日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

退職後の独り言(1)

2021-11-20 08:02:41 | エッセイ
  「退職後の独り言、月食」

 令和3年11月19日(金)の午後5時半頃より、月食が見れました。次第に欠けてきて、18時過ぎには、もう、9割ほど欠けた状態になりました。感動しました。
 もう、こんな光景(9割以上も月が欠けること)、残りの人生では、殆どないだろうなあと思いながら、家内と、買物の帰りに、じっくりと見ました。
 昔だと、月が欠けてきたと言うことで、大騒動になった例もあるのでは・・・?!いや、これを悪用して、政治に使った支配者も、多かったのでは・・・?!
 まあ、それと類似してるかどうか、分かりませんが・・・選挙前に、コロナ感染者数が少なくなって、選挙結果にも、それが少なからず影響したのでは・・・何て、思ったりもしましたが・・・?!
 正直、コロナ禍での各国の対応、どこも、あまり上手く行っていない感じですね・・・?!ワクチンを沢山の人に打っていても、その後、大流行している国もありますし、あまりしてないのに、激減している国もありますし・・・正直、ワクチン効果、どうなんでしょうか・・・?!
 あんなに遠くに見える月が、地球の海水を引っ張っているなんてことを考えると、地球人の力なんて、微々たるものですね。

*写真は、自宅の庭から、今回の欠けた月を撮ったものです。
*https://www.youtube.com/watch?v=0wrTj8o1N0I(←ワクチン効果?)
 
 (令和3年11月20日、記載)


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退職後のささやき(30)

2021-11-19 07:55:20 | エッセイ
  「退職後のささやき、ど素人の多国語講座」

 6年前(平成27年)の今頃、「ど素人の楽しい多国語講座」を作成しました。
 後で見ると、恥ずかしい限りです。
 もっと分かり易い、興味のある内容にするはずが、分かりにくい、面白くない感じになってしまいました。私の当初の計画とは、大きくずれています。
 私の多国語の語学は、大学に入っての教養課程の時から始まりました。大学初めの2年間は、語学中心の教養課程って感じでした(ドイツ語とフランス語の講義では、大学受験の時の英語の予習の様に、全訳を書いて、講義に出席していましたが・・・)。その間、日中友好協会にも通って、中国語の初歩を(15回)勉強していました。
 大学卒業後は、仕事が忙しくて、多国語の勉強は、殆どしていませんでした。
 41歳で、「(19床の)たはら小児科医院」を開業して(応援医師なくて)、救急中心の医療をしていました。生活が、24時間、全くの缶詰状態になっていました。で、その合間を利用して、(院長室に引いた)有線で、NHKの語学講座をイタリア語から始め、それが面白くなって、どんどんと、(自分でも驚くほどの)語学オタクになってしまいました。
 私の院長室(炉を切って、茶室にしていましたが・・・)に、アメリカ人やオーストラリア人や(フランス語を話すケベック出身の)カナダ人(←この人に、フランス語を個人的に1年間、教わりましたが)以外に、韓国人やロシア人やギリシャ人やイタリア人も、お茶を飲みに来ました。
 私の故郷の佐伯市に(20年間)続けて永く住んでいる間に、ドイツ人や中国人や沢山のインドネシア人とも、会話を交わしました。そんな時、語学の知識の大切さ(挨拶程度ですが)を感じていました。
 釜山で、(3週間ほど)ハングルの語学学校にも通いました(ダブルスクールでした)。イタリアのフィレンツェで、イタリア語の語学学校に1カ月間通ったりもしました。
 初めの予定では、多国語の録画は、ゆっくりと確実に進めて、面白くて、分かり易いのを作成して、28年の終わり頃に、何とか出来上がればいいかなあって感じに思っていたのですが・・・いつものせっかちな性格の為、一応、取り敢えず、不完全ながらも、出来上がってしまいました。
 結果的には、ど素人(!!)の楽しい(でなく、よく分からない、面白くない・・・)多国語講座となってしまって、誠に申し訳ありません。
 それでも、私なりのつたない多国語講座が、貴方の多国語学習上、何らかの参考にちょっとでもなれば、私にとって、こんな嬉しいことはありません。


その1(無気音と有気音)
http://www.youtube.com/watch?v=P9GdlbxgRds
 無声音と有声音、有気音と無気音、声調、声門閉鎖音、そり舌音

その2(トルコ語など)
http://www.youtube.com/watch?v=MSfJjkFbJEQ
 オの口をしてエと言う、ウの口をしてイと言う、イの口をしてウと言う。

その3(タミル語など)
http://www.youtube.com/watch?v=t6PaZFL6khI
 「K」行→「C」か「S」行→そり舌音の「T]行→「T」行→「P」行→「YRLV(W)」→「SH」「S」「H」「'a」

その4 (ミャンマー語、ギリシャ語、ヘブライ語)
http://www.youtube.com/watch?v=xs7pwUtU6mU
 「ミャンマー語」26個、「ギリシャ語」24個 、「ヘブライ語」22個の覚え方(私流)

その5(アラビア語、ペルシャ語、ウルドゥー語)
http://www.youtube.com/watch?v=pkWhwiTWMOA
 「アラビア語」28個、「ペルシャ語」32個、「ウルドゥー語」35個の覚え方(私流)

その6(ベンガル語、ヒンディー、シンハラ語、パンジャービ-語)
http://www.youtube.com/watch?v=mINvU8NJHAA
 「ベンガル語」子音字32個、 「ヒンディー」33個、「シンハラ語」34個、「パンジャービー語」35個(母音を含む)

その7(タイ語)
http://www.youtube.com/watch?v=WmFbTajKD00
 中子音字・高子音字・低子音字に分ける、声調符号で発音変化

その8(カンボジア語)
https://www.youtube.com/watch?v=0uK3VenlLnU
 「Aグループ」と「Oグループ」に分けて覚える、脚

その9(チベット語)
https://www.youtube.com/watch?v=mCMhvR48u_k

その10(ベトナム語、トルコ語、インドネシア語)
https://www.youtube.com/watch?v=-HNOD3tB6pU

その11(ロシア語)
https://www.youtube.com/watch?v=ABDw9HyMfKA(11-1)
https://www.youtube.com/watch?v=Fo18LFZ6bXo(11-2)
https://www.youtube.com/watch?v=RMuGpOu4VrQ(11-3)
硬母音字と軟母音字、硬音記号と軟音記号、無声子音字と有声子音字

その12(独・仏・西・伊・中・韓)
https://www.youtube.com/watch?v=UHsoj5wBx8Q(12-1、フランス語1)
https://www.youtube.com/watch?v=UQe4bN7A0r4(12-2、ハングル1)
https://www.youtube.com/watch?v=iMiyQ7dDA3k(12-2、ハングル2)
https://www.youtube.com/watch?v=ZXMBNkGqNDU(12-2、ハングル3)

その13(17カ国語で、1日中使える、こんにちは!)
https://www.youtube.com/watch?v=xicFFRcHLss

その14(ポーランド語)
https://www.youtube.com/watch?v=mgzUXYRqRzQ(14-1)
https://www.youtube.com/watch?v=7l5eyu1EobQ(14-2)
https://www.youtube.com/watch?v=gotpMQsyZFM(14-3)
https://www.youtube.com/watch?v=h0ykM6WiXKc(14-4)

http://saikinokai.com/wp-content/uploads/yoronakajuku/08_100701tahara.pdf(←海外から見た日本の姿)
https://www.youtube.com/watch?v=dGwyyDQWrz0(←NHK)

 海外旅行で、ちょっとでもその国の言葉で話すと、楽しさも倍増します。まず、現地の言葉で、「こんにちは」と言い、次に、「ありがとう」、そして、「さようなら」と言ってみては如何でしょうか?地図を広げて、タクシーの運転手さんに、○○お願いしますと言ったり、更には、レストランで指さして注文したり・・・「何処から来たのか?」(よく、尋ねられますが・・・)と尋ねられて、「日本から」と言えればいいですね。後で、いい思い出が出来ます。今や、日本へも、いろんな国から来ています。今は、コロナ禍で来れませんが、落ち着けば、訪日の数、どんどん、多くなると思います。
 現地でも、現地の言葉の一言でも言えば、雰囲気がガラッと変わりますね。トルコのイスタンブールやタイのチェンマイやポーランドのワルシャワで、「こんにちは」とよく言われました。嬉しいですね。

 (令和3年11月19日、少し修正して、再掲)


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退職後のささやき(29)

2021-11-18 08:08:47 | エッセイ
  「退職後のささやき、空白恐怖症」

 毎日、結構、忙しいです。まあ、意図的に、自分で忙しくしてるのかも知れませんが・・・?!
 令和3年11月17日(水)にしたことを書いてみました。
 朝、起きると、コップ一杯の水を飲んで、血圧を定して(←いつも、記録をノートに記載していますが)、(前もって書いた内容で→)ブログに記載します。何か、これをしないと落ち着かない感じになっていますが・・・?!
 (小学生が登校を終えた頃の)朝8:15過ぎから、手袋して、少し早足で、太陽の光を浴びながら、散歩をします。独りで。気持ちがいいです。
 帰ると、ベトナム語をユーチューブで、勉強します。真剣です。途中で、紅茶を飲みます。紅茶、美味しいです。英会話の前に、前日録画したNHK教育テレビのスペイン語と中国語を見ます(火曜日は、ドイツ語、木曜日は、イタリア語、金曜日は、フランス語、そして、ハングル)。
 (私の場合、11:00~11:25が多いのですが→)オンラインDMM英会話、昨年10月から始めたのですが、何とか続いて、今、500回近くになっています。私と先生との間で、いろんな質問が飛び交います。これも真剣です。英会話の先生に、自分の録画した和太鼓演奏や篠笛演奏や茶道を、ユーチューブで見てもらっています。手品と篠笛とハーモニカのライブも、その時に披露して、喜んでもらっています。音楽に国境はないですね。いつも、最後に時間が足りなくなって、慌ています。
 前日の19時から、16時間以上開けて、やっと12時過ぎに、朝食抜きの昼食を摂ります。とても美味しいです。この日は、外に出て、近くの中華料理の店「香春」で、家内と一緒に食事を撮りました。帰りに買物して、帰りました。車ないので、歩くのが、とてもいい運動になっています。
 午後は、ピアノを弾き、詰め将棋をし、ベトナム語を再びして、夕方、(半地下の半防音室で)太鼓を打ち、結構、忙しくしています。藤井龍王の将棋は、欠かさず、楽しく、見ています。
 夜は、19時半前後には、食事を済ませ、「報道1930報道」を見ます。食事の時は、テレビは見ません。
 夜は、再び、ベトナム語などの多国語、そして、インターネット、ブログの原稿を書きます。子ども達と、よく、メイルしています。この日は、長女と長男としました。
 23時前には、床に付きます。夢の中でも、語学を勉強している様ですが・・・?!(そして、朝、途中で起きることなく、グッスリ熟睡して、今日の7時過ぎに目を覚まして、7時半前に起きました。)
 家内から、「ベトナム語みたいな感じで、寝言言ってたよ・・・」、更には、「空白恐怖症かもね・・・」何て言われていますが・・・?!

*写真は、西田病院勤務時の時、小児科の外来で、朝、診察前に並んだ、診察券です。朝、就職当初は、9時に外来診察を始めていましたが、次第に早くなり、退職する直前は、7時半からしていました(たはら小児科医院も、7時半開始)。夜も、毎晩、20:00~21:00に、小児救急をしていました。冬の月曜日には、多い時には、300人近くを独りで診ていました。

 (令和3年11月18日、記載)

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退職後のささやき(28)

2021-11-17 08:00:04 | エッセイ
  「退職後のささやき、医療の在り方」

 医療の在り方は、どうあるべきでしょうか?
 「医療は、患者さんの為にある、医療側の為ではない。」そう、昔から言われてきました。しかし、医療費抑制が次第に厳しい今、現実には、どうでしょうか?
 実際には、国公立でも、採算が合わないと、国から統合や縮小される運命にあります。
 私の場合、医師になって、初めて勤務した病院は、「宮崎県立宮崎病院」の小児科でした。その時の小児科の部長(既に故人となられていますが)から、常に、次の様に、言われていました。
 「検査は、最小限度でするように、不必要な検査は、しないように。薬は、必要なものだけを。」と。そう言われた部長は、もう、他界していませんが、どんな時にも、医療する時には、その精神を思い出していました。
 現場では、検査のデメリット、治療のデメリットに関しては、あまり、語られてない感じがしています。
 乳児に、咳止めや鼻水止めや抗生剤を、親が望むからと言って、それを頻回にあげるとどうなるのでしょうか・・・→自分の力で治る力が落ちて、免疫力が落ち、アレルギーを起こしやすくなったりするのでは・・・?!
 体が咳をして出そうとしているのですから、特に、湿性の咳では、鎮咳剤は、良くないのでは?それに、抗ヒスタミン剤のペリアクチンやポララミンなど、第1世代の抗ヒスタミン剤をあげると、喘息発作の時には、痰が引っかかって、危なくなることもあるのでは・・・?!
 強い抗生物質を長く、あげていると、腸内細菌叢が乱れて、却って、その後、感染症にかかりやすくなるのでは・・・?!
 アメリカでは、小さい子どもの風邪薬は、勝手に、個人では、使えなくなっていますし、医師による小児の抗生物質の使い方も、厳しくされていますが・・・。
 レントゲンを何度も撮ると、やはり、大きな集団では、それによる副作用も、考えるべきだと思います。頭を打ったから、心配だから、CTで頭の検査をとの親御さんからの依頼を受けることがありますが、そんな時、医療側は、検査の副作用なども、しっかりと説明するべきだと思います。CTによる被曝量は、多いですから、それに、小さな子どもであれば、尚更、感受性が高いですから。
 大人の検診でも、検査して、擬陽性で、詳しく検査をするまで、胃がんや子宮がんの心配を深刻にしているケース、しばしば、耳にします。これって、9割以上が正常だとしたら、結果が出るまでの免疫力の低下、誰が責任を取ってくれるのでしょうか。
 検診によるデメリット、殆ど、話題になりませんが、それも説明されておくべきではないでしょうか・・・それに、検査も、時に、見逃しがあって、100%じゃないし・・・?!
 血圧を下げることのデメリットも、全身的な立場で言われるべきでは?
 入院すると、運動量が減り、筋力などが衰えますが、このことに関しても、もっと、声高に言われるべきでは・・・!
 コロナワクチン、メリットとデメリットを考えれば、子どもにも打つ方がいいって感じで、政府やマスコミや専門家は、言われますが、まだ、ADEや自己免疫疾患が起きるかどうか、はっきりしてなく、日本の場合は、諸外国と比べて、子どもの死亡率や重症例、極めて少ないのに、そんなに急いで打つ必要、あるのでしょうか・・・?!
 自分の体は、医療側に全てを任さず、主体性を持って、自分で守るべき時代になっているのでは、と思うようになっています・・・。

*https://www.youtube.com/watch?v=_thJ6TLd8v8(←和田秀樹先生の話)
*https://www.drizumi.com/(←新しい医療)
*https://www.youtube.com/watch?v=3ids-5EbAp0(←アンチエイジング)

 (令和3年11月17日、少し修正して、再掲)


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退職後のささやき(27)

2021-11-16 08:17:46 | エッセイ
  「退職後のささやき、年齢」

 令和3年11月15日(月)、近くのシルバーセンターに頼んで(←昨年は、依頼しませんでしたが・・・いつもの様に)、庭を綺麗にしてもらいました。朝の8時過ぎから来て、夕方の4時過ぎまで、男性一人と、女性一人の二人が来てくれて(←その前に、下見に来ていましたが・・・)、次々と手際よく、仕事をして行きました。
 男性に年齢を尋ねると、何と、大きな声で、少し恥ずかしげに、「87歳!」と、笑顔で言われて、驚きました。「自分の手が思う様に動かないので困る・・・」と、口惜しそうに、言われていました。ハシゴを使って高い所を独りで登っているのを見ると、こちらとしては、ハラハラすることもありましたが、本人は、慣れているので、そんなことないみたいで・・・。
 何か、自分も、頑張らねばと言う気になりました。一昨日は、若い藤井龍王から強いパワーを頂きましたが、この87歳の男性からも、それに劣らず、強烈なパワーを頂きました。ありがとうございました。私の心も、庭同様に、リセットされた感じです。
 気も移るとよく言われます。周りが、あまりやる気がないと、自分もそうなるとか・・・?!それを心のエイズと言うとか・・・?!
 87歳のこの男性の様に、いい気を周囲に振り巻いて、生きて行きたいと思います。
 
 (令和3年11月16日、記載)


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退職後のささやき(26)

2021-11-15 08:07:01 | エッセイ
  「退職後のささやき、藤井竜王誕生」

 令和3年11月13日(土)、18:30過ぎ、122手で、豊島将之前竜王が、藤井聡太三冠に、投了し、藤井聡太三冠は、四冠に、そして、藤井竜王になりました。それも、7番勝負で、4連勝して。正に、将棋界で、頂点に立ったのです。
 一日目、ほぼ五分で、二日目、ある所まで、豊島竜王の方が優勢な感じだったのですが、それが、ある一手で、突如ひっくり返って、その後は、藤井三冠が、はっきり優勢のまま、勝ち進みました。
 解説者も、よく分からない、難しいと言い、戦っている両者も、そんな感じで・・・それに、あるAIでは、豊島優勢に、別のAIでは、それが逆になっていて、AIの診断も、どうなのかなあって感じで・・・?!
 試合が終わっても、藤井竜王、ニコリともせず、豊島前竜王も、悲しそうな顔もせず、これ、正に、日本式礼儀のお手本かなと思いました。
 又、藤井龍王、勝っても、「まずい所があったので、それを次回に修正して・・・」って感じで、謙虚にいつも通りに言われました。凄いですね。本当に強い人は、謙虚ですね。勝って奢らず、負けて挫けずですね。
 最年少四冠後に、更に、五冠、六冠、七冠、そして、最終的には、羽生善治九段の様に、全てのタイトルを制覇して、八冠となるのかどうか・・・誰にも分かりませんが・・・。藤井四冠にとっては、そんなことよりも、将棋の面白さの深みをどんどん味わって、楽しんでいる様に感じます。
 記者会見で、マスコミが、お金の使い方に付いて、藤井竜王に尋ねていましたが(←マスコミは、もうちょっと、質問内容、吟味した方がいいのでは・・・)、笑って、まだ、考えてないと応えにくそうに正直に言われていました。そんな質問にも、腹立てず、応えている10代の竜王は、ホント立派ですね。師匠が言われる様に、お金や記録など、あまり関心なく、将棋、そのものの真髄を究めたい人なんですね。
 そうですね、藤井龍王の様に、勉強も、そして、仕事も、楽しんでするといいですね。

*写真は、ニュージーランドのオークランドで撮ったものです。

 (令和3年11月15日、記載)


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退職後のささやき(25)

2021-11-14 08:02:46 | エッセイ
  「退職後のささやき、増加」

 令和3年11月13日(土)、第2回目の「初級ベトナム語講座」でした。
 何と、この日は、母親と一緒に来ていた子どもの同級生も、加わって、11人と、前回よりも2人増えていました。
 年齢の言い方、名前の言い方、一人ずつ、ベトナム語で実際に話して、先生からチェックしてもらいました。ベトナム語の場合、人称が相手によって次々と変わるので、大変ですね。年齢を聞かないと適切な人称が使えないので、まず、相手に、年齢を尋ねるのが普通になっていますが・・・!
 10:30~12:00まで、ビッチリ声を出して(皆、マスクをして)勉強しました。次の3回目は、和楽で、ベトナム料理を皆で作って、食べるとのことでした。材料を各自が持って来る訳で、その詳細は、後でメイルで知らせるとのことでした。その内、ベトナム音楽も披露してくれるみたいで、ベトナム語の勉強だけでなく、文化も、楽しんで勉強することになっているんですね。楽しみです。
 そうですね、言葉ばかり勉強でなく、こんな感じの語学勉強、いいですね。そう言われてみれば、大学の教養課程の時、日中友好協会主催で、中国語の入門編を教わっている時に、皆で、餃子を作って、楽しく食べた思い出があります。食は、人を良くする、正に、字の通りですね。
 
 (令和3年11月14日、記載)


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退職後のささやき(24)

2021-11-13 08:26:04 | エッセイ
  「退職後のささやき、物忘れ」

 令和3年11月11日(木)、佐伯駅の近くのレストランに、家内と一緒に、行きました。で、そこで昼食を摂った後に、市場に行って、買物をしました。この日は、普段通りの賑わいでした。
 そこから帰る時、傘を忘れていたことに、家内が気が付きました。どこで忘れたのか、多分、レストランだろうと言うことで、再び、そのレストランに行くと、直ぐに、そこの職員の人が、目が合うと、こちらが何も言わないのに、「傘が・・・」と言われて、渡してくれました。
 よく、傘を忘れていることが多くて、数ヶ月前にもあって、その時には、もう、出て来ませんでしたが・・・。(←雨が降ったり止んだりしている時に、傘を忘れることが起きます。高級傘だとそれもないのでしょうが・・・?!)
 令和3年11月12日(金)は、自分の物忘れのひどさに、自分でも、あきれました。循環器のクリニックに行って、薬局に行った時に、保険証と診察券が、ないのです!アレッ!って感じで、必死に探しました。小さなバッグから、全てを出して(いつか、この中を整理しようと思っていたのに、ずっとしてなくて)、入念に見てもない!アチコチ探すもない!参ったなあと思って、ひょっとしたら財布の中では?と思って開けると、やはり、そこにありました。大切なものなので、直ぐに、財布に入れておいたんですね。
 手袋も、この日は、2回も落としていました。クリニックに行く時に、落としていて、気が付かず、ゴミ収集車に乗っている人から、指摘されて、気が付きました。又、薬局でも、片方だけがなくて、探していると、足下に落ちていましたが。
 自宅に帰って、直ぐに、受診する時に持ち歩くバッグの中をきれいに整理しました。
 断捨離の大切さが、身に染みました。
 物忘れ、近頃、多いなあ・・・スマホ、よく探しています。

 (令和3年11月13日、記載)


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退職後のささやき(23)

2021-11-12 13:57:34 | エッセイ
  「退職後のささやき、日記」

 令和3年11月12日(木)、8:15頃、家を出て、散歩することが多いのですが、この日は、3ヵ月に1回の循環器内科を受診することになっていたので、散歩の時間を少し早くして、8時頃に、家を出て、散歩しました。すると、いろんな事を発見しました。(→毎日が、一期一会ですね・・・?!)
 小学校の前で、交通整理をしているKさんがいました。区長のKさんの自宅が、学校の近くなので、恐らく、毎日しているのでは・・・と思いました。
 小学生、ギリギリに行く子、多いんですね。小走りに、小学生が登校していました。(私を見ると、逃げる感じで、離れる様に思える子が、どこでも、いる感じなのですが・・・こちらとしては、不審者と思われない様に、気を使っているつもりなのですが・・・)
 大きなゴミ袋を持って、大きなハサミを持って、ゴミを拾っている若い男性がいました。素晴らしいですね!見ている方も、心が綺麗になる感じになります。
 帰り際に、警察官の乗ったオートバイとパトカーが、何度も、大きなサイレンを鳴らして、走っていましたが・・・こんな早朝に、何があったのかなあ・・・?!
 1日1日、どんどん変化しています。今日は、どんなドラマがあるのかな?!

 (令和3年11月12日、記載)


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退職後のささやき(22)

2021-11-11 07:48:20 | 旅行
  「退職後のささやき、海外旅行」

 コロナのパンデミックで、海外旅行が、国によっては、簡単に行けないケースも出て来ていますが・・・
 私が、佐伯で仕事をしていた時、アメリカの人で、津久見高校で教えている人(AETassistant English teacher)から、月に4回程、フリートーキングで、英会話を教わっていました。
 彼女の生き方を見て、かなり考えさせられました。彼女、お金が貯まると、直ぐに、海外旅行をしていました。それと、周りが有給休暇を取らなくて働いていることに、強い疑問を抱いていました(・・・それに、日本の英語教育の不自然さを)。
 私の場合は、学生の時は、お金もないので、旅行何て、考えもしていませんでした。それが、次第に、旅行に興味を持ち、時間とお金があれば、どんどんしようと思う様になっています。
 周りを見ると、全く海外での旅行に興味を持ってない人、います。「もう、(海外何て)行くことないかも・・・」何て言う人もいます。
 海外旅行をして、「言葉が通じなくて・・・」と難儀した話をし、もう、海外よりも日本の方がいいって感じで言われる人もいます。
 海外旅行のガイドブックには、いろんな事が書いていますが、正直、実体験に勝るものはないですね。
 その旅行も、体力がある間は、海外に行けますが、高齢になると、海外、特に、飛行機だけで10時間近くも掛かる遠方は、難しくなりますね。睡眠不足なのに、強行スケジュールで、集団で回っている日本人を海外でよく見てきましたが、出来れば、もっとゆとりのある旅行の方がいいですね。
 ゆとりを持って、言葉もそれなりに勉強して、それを使って、自分なりの旅行をすると、いいと思うのですが・・・それが出来る為には、それなりの準備も、怠りなくしておく必要があると思います。
 旅行は、する前に楽しみ、している時も当然楽しみ、した後も、思い出して楽しむと、楽しみも倍増ですね。
 テレビで、自分が訪れた所が紹介されていると、思い出して、又、そこに行った気分になります。テレビでは、有名な所、何度も、出て来ますね。たった一度だけしか行っていなくても、それを見て、何度も、楽しんでいます。
 私の場合は、もう、国内旅行は出来ても、海外旅行には、体力的に、出来ない感じになっていますが、今までにアチコチに行った時のことを何度も思い出して、楽しんでいます。

*写真は、2005年5月8日、フィレンツェからの日帰りで、個人的に(イタリア語学学校で、同じクラスで勉強していた日本人の男性と一緒に)行って、ローマで撮ったものです。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%81%AE%E6%B3%89

 (令和3年11月11日、再掲)


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