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だから、関寛斎は“赤ひげ”ともいえるんですね。
町医者として市井で民を診始めてからは、貧乏人からは治療費を受け取らず、「医者は患者を治すもの」という信念のもとに、戊辰戦争の時には野戦病院の院長として敵、味方の区別なく治療に当たったとか。
しかし、後に私財を投じて北海道の開拓事業に乗り出したものの、息子たち家族との折り合いが悪く、服毒自殺を図って82歳の生涯を終えたという波瀾万丈の人生だったそうです。
それにしても、何故にその功績に不似合いな不幸な終焉を迎えねばならなかったのか、割り切れない思いが残りました。
あと、愛媛の偉人として、正岡子規があがってましたが、ちょっとはしょります。
子規ってのはホトトギスの異称なんだそうですが、子規は大の野球好きで野球(のぼーる)」という雅号を用いたこともあるそうです。名前を升(のぼる)に変えたのも、そこからの繋がりですね。
「バッター」「ランナー」などの外来語を「打者」「走者」とかの日本語に訳したのも子規だそうです。
と言うことで以下略、レポートは終了します。
さて、写真は上司のカンボジア土産。
男性陣にはタバコ、女性陣にはストールと、全体にアンコールワットをかたどったクッキー頂きました。
ストールは一番のりで好みの色GET。早速この秋のおしゃれアイテムとして愛用しようと思います。あざーした。