・・・
そう感じながら・・・・
「池田、皆が待っているぞ」
「あの世でも秩序守らんと、ほら早くこい!」
眠っている池田は夢を見た。
かつて行動を共にした新撰組の仲間に呼ばれている夢を・・・
夢の中の人物はあの頃と一緒だった。
幕末の動乱をかけた、あの頃と同じ新撰組だった時の姿に・・・
池田七三郎「皆、わしも今いくけぇ」
池田七三郎、昭和13年1月16日死去。
彼の死をもって新撰組として生き、己の義に殉じた新撰組の男達は皆。
亡くなった。
池田は死んだのではなく、ただ新撰組の仲間の元へ行った・・・
時は昭和 第二次世界大戦と呼ばれる戦いが起こる数年前の出来事であった。
誇りと共に威厳と共に死を
長きに渡る徳川家康が始めた江戸幕府の終焉。
同時に源頼朝が始めた数百年の武士の世の中の終わりである。
黒船来港により、開国をよびなくされ・・・
不平等条約を結ばれ、それに反発する水戸藩や長州藩ら尊王攘夷派が暗殺行動に出るなど・・・
世の中が不安になり、特に京都は特に酷かった。
幕府は清河八郎らで浪士組を結成。
しかし清河は別の目的であり、近藤勇や芹沢鴨らと対立。
清河離脱後、京に残ったメンバーで新選組を結成。
長州藩などの尊王攘夷志士と戦った。
蛤御門の変や第一次長州征伐でどんどんか活躍する新撰組。
しかし
第二次長州征伐で一辺。
どんどん離反者が出たり、幕府の権威が落ちたり・・
それに伴い新撰組は地に堕ちてしまった。
徳川慶喜の大政奉還
鳥羽伏見の戦い・・・
江戸城無血開城。
新撰組は幕府に従い近藤勇などの多くの仲間を失い・・・ながらも
新時代の流れに抗う・・・
【1869年】
白河口の戦いで敗れ、二本松城が落城。
公現入道親王(後の北白川宮能久親王)を盟主とする奥羽越列藩同盟もかなりのダメージを負った。
新政府軍参謀・板垣退助と伊地知正治らが雪が降る前の会津攻めを主張。
その案が採用され・・・会津へ進撃した。
一方
土方歳三「よぉ」
新撰組、土方歳三
斎藤一「土方さん、怪我の方は大丈夫ですか?」
新撰組、斎藤一
土方歳三「なんとかな、むしろおちおち眠れんよ。」
斎藤一「しかし。」
土方歳三「近藤さんや多くの仲間は死んだし、永倉達は離脱し・・・新撰組もどんどんいなくなっても俺は・・・戦わないといけない。」
土方は怪我を押して戦いに参戦した。
今回の戦は重要、おちおち眠れないと・・・
斎藤らに心配されるが、土方は刀を持って陣地で寝て戦いに備えた。
会津藩は進行予測の中山峠に守備を強化。
新政府軍を待ち構える。
しかし
新政府軍は裏をかいた
母成峠へ板垣・伊地知が率いる主力部隊1300名
土佐藩の谷干城が率いる勝岩の台場方面に兵1000名
別働隊として薩摩藩の川村純義が率いる300名を送り込まれる。
本命だった中山峠に陽動部隊800名が進撃した。
「報告、坂下で会津軍と伝習隊が新政府軍と交戦。会津藩は敗走し、伝習隊に被害を出しましたがなんとか進撃を食い止めました。」
土方歳三「よしなんとかなるな。」
坂下で前哨戦が始まった。
伝習隊が奮戦、会津軍逃亡・・・
会津軍が情けない結果になりながらも、なんとか足止めに成功。
土方はこの結果を受けて、なんとか勝てる確率は上がったと思った。
その翌日・・・・・
「土方さん大変だ!」
土方歳三「どうした?」
「敵です、数は恐らく数千!?」
土方歳三「来たか!皆の者、準備しろ!」
濃霧の中、薩摩軍と土佐軍を主力とし長州軍・佐土原軍・大垣軍・大村軍で構成された・・
新政府軍2200名が会津城下を目指し、土方ら幕府軍に対峙した。
土方ら新撰組組と田中源之進率いる会津軍や二本松軍と仙台軍含めて800名しかいない。
だが
ここは戦場だ!
土方達は数で勝る新政府軍に睨み付け攻撃のチャンスを待った。
ズドォンズドォン
土方歳三「今だ!突撃しろ!」
本格的な戦いは砲撃の音声によって始まった。
新政府軍と旧幕府軍はお互いの陣地へ向けて砲撃し・・・・
銃撃戦と白兵戦が繰り広げられる。
「チェストぉぉぉぉぉぉぉ」
土方歳三「甘い!勝てるか!」
「がぁぁ」
「くそ強いぞ!」
「これが新撰組だと言うのか?距離をとれ!」
土方や斎藤などの新撰組も戦う。
圧倒的な数の新政府軍に怯まず、ただ意識を集中させて戦った。
全力でやらねば勝機は上がらない。
全力で殺さなければ、勝つことも生き残ることもできない。
どんな相手だろうが殺して生き抜く・・・・
土方や斎藤は奮戦し、新政府軍兵士を斬り殺す。
板垣退助「流石は新撰組だな、甲斐で壊滅させたのにまだ生きている。」
新政府軍板垣退助.参謀
伊地知正治「確かに敵にまわせばどれだけ脅威かは分かるでごわすな。」
新政府軍伊地知正治.参謀
板垣退助「まぁそれが面白い連中なのよ、厄介な敵ほど早く潰したいが。」
新政府軍の陣地に布陣する板垣退助と伊地知正治。
あまりにも奮戦するので、二人は驚きつつも冷静に観察する。
どんなに強かろうが、戦力差の前では無力。
板垣達はそう考えていた。
パンッパンッパンッパンツパンツ
「ぐぁぁぁ」
斎藤一「くそ、守りが固いか。」
土方歳三「守りが固いなら死ぬ気で斬り込め!」
池田七三郎「どけどけ!薩奸には負けんぞ!」
新撰組、池田七三郎
激しい戦闘により幕府軍は次々に倒れるが・・・
土方ら新撰組の闘志は消えず、島田魁や中島登らの隊士達は新政府軍に斬り込む。
しかし
鈴木三樹三郎「新撰組久しぶりだな!土方!」
新政府軍徴兵七番隊鈴木三樹三郎
土方歳三「鈴木!」
鈴木三樹三郎「新時代の為、負けんぞ!」
鈴木三樹三郎らが土方歳三ら新撰組組に立ちふさがる。
鈴木は新撰組九番隊組長の役職についた新撰組隊士で・・・
鈴木だけではなく加納鷲雄や阿部十郎・内海次郎らも参戦していた。
彼らは新撰組から別れた御陵衛士のメンバーであり・・・
思想の違いから分裂した元新撰組隊士である。
篠原泰之進「七三郎、まだ幕府に従っているか!」
新政府軍篠原泰之進
池田七三郎「従って何が悪いか!」
新撰組同士の戦い・・・・
今の我々からすれば衝撃的な光景であるが・・・
彼らは倒幕か佐幕に分かれただけに過ぎず、特別な念はない。
お互いに刃を交えて戦い殺し合う。
鈴木らは明治時代以降も戦い抜き・・・生き抜いた一人鈴木は警察官になるなどしている。
「第一台場陥落、第二台場も炎上」
斎藤一「くっ」
土方歳三「第三台場まで撤退、態勢を立て直す」
戦線はどんどん悪化する。
第一台場や第二台場など、幕府陣営の陣地が制圧されていく・・・
追い詰められた幕府軍は第三台場まで後退・・・
新政府軍に必死に抗う。
土方歳三「内藤殿、小原殿」
内藤「おお土方殿」
守将.内藤介右衛門
小原「どうなされた?」
砲兵隊長.小原宇右衛門
土方歳三「敵は明朝には必ず猪苗代まで押し寄せるだろう。諸口の兵隊を残らず猪苗代に回すべきである。さもなくば、明日中にも若松まで押し寄せるだろう」
唯一、史実で判明している土方の行動は内藤と小原に警告している。
しかし
それもむなしく、内藤と小原は若松城下町撤退を優先にし・・・
戦線を維持する事は出来なかったと言う。
土方歳三「戦線は崩壊・・・・もはやこれまでなのか?いやまだ終わらん。まだ機会は残されているはずだ!」
圧倒的な戦力さ不利さもあり、土方は一瞬諦めかけたが・・・
それでもやり通さねばならぬ事がたくさんあった。
例え己のみが朽ち果ててでもやらねばならぬ事が・・・・
「突撃!」
「殺せ!殺せ!」
「ぐぁ」
「ぎゃあ」
土方歳三「くそ新政府軍め、奇襲を仕掛けてきたか!」
新政府軍は砲撃の末に、濃霧に乗じて背後を強襲。
幕府軍は混乱し一気に戦線が崩壊・・・
新政府軍優先に一気に進んでいく・・・
大鳥圭介「戦え!まだ負けてないぞ!」
幕臣大鳥圭介
大鳥は叱咤するがむなしく混乱を納める事が出来ず・・・
戦線崩壊・・・・
新政府軍の会津方面侵入を許すことになる。
【猪苗代城】
土方ら幕府軍は敗走し、若松城下へ目指していた。
猪苗代には猪苗代城と言う会津藩の拠点があったが・・・
城代・高橋権大夫により焼き払われている。
土方は同じく若松城下へ敗走している斎藤らと合流した。
斎藤一「えっ庄内へ!?」
土方歳三「庄内藩に向かい、援軍を要請する。このまま会津藩単独では戦えない。」
斎藤一「そうか、気をつけろよ!」
土方は斎藤に庄内藩に援軍に援軍を頼みにいくと伝える。
聞いていた斎藤は泥だらけの顔をふき、土方を激励した・・・
その後、大鳥と共に庄内藩へ向かう土方に手を振りながら斎藤は若松城下へ向かった。
これが永久の別れになるとは思わなかっただろう・・・
結果は・・・
土方歳三「無理だったか・・・斎藤すまん・・・・」
歳三の望みむなしく、庄内藩に入城叶わず・・・
今さら会津に戻ることができないため
大鳥圭介らと共に仙台へ向かった。
その後
会津藩は長きに渡る激戦の末、降伏。
斎藤一もしばらく抵抗してたが、説得により降伏した。
白虎隊二番隊の悲劇、婦女隊の悲劇、城下町婦女子の自殺。
多くの人間が死んだ会津戦争・・・
斎藤一「土方、お前は武士として殉じろよ。俺と違ってな・・・」
斎藤一は高木時尾と結婚し・・・藤田五郎と改名。
警視庁に所属し、西南戦争に従軍。
大正の世まで生きるのである。
(長男勉は陸軍少佐、孫の実は陸軍兵士として沖縄戦に参戦し捕虜として終戦を迎えている)
一方
土方歳三「戦いはまだ終わってない、俺は最期まで戦い見事に果ててみる。」
土方は大鳥と共に脱出し、函館を目指した。
もう自分に出来る限りできるのは死に場所を求めるのみ・・・
そう考えながら、土方は海の人になる。
その後
土方は宮古湾海戦を転戦した後、函館にて銃弾を受け落馬。
仲間が駆けつけた時には絶命・・・
最期まで武人らしく、消えゆく武士の世に殉じて死んでいった。
その後
新撰組伝説の終焉
【昭和12年(1937年)】
池田七三郎「どんどん新撰組の仲間は死んでいったな。わし以外に生きている者は聞いたことはないな。」
池田七三郎・・・・
あの戦いを生き抜き、89歳のよぼよぼなおじいさんになっていた。
時は第二次世界大戦間近の昭和
池田がこうして歩いている今から一年前ほどに
陸軍将校らのクーデター二・二六事件が起きている。
池田七三郎「そろそろわしも土方さんや皆の者へ行けるのだな、この世は一人でさびしゅうございます。」
昔の新撰組の仲間を思い出しながら涙を流す。
そして自分がそろそろ・・・そちらへ旅たつ事を・・
池田は新撰組の仲間との思い出を思い出す・・・・
苦しくも楽しかった日々が・・・
池田七三郎「幕末の世から何年経ったのだろうか、わしも若かったのう。今では新撰組の隊士で生きているのは、わしくらいか・・・」
もう既に新撰組と呼ばれる面々はもういない。
新撰組の幹部であった斎藤一や永倉新八は15年前に亡くなっている。
事実
この時点で生きているのは、池田ただ一人であった。
近年、池田は新撰組の事について証言していた。
坂本龍馬暗殺は新撰組が関与してない、大名姿の近藤勇など・・・
遠い遠い幕末の頃の新撰組の事をいろいろと取材していた母沢寛に話した。
【昭和13年(1938年)1月16日】
新撰組の中で一番長生きした池田の最期の時がやってきた。
もうそろそろ皆の者へ行くのだなと・・・・
そう感じながら・・・・
「池田、皆が待っているぞ」
「あの世でも秩序守らんと、ほら早くこい!」
眠っている池田は夢を見た。
かつて行動を共にした新撰組の仲間に呼ばれている夢を・・・
夢の中の人物はあの頃と一緒だった。
幕末の動乱をかけた、あの頃と同じ新撰組だった時の姿に・・・
池田七三郎「皆、わしも今いくけぇ」
池田七三郎、昭和13年1月16日死去。
彼の死をもって新撰組として生き、己の義に殉じた新撰組の男達は皆。
亡くなった。
池田は死んだのではなく、ただ新撰組の仲間の元へ行った・・・
時は昭和 第二次世界大戦と呼ばれる戦いが起こる数年前の出来事であった。
誇りと共に威厳と共に死を