日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

退職後の独り言(22)

2021-12-11 08:39:47 | エッセイ
  「退職後の独り言、客観性」

 オミクロン株が、どんどん広がって、多くの国が、危機感を持っていますが、客観的に見て、どうなんでしょうか・・・?!
 まず、感染力は確かに高いのですが、毒性がはっきりしていませんね。重症度や死亡数がしっかりと取り上げられていません。騒ぎ過ぎの感じがなきにしもあらずって感じに思えますが・・・?!
 ところで、毎年定番のインフルエンザ、予想に反して、昨年同様に、今回も、殆ど流行していませんね。コロナワクチンが無料で、インフルエンザワクチンが有料、これには、何か意図があるのでしょうか・・・?!今後、コロナワクチンを毎年打つとなると、有料になるのかな・・・?!
 コロナワクチンも、初めは、1回だけでも効くって感じで言われていましたが、それが2回なら、大丈夫と言われ、今では、2回では、オミクロン株には、25分の1しか、効果ない何て言われていますが・・・一体、何を信じたらいいのでしょうか・・・?!
 ワクチンを2回した人が、感染している報告がどんどん出ています。陽性の人が、感染を広げています。
 ワクチンを打つと、自然免疫力が低下します。打てば打つほど。今まで、ワクチンを積極的に打って来た欧米の方が、アフリカなど、あまりしてこなかった所と比べて、感染数が確かに多いですね。それも、今が、ピークって感じの所、欧米に多くなっていますが・・・!
 又、ウイルスも生きよう生きようとしているので、多くの人がワクチンを打つと、変異のスピードが上がるのでは・・・?!
 土台、WHOが、検査上のPCR陽性者を感染者としてしまった所から、世界中がそれに右に習えで、おかしくなってしまいました。WHOの責任は、大きいですね。オミクロンの名前は、WHOが中国に忖度しての結果だとか・・・もし、そうだとしたら、WHO何て、その程度のものってことでしょうか・・・?!
 政治家で、そのおかしさを声高に言う人、あまりいません。何故でしょうか・・・?!本当に、コロナワクチンで防げると思っているのでしょうか・・・?!打っても、こんなに増えているのに・・・!
 ワクチンによる副反応で(←予防接種の時だけ、副作用と言わないのも、何か、不自然でに思えますが)、苦しんでいる人が多いのに、マスコミは、取り上げなくて、あまり効かなくなっているワクチンをまだ勧めていますが・・・更には、ワクチンパスポート、それがあると有利、そして、義務化の方向に進行していますが・・・後で、ADEや自己免疫疾患の人が、どんどん出て来ると言う懸念、ありますよ・・・!

*https://www.nicovideo.jp/watch/so39715079(←松田学氏の話)
*https://www.nicovideo.jp/watch/sm39682473(←ワクチン有効?)
*https://www.youtube.com/watch?v=cDY9l4H05vY(←日本は、既に、集団免疫状態)

 (令和3年12月11日、記載)


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退職後の独り言(21)

2021-12-10 08:58:20 | エッセイ
  「退職後の独り言、カモ再来」

 令和3年12月8日(水)の9時半過ぎ、自宅の近くの畑で、昨年同様、カモを見ました。ちょっとした小家族って感じに思えましたが・・・。
 大事な花の芽を食べてるみたいで、畑の持ち主は、迷惑している感じですが・・・。
 どこから来たのかなあ・・・?!
 昨年と同じカモ、いるのかなあ・・・?!
 寒い時のみ、来ているけど、この冬、あちこち、どんな所を移動してるのかなあ・・・?!
 天敵は、いるのかなあ・・・?!
 一所懸命に食べているせいでしょうか、かなり近づいても、(いつもはサッと逃げるのに)逃げませんでした。目が合わなかったからかなあ・・・?!
 カモの動く姿を見ていると、和みますね。
 この平和そうなカモを見ていると、今後のカモ料理、食べづらく感じてきます・・・?!
 まあ、ヒトは、皆、生きている生き物の命を頂いて、生かされているんですね。ホント、(大事な命を頂いて)毎日、頂きますですね。
 朝のカモの数が、8日は、6羽、9日は、2羽、そして、今日(10日)は、いませんでした。

*https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A2(←カモ)

 (令和3年12月10日、記載)


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退職後の独り言(20)

2021-12-09 07:47:58 | エッセイ
  「退職後の独り言、80年」

 昨日(12月8日、アメリカだと、12月7日)、日本軍によるホノルルへの真珠湾攻撃の日でした。
 佐伯湾は、地形がホノルル市と似ていると言う理由で、大入島の周辺が、攻撃機の予行練習に使われたとのことです。当然、終戦前は、佐伯市は、アメリカ軍による空爆で、大きな被害を被りました。
 そんな苦い間柄でしたが、佐伯市とホノルル市は、その後、「友情都市」の関係を結び、その調印式で、私は、「さくら」と「荒城の月」を、披露することが出来ました。
 連合艦隊司令長官の山本五十六氏は、戦争は、本音は、したくなかったとのことです。軍事力は、アメリカの方が上だと、彼は、客観的な目で、思っていましたが、軍人は、政治家が決めたことに従うしかないと思い、戦うからには、それなりに戦うしかないと思って、指揮を取ったとのことです。

 以下は、「飯田中佐の涙」と題しての「2006.09.29 06:32」に記した私の内容です。
 佐伯市とホノルル市が、友情都市の関係になり、その為に、フレンドシップシティ調印式が、平成15年12月8日に行われることになり、市長以下佐伯市民約40名が、その調印式の為に、参加した。
 この時、私は、5カ所で、演奏することが出来た。
・12月7日の午前中、「カネホヘ空軍基地」の飯田(いいだ)中佐の墓の前で。
・12月7日の午後、「パンチボウル(共同墓地で、普段は、車は、走行中に、止めることが出来ない程の神聖な場所)」の頂上で。
・12月7日の夜、松尾ハワイ親善大使の自宅で。
・12月8日の午前中、ホノルル市庁舎での「佐伯市・ホノルル市のフレンドシップ調印式」の時に。
・12月9日の夜、最後の集まりで。
 その中で、一番思いで深いものとなったのは、飯田房太中佐(山口県出身、享年25歳)の墓の前での演奏。
 飯田中佐は、自分の飛行機が既に母艦に戻ることが(自分の飛行機の燃料タンクの個所がアメリカ軍に攻撃された為に)不可能と判断すると、まず、部下に帰る方向を指示し、部下が戻って行くことを確認して、自分だけ方向転換して、「カネオヘ空軍基地」の弾薬庫に(相手の被害を大きくする為に)突っ込んで自爆したのである。そんな彼を、アメリカ軍側は、その場所に、墓を作って弔っていた。アメリカ軍の心温まる厚意に感謝すると共に、若くして部下を思い、国を思い、戦争の為に、尊い命を無くした、名も知れぬ一人の日本人の存在を知って、私は、(上手に吹こうとか、格好良く吹こうとか、そんなことは、全く頭にない状態で)その時の状況を察しながら、彼のことを真剣に考えて、(太鼓の黒い服に着替えて、靴も換えて)心を込めて演奏した。
 小雨の降る中、篠笛から「さくら」の曲が流れた。ある女性(60歳)は、言った「先生、涙が止まらなかった。」と。又、ある男性(57歳)は、言った「自然と涙が出て来た。」と。そして、ある年配の人(ウナバラカイの会員の人)は、「飯田中佐は、こんな所まで見知らぬ日本の人が来て、自分の為に演奏してくれたことに対して、凄く喜んでくれたと思いますよ」と。
 今まで、あちこちで演奏して来たが、この時ばかりは、今までと違った感じに思えた。
 その後、その時から、凄い大雨となった。1996年以来とのことで、高速道路の一部が通行止めとなり、子どもが4名流され(幸いに、助かったが)、今まで断水で苦しんできたホノルル市が、全く逆の状態となった。
 同行していた教育長は、私に言った。「先生、これは、彼の涙ですよ。嬉し涙ですよ。」と。
*赤松さんが、真珠湾で飛行機からアメリカの艦隊を攻撃した時、フィスケさんは、艦隊の上でトラッペットを吹いている最中だった。突然、海の中へ投げ出され、九死に一生を得ていた。赤松さんも、その後、何度か、戦争で海に投げ出され、多くの旧友が死んで行く中で、奇跡的に生き延びて来た。その二人が、ホノルルの自宅に行き、病床に就いているフィスケさんを赤松さんが見舞いに行き、涙ぐんで握手していた。
 
以下は、平成15年12月4日の西日本新聞に掲載された内容。
 真珠湾攻撃
 1941年12月8日(米現地時間7日)、空母を主力とした旧日本海軍の連合艦隊を飛び立った攻撃機が、米ハワイ・ホノルル市の米軍太平洋艦隊を攻撃。戦艦4隻を撃沈し、米兵約2300人が死亡。真珠湾攻撃を引き金に太平洋戦争に突入した。佐伯市史などによると、連合艦隊は11月上旬、佐伯湾を真珠湾に見立てた最後の訓練後、佐伯湾を出航。北海道・択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に集結し、真珠湾へ向かったとされる。
 「真珠湾」平和の砦に 出撃地・佐伯市 ホノルルと友情都市 9日締結 日米元軍人の交流が縁
 太平洋戦争の引き金となった真珠湾攻撃から六十二年。連合艦隊の主力部隊が出撃した大分県佐伯市と米ハワイ・ホノルル市が九日(米現地時間八日)に「フレンドシップ・シティー」(友情都市)の調印を行う。イラク情勢の泥沼化やテロの多発など国家、民族間の紛争が絶えない中、真珠湾攻撃の“怨讐(おんしゅう)”を超え、地方都市から平和の砦(とりで)を築いていく。
 両市を結んだのは、佐伯市在住の旧海軍パイロット、赤松勇二さん(83)。真珠湾攻撃で米戦艦に魚雷を投下した。
 戦後五十年の節目を迎えた一九九五年八月。ホノルル市であった日米合同慰霊祭に招かれた。真珠湾攻撃で九死に一生を得た元米兵リチャード・フィスケさん(81)と出会い交流が始まった。
 「二十一世紀にわだかまりをひきずってはいけない」。赤松さんは地元の子どもたちをハワイに連れていくなど草の根交流を続けた。二人の行動に行政も動かされた。佐伯市が友情都市締結を持ち掛ける親書をホノルル市に送り、「歓迎」の返事が今年六月に届いた。
 佐藤佑一・佐伯市長を団長とする訪問団は五日、ハワイへ出発。パールハーバー式典に出席した後、九日(現地時間八日)の調印式に臨む。

 両市で交わされる「平和友好交流協定書」は「真珠湾を共有する両市が英知を結集し、ミニサイズの交流推進に努め、世界に向けて平和友好交流の範を示す」とうたっている。佐藤市長は「不安定な国際情勢のなかで、世界中の人々に力強いメッセージを送りたい」と平和交流をアピールする。
 フィスケさんは九七年、佐伯市の平和祈念館にネムノキ四本を贈った。そのネムノキは今年五月、初めてピンクの花を咲かせた。
追加:残念なことに、赤松さんもフィスケさんも、今は、故人となられています。ご冥福をお祈り申し上げます。

 私は、帰る前の日の午前中、ホノルル市の大きな動物園に行った。そこで、象を2時間近くも観察していた。2頭の17歳と28歳の象がいた。丁寧に体を洗ってもらい、食事も与えてもらっていた。飼育の人は、真剣に象の気持ちになって接しているなあと思った。前足を上げる芸(両足を上げていた)もしていて、見ている人が拍手をしていた。象が歩く時、大きな音がしないのは、つま先で歩いていて、つま先の骨の下に、THICK ELASTIC PADSがある為とのこと。前足で草を集める動作、鼻で目をこすっている姿、笑った感じの目、象は、いろんな表情をする。象は、サバンナの中では、一番強い動物。あのライオンの群れも、象の群れには、かなわない。
 そんな象が一番恐れているもの、それは、・・・象自身である。それを、如実に確かめることが出来た。
 草を飼育係の人が与えると、象は、飛んで来るのだが、そこに、小さな鳥がいるので、急にスピ一ドを落としてしまう。それを私は何回も確認した。鳥を踏まない様にと、あの大きな巨体の象は、気を使っているのである。又、もう一頭の象が食べてる草を決して横取りして食べようとはしない。象は、とっても優しい動物で、争うことを嫌い、自分の強い力を恐れているのである。
 人間も、象から見習うべき所が多いと思う。上に立つ人間、力のある国、もっともっと、自分の持っている力の怖さを知って、思いやりの気持ちで、事を運んで行ってもらいたいと思います。
 
 (令和3年12月9日、記載)



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退職後の独り言(19)

2021-12-08 07:51:09 | エッセイ
  「退職後の独り言、スシロー」
 令和3年12月7日(火)の12:22に、内町の大きな本屋さんの前にあるバス停から、バスに乗って、久し振りに、コスモタウンに行きました。そして、直ぐに、「スシロー」に入って、家内と一緒に、昼食を摂りました。(←今は、1日2食で、16時間以上、水分以外は、絶食を続けていますが・・・)
 「スシロー」では、待つことなく座れました・・・コロナ禍の中、それなりの配慮がなされ、沢山のお客さんがいました。
 「スシロー」では、いろいろ進化していることに気が付きました。自分でパネルを見て場所を決め、食べ終わって、職員さんを呼ぶと、お金を勘定するのに、以前は、物差しで皿の高さをチェックしていましたが、今回は、それがなくて、触れずに、機器を近づけるだけで、料金を計算していました。で、帰る時も、受付の人がいない状態で、予めもらったカードを所定の場所に置いて、お金を入れると、それで終わりとなり、領収書もしっかり出て来て、終わりました。(←その進歩に、感動!!)
 多くの店が、先々、こんな感じになるのでしょうか・・・?!
 この「スシロー」では、料理が自由に選べる、直ぐに食べれる、安い、そして、美味しい、この4つを備えている、凄いなあと思いました。
 いつか、孫と一緒に、この「スシロー」の回転寿司で、食事を摂りたいものです。

 (令和3年12月8日、記載)


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退職後の独り言(18)

2021-12-07 08:20:05 | エッセイ
  「退職後の独り言、優しい国」

 ある夜の民放テレビで、「優しい国杯」は、どこの国かを調査していました。
 調査方法として、数個のミカンを落として、それを拾ってくれるかどうかで判定していました。20回それを試みての結果は・・・
 ・・・→個人主義の強い「アメリカ」では12回、紛争で明け暮れたアフリカの「南スーダン」では8回、隣国の「中国」ではわずか1回(!)、人とのコミュニケーを取るのが好きな「イタリア」は15回も、そして、我が日本は、何とパーフェクトの20回(!!)となっていた。(大拍手、素晴らしいですね・・・!!!)
 それに、他の国の人が足を使ってミカンを集めるケースが多いのに、日本の場合は、足を使う人何て誰もいなくて、皆、丁寧に手で拾っている。イヤーッ、日本人として、これ、誇りに思いますね。正に、「優しい国杯」ですね。
 これに対して、いろんな分析がなされると思いますが・・・もっと数を増やしても、この中では、日本が一番いい成績になりそうですが・・・。海外での日本人客の人気も、断トツ一番となっていますし・・・。
 佐伯市で、インドネシアの研修生が財布を落としました。真っ青になって、もう諦めた感じで警察に行くと、届け出ていて、再び手にすることが出来て、信じられないって感じで、いたく感動していました。その人が、「インドネシアでは、とても考えられない・・・」と言われていましたが。オーストラリアに行った時にも、そんな感じで(オーストラリアでは、拾った人が届けるケースは、まずない・・・)言われていましたが・・・。
 通りの激しい所で物を置き忘れて、数時間経ってそこに行っても、ちゃんとあったこと、自分にも経験ありますが・・・・。そうですね、日本の場合は、大金であればある程、警察に届けると思われますが・・・?!!

*写真は、2011年6月15日、宮島でのものです。

 (令和3年12月7日、再掲)


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退職後の独り言(17)

2021-12-06 08:40:07 | エッセイ
  「退職後の独り言、日本は今?!」

 政府の動きを見ると、何か、主体性がない感じに思えます。アメリカに忖度している政治家、多い感じにも思えますが・・・?!
 日本は、アメリカとの戦争に負け、GHQにより、いろんな改革を強いられました。その中には、もちろん、いい内容もあったのですが、例えば、教育を例に取ると、問題、今、多いですね。
*https://www.youtube.com/watch?v=ufXpDrxd6nc(←愚民政策)
 日本人の食事は、お米と魚と味噌汁が主体でした。それが、欧米風に、パンと肉と牛乳になりました。日本人の体質を考えると、それが本当にいいのかどうか・・・?!
 日本は、性産業に関しては、世界一って感じです。そこでは、ちょっとよく考えると、問題にすべきこと、多いですね。 
*https://www.youtube.com/watch?v=3-mFQdi39ZE(←3S政策)
 日本人の世論が、メディアにより、コントロールされようとしています。それに、マスコミは、報道すべきものを報道してないことも、少なからずあります。
 ユーチューブの内容が、ある意向に反すると、現に、削除されています。コロナ禍での不自然なことに気が付いている日本人、多いのです。
*https://www.youtube.com/watch?v=kqryuabVdMQ(←メディアの敗北)
*https://www.youtube.com/watch?v=iqxupf0f4Jg(←メディアの敗北)
 私の場合、後、10年?20年?生きられているかどうか、分かりませんが、このままだと、あの世に、その心配を持って行かないといけない感じになりそうですが・・・?!

 (令和3年12月6日、記載)


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退職後の独り言(16)

2021-12-05 08:36:01 | エッセイ
  「退職後の独り言、ベトナム語講座」

 令和3年12月4日(土)の10:30からの「さいき城山桜ホール」でのベトナム語初級の5回目の講座に間に合う様に、寒い中、帽子もガッポリ被って、家からテクテクと歩いて行きました。
 ビッチリ詰まった感じの講義で、自己紹介の練習でした。
 これがスラスラと直ぐに出て来れば、ベトナム語での第一段階が終わりって感じになるのかな・・・?!
 一番前に座っていたので、二人一組での皆の前での発表は、一番初めでした。何とか、上手く行き、皆から、拍手を頂きました。
 他の組の人達も、頑張っていました。あちこちから、発音が難しいと言う声が聞こえました。そうなんです、ベトナム語の発音は、最大の難関ですね。それに、声調が。
 何事も、語学の勉強は、先生から教わると言う姿勢でなく、それなりに各人が予習をしておいて、それを先生からチェックしてもらうと言う姿勢が大切ですね。
 そんな感じで、私の場合は、多くの多国語をして来ました。
 そう考えると、今の学校での勉強、その多くは、受身ですね。まあ、復習も大切ですが・・・!

 (令和3年12月5日、記載)

(以下、ベトナム語の訳)
こんにちは。
 こんにちは。すみません、お名前は、何ですか?
私の名前は、田原です。貴方の名前は何ですか?
 私の名前は、ロアンです。
貴女は、何処の国の人ですか・
 私は、ベトナム人です。
 貴方は、何処の国の人ですか?
私は、日本人です。初めまして。
 初めまして(貴方に会えて、とても嬉しいです)。
今年、おいくつですか?
 32歳です。

*https://www.youtube.com/watch?v=jjwK_6T9BTQ(←3年で、とてもここまで行けそうに内ですが・・・)


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退職後の独り言(15)

2021-12-04 08:02:02 | エッセイ
  「退職後の独り言、文化の違い」

 多国語を勉強していると、日本文化との違いに驚かされます。それも、全く違う感じのこともあります・・・。
 今、受けている「ベトナム語初級講座」の中で、(ベトナム人の)先生の話では、ベトナムでは、まず、初対面で、年齢を尋ねるとのことです。これが普通なんですね。韓国も、同じ感じですね。そして、目上の人には、それなりの言葉使いをしますね。その精神、今の日本人には、残念なことに、なくなりつつありますね・・・?!
 アメリカでは、20代の若者が、お年寄りを使って仕事をしていること何て、普通のことですね。そこでは、能力こそ、お金こそ、全てって感じに私には思えます。医療などは、お金持ちがいい医療を受けられるのは、当然と言う考え方ですね。その点、日本の皆保険制度での受診は、超素晴らしいですね。
 NHKの教育テレビの中国語講座で、イモトさんが、小さい子どもがテーブルの傍で転んで打って、痛い痛いと泣いている時、子どもを慰めるのに、日本では、母親が、「痛いの痛いの飛んでっけ」何て感じで言いますが、中国では?、と尋ねると、そんな言い方は、まずしないそうです。
 中国では、「このテーブルは、本当に悪い子ね!」何て言って、テーブルを打って、テーブルのせいにするとか・・・?!!(←政治にも、これが出ているのかなあ?!)
 中医学を教わった先生が言われていましたが・・・→日本人は、外に悩みを出さないので、消化器系の不調を訴える人がとても多いですね、中国では、循環器系の不調を訴える人が多いですが・・・?!(一個人の意見かも知れませんが・・・)
 日本では、皆と同じ様にしないと、周りからいろいろ言われますね。アメリカでは、他人と生き方が違うのは当たり前で、違ったことをするのがヒーローとなっていますが・・・。そこでのヒーローは、どこの国の出身でも称賛され、温かく迎えられている感じですが・・・。(←日本政府は、日本で働いている外国の人や留学生に、もっと優しくするべきでは・・・)

 (令和3年12月4日、記載)


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退職後の独り言(14)

2021-12-03 07:57:39 | エッセイ
  「退職後の独り言、受身」

 11月30日(火)の「相田みつを展」での作品の中で、家内と私が一致してとても気に入ったものに、「受身」がありました。

 「受身」

 柔道の
 基本は受身
 受身とは
 ころぶ練習
 まける練習
 人の前にぶざまに
 恥をさらす稽古
 受身が身に
 つけば達人
 まけることの尊さが
 わかるから

 長女が小さかった頃、何度しても出来なかったのに、やっと独りで立てた時の長女の笑顔、今でも、はっきりと覚えています。
 若い時に、許される範囲で、いろんな方面での失敗を、出来るだけ沢山していた方がいいと思います。
 失敗しない様にと、親が後からピッタリと付いていて、子どもも、何かの時には、親に頼ろうとしているとしたら、先々、お互いに苦労すると思うのですが・・・?!
 あまり順調に行っていると、失敗するを恐れて、挑戦することを避ける傾向になるかと思います。いつも失敗している人は、それが普通なことなので、失敗しても、又、頑張れますね。
 「若い時の苦労は、買ってでもせよ」と、私の父は、よく言っていました。

*https://www.youtube.com/watch?v=hbhv-vpoRow&list=RDGMEMhCgTQvcskbGUxqI4Sn2QYw&index=2(←元気が出る曲)
 
 (令和3年12月3日、記載)


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退職後の独り言(13)

2021-12-02 07:59:41 | エッセイ
  「退職後の独り言、点訳」

 令和3年11月1日(水)午前中、ホテルから「大分市美術館」まで、家内と歩いて、行きました。坂道だったので、いい運動になりました。「上野丘」も、初めて見ました。この時期、紅葉が綺麗でした。
 「大分美術館」に来たのは、これで2回目でしたが、1回目の時には、展示している作品は、見ませんでした。今回は、じっくりと、見ました。作品の中に、高校の時の同級生で、時々、会話を交わしていた「佐脇健一(元大分大学教育学部教授、彫刻)」君の作品が2点、ありました。意表を突いた感じの彼らしい作品で、大変嬉しく思いました。
 午前中に見終えて、12時から、そこの中にあるレストランに行って、約束通りに六人が集まって、昼食を摂りました。その後、車に乗せてもらって、I家に行きました。
 驚きました、I家の旦那さん(77歳)、点訳の勉強をしているのです。それも、本格的に。謙遜して、「まだ、役に立っていませんが・・・」と言われました。
 早朝3時から起きるのが習慣になっていたのは、以前から存じていましたが、何をしていたのか、この時、初めて教えてもらいました。この点訳の勉強をしてたんですね。それも、まだ、初めて3~4年しか経っていないと言われていましたが・・・添削してもらったものまで、見せて頂き、感動しました。
 世の中、いろんな人がいますね、この人も、特異な人ですね。

 (令和3年12月2日、記載)


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