日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

山鹿市立病院小児科常勤医不在に!

2007-06-30 17:44:13 | Weblog
 平成19年6月30日の熊本日日新聞より
 
 (熊本県県北にある)山鹿市山鹿の山鹿市立病院(本郷弘昭院長、201床)は29日、週5日(月~金曜)に行っている小児科の外来診療を、7月下旬から週2日に減らすことを明らかにした。ただ1人の小児科医が開業を理由に、同月末で退職し、常勤医が不在となるため。週2日の診療は熊本大医学部からの応援医師が担当する。
 同病院によると、今年3月末まで小児科には医師3人が常勤し、昼間の外来診療のほか、夜間の救急外来や重症患者の入院なども受け入れていた。 しかし、医師2人が3月末に同大医学部に引き揚げられたため、夜間の救急外来と入院患者の受け入れを休止。同大や県外の大学医学部に医師の派遣を要請していた。
 同病院小児科の昨年度の外来受診件数は10.771件、入院患者数は848人。山鹿市のほか、菊池市や植木町などの周辺市町の利用者も多い。 本郷院長は「医師を確保しようと努力してきたが残念な結果になった。地域の住民に申し訳ない。今後も交渉を続け、来春までに医師を確保したい」と話している。

*熊本県は、(県北にある)荒尾市民病院も(県南にある健保病院の)八代総合病院も(天草にある健保病院の)天草中央総合病院も、既に小児科閉鎖の事態となっている。集約化した所も、夜間の時間外は、2時間待ちとかで大変そうだ。


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異性学その2

2007-06-30 11:37:19 | Weblog
 結婚する気はあるのだが、それ相応に、自分の納得できる相手がいないのでって感じで、独身生活を続けている人は多いと思う。男性の場合は、相手を養うだけの収入がまだないのでって感じで、躊躇しているケ一スも多いと思われるが。
 動物の世界は、メスがオスを決める。カンガル一などは、オス同志が格闘してるのを横目で眺めながら、物色している感じになっている。で、格闘して勝ったオスの方と結婚することになる。何故なら、自分の腹を痛める子どもの父親としては、強いオスがいいに決まっているからである。ライオンのオスは、ハ一レムの生活をしていると逞しさがなくなって、それを乗っ取ろうとする野性のオスにしばしば負けてしまう。すると、逃げて行く今までのオスには、メス達は見向きもしないで、次のオスを迎え、直ぐにそのオスの機嫌を取ろうとする。
 ヒトの世界はどうだろうか?
 男は、愛した女性を一生覚えている。アルコ一ルが入ると、思い出している男性、多いと思う。未練がましいのは、殆どが男性だ。女性は、別の自分の好きな男性が現れると、過去の男性への未練は、殆どなくなってしまう。これは、男性にとっては、信じられないこと。一緒になっている女性が、今まで愛した中で最も愛していれば、問題が起きることはない。しかし、そんな女性と結婚できる男性のケ一スの方が少ないはず。
 多くの男性は、結婚しても、「しまった、この女性と一緒になっておけば良かった・・・」と思うケ一ス、実に多いし、それが普通と断言する人さえいるかな?しかし、一般常識のある男性は、それで事がややこしくなると思うと、例え相手が熱烈にアタックして来ても、殆どの場合は、元のサヤに収まってしまう。が、女性は、かわいい子どもがいたり、真面目に仕事をする夫がいても、真剣に愛する男性が出現するとその人に突っ走ってしまうケ一スが多いし、現にそんなケ一スを小児科医として何例も見てきている。
 あるスナックのママさんが言っていた、「素人の主婦は、絶対に採用しないことにしています。いい寄る男性に走ってしまいますので・・・!」と。
 男性の自分に納得させる言い訳はこうだ、「子どももいるし、自分の妻も自分に今まで尽くしてくれているし、悪くはない。だとしたら、もう、この女を諦めるしかない」って感じで。
 しかし、男性の脳は、そう簡単に諦められない。一生、何かの時に思い出しているケ一スが多いと思われる。ある人は言う、そんなに真剣に女を愛せる様な一途な男性でないと、大きな仕事は出来てないはずと。


教訓2:女性には理解できないだろうが、男性は、過去の女性を引きずって生き、結婚しても残念だが、本当に愛した女性を忘れることが出来ない。これが男の悲しい性(さが)である。

あるアドバイス2:夫がある女性にめり込んで、朝帰りをする様になって、それをどうしても辞めない場合は、どうしたらいいかとの質問ですが、自分で自立出来る経済力があれば、即、諦めて早めに別れるのがベストの方法だと思います。女性の方が経済的に自立できない場合は、ホントに、深刻ですね。大人になり切れてない男性ですので、まず、直りませんね。早めに自分の方から別れた方が無難かも知れませんね。そんな男性だと、養育費も期待できないでしょう。その女性と別れても、又、別の女性が出来るでしょうから。子どもには罪はないので、そんな結婚相手を選んだ自分にも責任があるかと思いますが、別れても、決してその男性の悪口を子どもや周りに言わないことが、その女性の大人の生き方だと思います。




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為になるかも知れない本(その134)

2007-06-30 07:24:55 | Weblog
○昭和52年3月31日(木)晴。
 心臓外来があったが、それに行かずに、自分の受け持ち患者の手術(ピ一ナツによ気管支異物)に付いた。母親は、医者に対して全く感謝の念のない感じの人で、愛想が悪く、自分としては嫌な感じだった。耳鼻科の先生も、自分と同じ感じに言われた。これで、自分の診断通りにピ一ナツが入っていなかったらどうしようかと不安に思っていたが、やはりピ一ナツが入っていてホッとした(入った肺の方が、無気肺でなく肺気腫になっている)。医者というのはいつも仏の心になっていないといけないのだろうか、時には鬼になってみたいものだ。
○昭和52年4月5日(火)晴。
 ○○ベビ一の両親が来た。ここでしか不満を吐く所がないのかなあ。患者さんの方が強くて、医者の方が小さくなっている。患者さんの方が明らかに威圧的だ。
○昭和52年4月7日(木)晴。
 今日はまあまあ嬉しい日だった。というのも○○ベビ一の病名が付けられたからだ。大きな虫メガネで大堂先生が手の指紋を見て、全てに弓状紋があるから18トリソミ一症候群だろうと言われた(18トリソミ一症候群では、6個以上の弓状紋がある)。女児は男児よりも生きるが、それでも1カ年も生きられないだろうと言われた。嬉しい、信じられない位だ。教科書を見たら、頻度は35.000人に1人と書かれていた。この病気であれば、次の子どもを産んだとしても18になる可能性は、まずないなあ。予後と遺伝のことをバッチリ言えば、向こうの親から感謝されるかなあ?
○昭和52年4月13日(水)晴。
 夕方大堂先生から電話があって、(宮医大での)染色体の検査の結果、18トリソミ一症候群(18番目の染色体が3本ある)に間違いないとの返事だった。我が子が後1年も生きられないとわかれば、早くどうかしてとは言わないはずだし、もしもそう言ったとしたら、向こうの方が明らかにおかしいと思う。
○昭和52年4月14日(木)晴。
 ○○ベビ一の両親を呼んで話した。お母さんは泣いていた。何も言わずに。父親は、「早く」とまだそれでも言う。少し腹が立ったが、前よりは少し前進した。


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異性学その1

2007-06-29 17:49:56 | Weblog
 男は女が分からないと言う。女も男が分からないと言う。その結果、男女間のトラブルで悩んでいる人は多いと思います。男女の違いをいろんな本を参考にして、私なりの経験をも含めて以下に述べて行きたいと思います。(以前述べた内容と重複すること、お許し下さい)

 異性学その1
 一度インプットされてしまうと、人間の頭はなかなか切り替え出来ない。特に恋愛ではそうだ。
 10の内1つしかいいことがなくても、好きになってしまうと、「ほら、私の言う様に、こんなこともあるんだから」と言って周りを説得しようとする。
 逆に、10の内1つしか悪いことがないのに嫌いになると、「ネッ、やっぱりあの人は、あんな人なのよ」となる。
 これって、重症の恋愛病かな?
 ある人が結婚しようとして相談に来た、で、私が、「もっと慎重に考えた方がいいんじゃない、一生のことだし。貴方には、ちゃんとしたナースの免許もあるし、向こうの人は、別れたと言っても子どももいるし、仕事も不安定だし、友達関係もちょっと気になる所があるし、体も病気がちだし、まあ10人の内8~9人が辞めたほうがいいよと言われたら、そちらの方が正しいことが多いよ」とアドバイスした。しかし、彼女は、「私が健康のことは面倒見切れるし、共稼ぎをすればやって行けるし、・・・」と言って、その男性と結婚してしまった。
 結婚してしまうと、こちらももう何も言えずに見守るしかなかった。しかし、結果的には、生まれた子ども達がまだ成人になっていない段階で離婚してしまった。
 結婚して男性を変えようとしても、まず変わりませんネ。結婚する時は両目で見て、結婚したら片目で見なさいとは、昔からの格言です。
 どんな凄い恋愛結婚でも、それを維持するには、その後もお互いの耐えざる努力が必要と思っています。
 彼女、結婚後、(喧嘩するのは仲がいい証拠とは言われるが)喧嘩が絶えなかったみたいです。


 教訓1:周囲の10人の内の8~9人が辞めたほうがいいよと言う場合は、やはり、その人との結婚は、辞めた方がいい場合が多いかな?
教訓1:周囲の10人の内の8~9人が辞めたほうがいいよと言う場合は、やはり、その人との結婚は、辞めた方がいい場合が多いかな?

 あるアドバイス1:相手を真剣に愛していると思っていても、時間と距離を置いて、客観的に自分を見つめてみるゆとりも大切かと思います。


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為になるかも知れない本(その133)

2007-06-29 07:04:30 | Weblog
○昭和52年3月28日(月)曇。
 献血に行った。献血には今月は2回も行っている。帰ってみたら、昨日入院した未熟児が6回も呼吸停止を起こしていた。後遺症が残らなければいいが。初めての子どものせいか、父親は、ピ一ンときてない様だ。○○ベビ一の両親と話した。父親は、こちらに反感を持った感じで、いつも不機嫌な顔をしている。母親は泣いてばかり。奇形児を産んだ瞬間から人生が変わってしまったに違いないが、僕にはどうしても抹殺することは出来ない。
○昭和52年3月29日(火)雨。
 ○○ベビ一のことで頭が痛い。あの子が大きくなった時、僕は生かして良かったと思うだろうか。多分、あの時に亡くなっていたら、こんなに苦労しなくてもすんだのにと思うのではなかろうか。僕自身、この様な問題を持った場合の対処の仕方をちゃんと考えていなくて、こんな患者さんを持ってしまったのだ。だから、親に対する説得力が欠けているのだ。この問題は僕には解けない。つまり正解がないのだ。どこまで行っても、誰もが納得出来る正解はないと思う。人間は、社会性のある高等な生き物だから、どうしても周りを気にせずには生きられない。だからこそ、この問題が非常に難しくなるのだ。
○昭和52年3月30日(水)曇。
 奇形の子が元気にしている。この子どものせいで、僕はかなり神経を消耗してしまった。勉強も、手に付かずにノイロ一ゼ気味だ。僕はいいことをしているのか悪いことをしているのか全くわからない。ただ、はっきりしていることは、この子が生きても死んでも、僕は感謝されないだろうということだ。

 Drotarは、先天奇形を持つ子どもの誕生に対する両親の複雑な情緒反応を一般化して仮説的な図にあらわした。これによれば、まずショックを受けた両親は、次には外表奇形の事実を認めることを拒否し、「そんなはずはない」「信じられない」と言って、奇形であることに拒絶反応を示すといわれる。その後には、悲しみと怒りが続き、特に母親は泣いても泣いてもまだ足りない思いをし、又、「どうして自分の子だけが」というやり場のない怒りをおぼえるといわれる。この様な過程を経て、ようやく再起し、子どもを受け入れるに至る訳である。


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老後の過ごし方(海外編)

2007-06-28 19:43:24 | Weblog
 「先生、健康であれば、死ぬことはないです。それなりに仕事を見つけて贅沢しなければ、生きられますから・・・」、これは、ある内科の患者さんがあるナ一スに放った一言であった。
 今、50歳前後の人の心配は、65歳前に仕方なく退職した場合、その間生活が出来て、かつ65歳からの年金(その内に68~70歳)で、ちゃんと生活だできるかどかということであろう。
 退職しても、お金が足りないと思えば、ずっと仕事をそれなりに続けるはめになる。やはり、健康かどうかが、最も大切なこととなる。
 以上のことは、誰もが納得できること、で、私は、自分なりに海外で生活をしてみて、日本よりも格段に安くて生活が出来ることを身を持って体験した。
 タイのチャンマイでは、年間100万円で(今円安になってはいるが、それでも、150万円以内と思われる)、いいコンドミニアムに住んで、メイドさんも雇って、食事も作ってもらって、いい生活が本当に出来る。しかし、実際にそこに住んでみると分かることだが、それだけでは、そんな生活にその内に飽いてしまう。やはり、その地域の人達と同じモノを食べ、同じ様な生活が出来ないと、まずい。つまり、日本で赤の他人とのコミュニケーションをとることが根っから苦手な人は、難しい。それに、最低限の言葉は、どうしても必要となる。
 人を介すと、必ず、(その人達の仲介のお金も払う為に)高くなる。日本からのインターネットでは、それなりに高くなっている。となると、現地に行って一人で行動するしかない。しかし、現地の日本人には、注意が必要で、全く無償で世話をしてくれる人がいればそれに越したことはないが、その例は、少ないと思っていた方がいい。
 タイのチャンマイでは、現地の人が行くスーパーで食べ物を買っていた。スーパーで売られているのは、比較的安全な感じであったが、それなりに高かった(と言っても、日本よりは、格段に安いが)。日本食と言うだけで、タイ食の倍以上の値段が付いていた。屋台は、衛生面で問題があり、日本の様にしっかりとした農薬などの規正がないので、確かに安いが、私はあまり勧めたくない。
 インドネシアのバリでは、(デンパサールの周辺などでは)もっと安くなる。しかし、英語があまり通じないので、インドネシア語の不得意な人は、初めから安価な生活は難しいと思われるが、インドネシア語自体が習得しやすい言語なので、覚える気になれば、1年も経たずして、言葉の不自由はさほどないと思われる。
 大学に行くのにお金がないと言う人がいたら、東南アジアに行くのも、一理ある。現に、月に3万以下で生活して中国の大学を卒業した人や、(中国よりは高いが)韓国の大学を卒業した人を知っている。しかし、アメリカは、(自分の娘で経験したが、日本より)安くない。
 よく分からないままインターネットで調べて、お金を前もって払って語学の学校に行く人が多いかと思うが、これは、それなりに高額になっている。世話をする人の分、仲介する人の分が入っているから。特に、日本人を介していると、高くなる。需要と供給の関係で、実際に現地に行ってみると、それなりに出来るケーズが多い。私の場合、タイ語の先生は、電柱に貼っている紙で見つけた。一体、どんな人が来るのか心配だったが、チャンマイ大学を出たインテリの若い男性で、マンツ一マンで30回近く(英語を介して教わり)教わり、チャンマイにある語学学校(そこでも数回教わったが)での学費の半分で済んだ。そして、1ヶ月半余経って帰る時には、殆どタイ語を話していた(それまでに、日本でタイ人から約1年間程マンツーマンで教わっていたせいもあるが)。
 釜山に行った時も、前もって予約した大学でも(午前中、大学院生から)教わったのだが、それと平行して、そこにあった個人の語学学校(カナタ韓国語学院)でマンツ一マンで教わり、初級(2冊)・中級(2冊)・上級(2冊)の本の初級(2冊)が3週間足らずで全て終わった(予習を死に物狂いでしたが)。
 語学は、積み重ねの学問。年単位でしないと、身に付かない。実際に現地に行くこと、周りに出来るだけ日本人がいないこと、困ること、それで確実に身に付いて行くと思う。歳を取ると、やはり、このことは出来にくい様です。

*で、やはり、若い時に、短期間でも一人で海外生活をして、そのアレルギ一をなくしておくことが大切かとも思います。私の場合は、55歳~56歳で、ぎりぎりって感じでしたが(もちろん、個人差はあるかと思います)?


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お金で買えないもの

2007-06-28 12:39:25 | Weblog
 今の世の中、お金って感じになっている気がしないでもない。しかし、お金で買えないものが沢山あること、人間にとって幸せだと思う。自分なりに、お金で買えないものを考えてみた。
 ・過ぎ行く時間(誰しも、1日に24時間与えられている)
 ・自然(人間の力なんて、自然の力と比べれば、微々たるもの)
 ・見えないもの(神・魂・心)
 ・仏教で言う生病老死(人は、どんなに生きても、平均寿命の倍も生きられない)
 ・血縁の子ども(自分を生んだ親は必ずいても、子どもは、神の授かりもの、子どもが出来なくて悩んでいる人が多くなっている)
 ・真の愛(お金の結び付きではないと思う)、真の友達(共感しないと出来ないかな?)、真の喜び(苦労しないと生まれないかな?)、無償の愛

 まあ、いろんな意見はあるとは思いますが・・・・?!
 家内の老後の分は残しても、自分の子どもには、お金や財産は残さないことにしています。



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為になるかも知れない本(その132)

2007-06-28 06:44:14 | Weblog
○昭和52年3月22日(火)晴。(今から、30年前の日記からのものです)
 点頭てんかんの患者さんを受け持った。持ちたかった疾患だ。脳波を見たら、ウェスト症候群よりもレノックス症候群って感じがしないでもない?ACTHが効けばいいが。白血病の子、治療で白血球が少なくなっていなければいいが、少しドキドキだ。髄膜炎の子、ルンバ一ルが又も一度で入った。ナ一スもびっくしている。とても嬉しい。細胞数は、15になっていた。神様、明日もいい日であります様に。
○昭和52年3月24日(木)晴。
 どかどかっと○○ベビ一(先天性奇形症候群)の父親を含む4人が心臓外来の時にふいにやって来て、「どうかして欲しい」という感じでせまってきた。僕は、医者は生かすことは知っていてもその反対のことは出来ないと言った。全く頭が痛い。父親は僕に対して反感を抱いている。以前よりも増して。
○昭和52年3月25日(金)晴。
 ○○ベビ一の母親と会った。とても優しそうな人だったが、「どうかして下さい(生かさないで下さいの意味)」と言う。でも僕は頑固として言った。「生きようとしている子どもにそんなことが出来ますか」と。○○ベビ一、心疾患があるのに、以前よりも元気になっている。僕の立場も苦しい。
○昭和52年3月26日(土)晴。
 抄読会、面白くなかった。睡眠不足がたたっている。きつい。○○ベビ一のことを今日も真剣に考えた。「私達に苦労を押しつけるのですか」と言った父親の言葉が頭から離れない。

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トルコ料理

2007-06-27 12:02:57 | Weblog
 生まれて初めてトルコ料理を食べました。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20070625/3

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「病院がなくなる!?医師不足にあえぐ地域医療」NHK放映

2007-06-27 12:00:26 | Weblog
NHK朝のホット番組、6月27日8時30分~放映
病院がなくなる!?医師不足にあえぐ地域医療

 病院がなくなる!? ~医師不足にあえぐ地域医療~
 今、全国の地域医療が崩壊の危機に直面しています。大きな原因の一つが、医師不足。3年前の研修医制度の改革により、大学病院に残ろうという若い医師が減り、そこを医師の供給源にしていた地域の中核病院に、医師が不足する事態が起きています。首都圏のある地域では、地域の医療を支えてきた2つの中核病院が医師不足に陥り、あいついで内科や夜間救急を閉鎖することになりました。深夜、体調を崩した患者が救急車を呼んだものの、受け入れる病院が無く、2時間かけて40キロも離れた病院まで搬送されるという事例も現れました。地域医療崩壊の背景その解決策をさぐります。

 見ました。千葉県なのに、内科の医師がいなくなって、救急医療が貧弱状態になっている。深夜、一人の内科の当直医でさばき切れなくなって、院長が出て来ている。いつものパターンらしい。救急車から、子どもの急患の電話があったが、担当者がいないとのことで断っている。医師の顔も冴えない。疲れ切っている。こんな感じで、当直のドクタ一は、36時間連続働いている。ここだけではなく、多くの病院がそんな感じになっている。
 小児科医なんて、もっと悲惨だ。集約化した所も、深夜も絶えず来て、疲れ果てている所が多いとのこと。そんな所では、小児科の患者さんも、2時間待ち。で、今は、バスや電車の路線も廃止の方向になっている。集約化してない所は所で、その医師がいなくなったら、自然消滅の運命にある?これで、美しい日本何て誰が言えるのかなあ・・・。


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