俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『唐沢の滝と吐竜の滝』

2017-10-21 18:05:21 | 観光地
信州に行ったついでに菅平の滝と、帰りがけに八ヶ岳高原の滝をはしごして来ました。

概して滝の撮影は現地までの道が厳しいところが多いのですが、今回は駐車場から近い上にアプローチも整備されていて、老若男女、足に自信がない方でも大丈夫のような滝でした、

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上田市菅平高原の入り口手前にある「唐沢の滝」です。


高さ15m、幅10mと規模は大きくありませんが、滝壺近くまで行くと霧状の水しぶきが宙に舞い上がって、思わずカメラのレンズを手で覆ってしまうほどで、迫力は十分でした。

上田から菅平に向かって右側に看板も滝も見えるのですが、道路がカーブしている所でもあり、運転に気を取られて見落としてしまいます。もっと判らないのは道の左側にある駐車場です。行かれる方は是非ご注意ください。


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山梨県北斗市大泉町西井出にある「吐竜の滝」は、小淵沢と小諸を結ぶJR「小海線」(愛称・八ヶ岳高原線)の清里駅からも車で10分程度の所に駐車場がありました。
小海線の高い鉄橋の下を通り抜け15分ぐらいでサイトに着きました。


八ヶ岳の南東麓の地下水が溶岩層を通って湧出する滝です。


見た目、高さは20m、幅は50mぐらいかなと見受けました(正確ではありません)。
水は一年中清らかで冷たく、水量もほぼ一定しているそうです。

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自然の美しさは現地に行ってみないと判りません。
と云いながら、今年のカレンダーは、今まで行った滝にしようと思っています。

このところの長い雨が上がったら、紅葉も一段と進んでいるでしょう。
また出かけたいものです。

『江川海岸』

2017-10-19 16:31:47 | 観光地
木更津の金田海岸へ浜焼きでも食べようということで行ってきました。

高速を金田海岸でおりたら、あたりは開発途中の状態でした。
URが開発した宅造地も幹線道路はかろうじて出来ていましたが、家は未だまばらの状態、アウトレットは閑散、広大な開発地の一番奥の海の縁に巨大な「龍宮城」(ホテル三日月)がポツンと建っていました。

龍宮城の裏手の海へ出てみました。
朝方、あれほど青空だったのに、まだ5時前なのに真っ暗です。
海ほたるが霞んで見えました。


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あまりお腹は空いていませんでしたが、浜焼き屋へ入りました。
ハマグリ2個、サザエ1個、ホタテ2枚で1350円、車海老3尾600円、ホタテのフライ3個550円、海鮮丼みそ汁お新香付き1300円、ビール450円(ノンアル)、合計4250円

ちょっと半端ないだぶだぶのズボンに漁師半纏を着たお兄ちゃんは、口の利き方こそぞんざいでしたが、焼き方をやってくれたり、車海老の角までへし折って取ってくれ、「もう食べごろだよ」などと顔に似合わぬ親切さでした。

「海に電柱の立っている海岸はどこ?」と聞くと、「すぐそこだけど川があるので大廻になるから遠いよ、江川海岸だよ」と教えてくれました。

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勘定払って、ナビを入れました。
真っ暗な道を、ナビを頼りに右へ左へ・・・なるほど遠い。
やっとの思いで到着、潮干狩り場の駐車場・・・あたりは真っ暗です。

散歩中と思われるお兄さんに“電柱”の撮影スポットを聞くと、「ここを真っすぐ行けばわかります」と教えてくれました。

あちこちに進入禁止のロープが張られた道を200mほど行くと、ありました。
ちょうど自衛隊の木更津駐屯地(ヘリコプター基地)の裏手に当たります。


三脚を持ってゆかなかったので、手振れしてしまい、すみません。

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ここは天気が良くて、風のない日がいいみたいです。
波がない鏡面状態の海に映る工場の明かりが立ち並ぶ電柱を浮かび上がらせてくれるという。

それと夕日と富士山がきれいで美しく見えるという。

冬の晴れた無風の日にまた来よう・・・

『真田氏の城』

2017-10-17 11:57:45 | 観光地
真田氏の城を見て廻りました。
上田城や沼田城にも以前訪ねましたので省略です。

上田から真田村へ向かう途中、きれいな橋を見つけました。


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片田舎の土豪に過ぎなかった真田氏は、真田幸隆が武田信玄に仕え頭角を現し、難攻不落の砥石城を攻略、数々の戦功をたてて、東信濃と上州にまで勢力を伸ばしました。幸隆のあと(息子の)信綱、昌輝兄弟が長篠の戦で戦死、急きょ三男の正幸が家督を継ぎます。
【真田氏館跡・真田氏歴史館】


武田家が滅亡した後は、わずか一年の間に織田、北条、徳川と情勢に応じ主君を変えるなど巧みな外交戦術により領土を拡大、一方で上田城を築くなど戦国大名としての地位を不動のものとしていきます。

上州の真田領を巡って徳川家康との間に合戦がおこった時は、わずか二千(の兵)で八千の敵を打ち破り、天下にその武名を知らしめました。

豊臣秀吉亡き後、天下の覇者を決める関ケ原の戦いでは昌幸と次男の幸村(信繁)が豊臣方に、長男の信之が徳川方に別れて戦うことになり、(下野佐野の唐沢城近くの薬師堂で、いずれが勝っても真田家は残るという腹を割った密談、世にいう犬伏の別れ)昌幸父子は三万八千の大軍を上田城で迎え撃ちます。敵を散々に悩ませますが、西軍敗北により、紀州の九度山流されました。
【関ケ原古戦場】


昌幸はその地で没しますが、幸村は大阪城へ入城。秀吉の遺児秀頼を守りたて、大阪夏の陣では、家康の本陣へ切り込みますが、衆寡敵せず、戦場の露と消えました。

その後の真田家は信之により、家名を存続し、松代へ移封となりますが、明治まで十代に渡って続き真田十万石として栄えました。
【松代城跡】


(真田氏歴史館パンフレットより転載、【】・()内と写真はワルポンが付けました)

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【またの名:海津城】


長野電鉄屋代線は2012年に廃線となりましたが、松代駅の駅舎やホームは残されていて観光案内所やバス停となって活用されています。


松代の城下町はきれいな街です。また、訪ねてみたいと思いました。





『高ボッチ高原』

2017-10-14 15:26:21 | 観光地
長野県塩尻市にある高ボッチ高原へ行ってきました。

「高ボッチ山」(標高1665m)のなだらかな傾斜の広がる高原です。
はるか昔、国づくりの神様と云われる「ダイダラボッチ」が腰を下ろして休んだという言い伝えからその名がついたという。

富士山はじめ南・北・中央アルプス、八ヶ岳、蓼科山などの360度の眺望が開け、日本で一番のシャッターポイントではないかと言われています。

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諏訪湖に泊まって朝6時に起きると、外は暗くて今にも雨が降り出しそうな曇天です。

ところがどっこい! コチトラ少々のカメラマン人生、経験から“雲海に浮かぶ富士山”が頭に閃いたのです。
すぐさま車を飛ばして深い森に覆われた薄暗く狭く曲がりくねった山道を、ライトを照らして高ボッチ高原へ・・・

どうです! 思った通りの光景に出会えました。


西側に回ると御嶽山です。


穂高連峰も見えました。


雲の下には一瞬でしたが槍も見えました。


もっと望遠レンズを上げて撮ろうと交換している間に雲に隠れて30分待っても再び見ることが出来ませんでした。

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帰りしなの富士山です。
諏訪湖上の雲海はもう切れていました。


雲海は日が昇る30分前後が最高と言われています。

今日は良い天気になりそうです。


『磐梯吾妻スカイライン』

2017-10-09 12:53:50 | 観光地
9月中旬の3連休に小旅行で,前日は蔵王温泉に泊まったのですが、台風一過の素晴らしい天気に誘われて、福島のフルーツラインを通って磐梯吾妻スカイラインを走ってきました。
紅葉は未だまだでしたが、吸い込まれるような青い空で快適な一日を過ごしました、

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途中、桃や葡萄の店が沢山ありましたので、今年最後の桃と思ってとびきり大きい桃を買い求めました。

つづら折の道を上り続けること20分ぐらいで谷へ着きました。
まるで“ジオラマ”でも覗いているかのように福島と思われる街並みが足下に見てとれました。


更に上ると硫黄の匂いが強く流れる荒涼とした山が現れました。


浄土平に到着です。
駐車料金は500円でした。
吾妻小富士に登ろうかと思いましたが、風が冷たかったので止めました。


裏磐梯や猪苗代湖を見ながら下り下りました。


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道路脇に野菜やキノコの店が並んでいてマツタケも並んでいました。
立派なマツタケでしたが一本15000円の値札が付いているのを盗み見して、その店先を離れ、隣の店へ・・・一袋500円の栗を買いました。

家に帰ってから麓で買った桃を食べたのですが、この時期の桃は実が固く閉まっていて、夏に食べる白桃とは全く違うものでした。

会津人も意外と商売人です。


『唐沢山城址』

2017-10-03 17:39:44 | 観光地
栃木県佐野市にある「唐沢山城址」へ行ってきました。
ゴルフ好きの方ならご存知と思いますが、唐沢ゴルフ倶楽部のあるところです。

平安時代・天慶三年(940年)東国で反乱を起こした平将門を成敗し、鎮守府将軍となった藤原秀郷公によって築かれたとされる山城です。
標高248m、深い谷や崖が多い急峻な唐沢山の山頂に城は築かれました。

明治年間になって秀郷公を祭る「唐沢山神社」が創建され、別格官幣社となりました。

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麓の東武佐野線・堀米駅や田沼駅、多田駅からハイキングコースにもなっていますが、山頂駐車場までマイカーで行きました。

唐沢山城の大手虎口跡を抜けるといよいよ城内です。というよりも神社の境内です。
右手の天狗岩に登ると見晴らしが開け、物見やぐらがあったところだそうです。

更に進むと左手に大きな井戸、「大炊の井」がありました。直径8ⅿ、深さ9ⅿの大井戸で今でも四季を通じて水が枯れません。


神橋は堀を渡る橋です。


道の下は急峻な斜面で、とても人が登れるようなものではありません。


城の本丸を囲む安土桃山時代の高石垣の城壁は圧巻でした。


本丸(神社)への一段一段が高い階段で最後の難関です。


唐沢山神社の山頂の社殿へようやく到着です。ここに本丸があったそうです。


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蔵屋敷(南城)のあったところから足下に広がる佐野の町です。


佐野と言えば何といっても“佐野ラーメン”ですよね。
200店舗以上あるそうで、人口当たりでは横浜、福岡、札幌それに喜多方よりも多く、日本一らしいです。

でも、ご注意ください! 
味の方は千差万別で・・・ 是非ともおいしい店に巡り合いたいものです。

『安房の国・寺社巡り』

2017-09-02 20:42:04 | 観光地
今日は台風15号の影響で肌寒い雨空です。

でも、先週の木曜日は今年最高と言っていいほどの暑さでした。
そんな中、安房の国の有名な神社仏閣を訪ね歩きました。

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安房の国と言えば、里見家の姫・伏姫と八房によって結ばれた「八犬士」を中心とする滝沢馬琴によって書かれた長編伝奇小説・「南総里見八犬伝」で知られていますが、今でも史実と物語が混同して現実の観光資源となっている土地柄です。

館山道の富津金谷ICで高速道路を下りて鋸山日本寺へ・・・
正しくは乾坤山日本寺と称し、今から約1300年前の神亀2年(西暦725年)に行基菩薩によって開かれ、初めは法相宗に属し、次いで天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公治世の時に曹洞禅宗となって今日に至っています。

段差の大きな石段を上ると、日本一の大きさと言われる大仏さまが鎮座ましましておられます。
総高31.05m、御丈21.3m、大仏さまのお名前は「薬師瑠璃光如来」と称します。


境内の広さは33万㎡もあり、山頂へ向かう参道には千五百羅漢が迎え並んでいますが、この夏日なので、大仏様のお参りだけにさせて頂きました。

平成21年から本堂の建設が始まり全貌が大分見えてきましたが、建物の完成は平成30年夏頃、それから内装工事などもあって落慶式は未定とのことです。


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「崖の観音」で知られる真言宗智山派船形山大福寺にお参りしました。
船形山の崖の中腹にある祠に「十一面観音菩薩」(磨崖仏)が刻まれています。
経年変化による大改修が平成28年7月に完成し、祠の朱色も鮮やかです。


御住職は観音堂の扉の開け閉めのために毎日登っておられるそうですが、小生は夏日に弱いので遥拝で済ませてしまいました。

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次に向かったのが通称「那古(なご)観音」です。
正式には真言宗智山派補陀洛山那古寺といい、銅造の千手観音菩薩立像(国重文)が御本尊として祀られています。


元禄16年(西暦1703年)の大震災で塔堂は全壊、那古山のすぐ下まで迫っていた海岸線は隆起によって後退してしまったそうです。
その後徳川幕府の命によって現在の地に再建されました。

御朱印のご記帳はちょうどお昼休みだったので、仁王門や鐘楼堂、多宝塔、阿弥陀堂など境内を一巡してから記帳の建物へ入りました。
和尚さんから安房国札三十四観音霊場の懇切丁寧な説明を受けましたが、室内は特別にクーラーが利いていてお陰様で噴き出していた汗もすっかり引きました。

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安房国の総社・鶴谷八幡宮にお参りしましたが、お留守で御朱印は頂けませんでした。


駅前のイタメシ屋で遅い昼食を摂りましたが、特筆することはありません。
その前にネットで見た五つ星のイタメシ屋を訪ねたのですがケーキ屋に代替わり、電話をかけてみましたが、“おかけになった電話は現在使われていません”のアナウンスが・・・

以前にお邪魔した館山湾内のレストランも、寿司店も、魚介の焼き物店もお薦めできるような星は付きません。

観光地・館山も商売はなかなか大変のようですな。
どなたかお薦めのお店ご存じないですか?

8月31日作成


『大杉神社&磯前神社』

2017-07-30 16:46:46 | 観光地
午後1時に家を出て茨城方面へ・・・

「江戸崎カボチャ」はもう終わっただろうな?
涸沼の大きなシジミは今が盛りかも?・・・
久々に大洗の握り寿司でも食べようか?・・・

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利根川を渡り竜ケ崎へ・・・そして江戸崎へ
道の駅に寄ってみたら、あるじゃない、江戸崎カボチャが・・・

でも、同じような大きさのカボチャが600円から1300円と
値段がバラバラ・・・しかも安い。
聞いてみると、江戸崎カボチャは7月の初めで終わり、もうありません、とのこと。
生産者が値段をつけるので価格が違うだけで、味は同じだという。

しからば、一番安いのはちょっと小ぶりなので、700円のでよかろう。
ついでに小玉スイカも買いました。
大きくて立派なのは冷蔵庫に入らないし、老夫婦二人じゃ食べきれないので小玉で十分。

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さらに進むと、いつも連れてってもらう土浦カントリークラブの近くを通りました。
そうだ、大杉神社に寄ってみよう。


以前仕事で役所回り(営業売り込み、挨拶)をしていたころに何度も前を通ったことがありましたが、参拝したことはありませんでした。

先日、野田の高梨家の庭園を見学した際にも、“明日(7月21日)は上花輪のお祭りなので阿波の大杉神社から天狗の面が来ている“と言うのを思い出しました。

種銭として金と銀の小判を1000円で求め、金の小判を本殿の賽銭箱に乗せ賽銭として1000円納めお参りし金の小判は財布へ、そして大国主命を祭る祠の賽銭箱に銀の小判を乗せ、同じように賽銭箱へ1000円を納めお参りし銀の小判は財布へしまい、宝くじを買うと高額当選間違いなし、とのことでした。


つまり都合3000円が必要です。
御朱印を頂いた初穂料は500円と田舎にしては高い方です。
なかなか商売上手な宮司さんです。

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大洗まではまだまだです。
4時か遅くとも5時には神社は閉まってしまいます。
急げども鹿島のサッカーの開催日らしく国道51号線は混んでいます。
やっと抜けると鹿島灘の別荘地帯が点在します。

国道から右に折れ、海側の別荘らしきお宅の近くに行ってみました。
すぐ目の前は海です。
おりしも台風5号の影響でガスっていて白波が高く打ち上げています。
地震時の大津波が連想されて怖そうです。

道も狭いし、農道みたいです。やっとのことで国道に戻りました。
そうだ時間がない・・・
ビュンビュン飛ばしで大洗の磯前神社に着いたのは5時5分前でした。セーフ!

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大洗磯前神社へお参り・・・


茅葺の立派なご本殿です。


「神磯」とよばれる神様のご降臨の地です。
台風の影響で海は大荒れで、高波を被っていました。


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ちょうど花火大会の日でしたが、8時からの開始とのこと。
2時間も待っていられないので、回転寿司を食べて帰りました。
回転寿司らしからぬ高い料金を請求され、しかも現金払いのみということで払わされました。大洗は観光地です。

ということで、涸沼のシジミはパス!

でも、鹿島のサッカーも終了前だったし、潮来からは東関道に乗ったので8時10分には無事帰り着きました。



『誕生寺』

2017-07-27 18:03:49 | 観光地
安房小湊の「鯛の浦」へ行ってきました。
回遊する鯛を遊覧船に乗って間近に見られるという観光地です。


でも、今回も御朱印を頂戴するための旅ですから、お寺へまっしぐら・・・


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日蓮聖人は、ここ安房小湊の磯のほとりで、鎌倉時代の貞応元年(1222年)にお生まれになりました。と、いうことで、この地へ「誕生寺」が創建されたのです。建治2年(1276年)のことでした。
それにしても幼少の日蓮は利発で聡明そうなお顔立ちですね。


しかし、明応7年(1498年)の大地震による津波によって消失してしまったために、現在の地へ日蓮宗小湊山誕生寺として移設再建されました。ところがまたもや元禄16年(1703年)に、房総沖を震源とする大地震・津波によって、支院十坊、門前の人家百余戸が流出、僧俗408名が溺死する大災害に見舞われたのです。

水戸の徳川綱条公が先代の黄門さまの光圀公の追善のためとして、再建復興することが出来たそうです。


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小湊から車で20分走り、曲がりくねったヘアピンカーブのかなりきつい山を上って、清澄寺(せいちょうじ)へお参りしました。


宝亀2年(771年)天台宗の寺院として建てられたのですが、その後800年を経て真言宗智山派の法脈に属したのですが、大正時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって衰微したため、日蓮聖人の出家得度の霊地として昭和24年に日蓮宗大本山清澄寺となりました。

お堂の脇を流れる山からの涼しい風で、大きな階段を一気に駆け上った汗がす~っと引きました。


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安房に誕生寺があるためか千葉県下は日蓮宗が多いと思っていましたが、実際は圧倒的に真言宗智山派が多いそうです。
清澄寺も戦前まで真言宗智山派でしたし、千葉県で最も知られる成田山新勝寺もそうでした。

お寺によっては宗派が変わることもあるのですね。
そういえば日蓮の像がある曹洞宗のお寺もありました。


『上花輪歴史館』

2017-07-26 15:21:07 | 観光地
野田市上花輪507番地にある「上花輪歴史館」に行ってきました。
ここは国指定の名勝「高梨氏庭園」です。

冠木門をくぐると立派な門長屋が目に飛び込んできます。
さすが現当主で30代続く名家のお屋敷です。


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高梨氏は古くから上花輪村に居住し、江戸時代には名主であり、また、醤油醸造を家業としていた高梨兵左衛門家(高梨本家)が永年にわたって保存してきた居宅や庭園、土蔵、屋敷林、社祠等の屋敷全体が展示物となっています。(パンフレットから抜粋)

屋敷林覆われた住居


書院


細やかな細工の竹の塀


高梨家と茂木七家はれぞれ醤油の製造を家業としていましたが、大正年間に野田醤油(株)を設立し、現在のキッコーマンとなりました。

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今まで2度訪ねたのですが休館でした。
なかなかお目にかかるのが難しいので、開館時間と休館日を詳しくお教えしましょう。
【開館時間】
  ●3月・10月~12月(第1週)10:00~16:00
  ●4月~9月          10:00~17:00
  ●入館は閉館1時間前まで
【休館日】
  ●毎週月・火曜日
   祝祭日と重なる場合は変更もあり、お問い合わせください
  ●12月中旬~2月、8月
ということで、とにかく休みが多いのです。

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ただし、住宅部の内覧は予約が必要です。
しかも、木曜・金曜・土曜の10:15、11:30、13:00各10人だけです。

今の時期は夏障子が入り見どころとなっているそうです。
でも、8月は休みなので、今年は27~29日の3日間しかありませんし、要予約なのでご注意ください。
TEL04―7122―2070、入園料500円、住宅内覧料1500円(お茶付き)