俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『江戸の三大祭り』

2017-07-25 18:13:34 | 観光地
江戸の三大祭りとして神田祭、山王祭、深川祭があります。

御朱印を頂くために、この神社を含む東京の神社仏閣を駆け足で巡ってきました。

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最初にお参りしたのは深川祭の「富岡八幡宮」です。
ちょうど工事中で、社殿は防護用ネットで覆われていました。


その昔、子供らの小さいころに8年間も「八幡橋」のすぐ近くのマンションに住んでいましたので、八幡様の境内は子供らの遊び場でしたから、今でも隅から隅まで知り尽くしています。

裏手に大きな「横綱の碑」があります。


歴代横綱の名前の末席に稀勢の里の名もありました。


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次に赤坂の「日枝神社」にお参りしました。


近くには首相官邸や国会議員会館などがあり超高層ビルが立ち並ぶ中、小高い山の上まで長い上りのエスカレーターも設置されていて、正に大都会の中の洗練された神社です。

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車で駐車場に入ろうとすると「神田明神」も工事中でした。

社殿にお参りして御朱印を頂戴いたしました。

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昔、初詣で玉砂利を踏んで長い参道を歩いてお参りした「明治神宮」へ・・・

ここも工事中でした。

それにしても神宮の森は都会の真ん中とは思われないほどに鬱蒼と木々が茂り、心を和ませてくれます。
広さ70万㎡という壮大な計画を実行した先人たちに感謝です。


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江戸の祭りに三社祭を加えない訳にはまいりません。
ということで、浅草へ・・・

途中、東本願寺にもお参りしました。

浅草・浅草寺には無料の駐車場はありません。
ここも工事中でした。


境内にはお参りの客でごった返していました。


暑い中、長い行列に並んで御朱印を頂戴しました。

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工事中のところが多かったは、やはり東京オリンピックの外国からのお客様をお迎えする準備でしょうねェ。

こんなところでお金の話をしては何ですが、御朱印を頂戴してお納めをする代金は一般的には300円のところが多いですが、やっぱり東京は高いですね。

500円のところが多く、6か所で2600円掛かりました。ワイフの分と5200円です。その他にお賽銭も入れなくちゃならないし、駐車料、交通費、飲み物、食べ物、お土産品・・・簡単に万札が飛んで行きます。
信心とはお金のかかるものですよ・・・

それに、しかも、浅草寺では怒られましたよ・・・【この頃、神社仏閣に参拝され「御朱印」を受ける方が大変多くなっております。(中略)お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただ御朱印だけを集めて歩くということでは(中略)あるべき姿から離れてしまいます。(後略)】の一文が御朱印帳に挟んでありました。

・・・字は下手ですが、「般若心経」の一巻でも写経をしてみますか・・・反省



『笠森観音・像の寺』

2017-07-23 16:38:42 | 観光地
千葉県長生郡長南町は、東京湾に面する市原市と太平洋に面する九十九里浜と接する茂原市との間にあり、房総半島のほぼ真ん中に位置しています。

低い山々が連なり、そのほとんどが山間の町なのです。
ゴルフ場と霊園が多くあることでも知られ、町の人口は8200人、世帯数が3200世帯なのですが、町営の笠森霊園には176200㎡の敷地に9280もの区画があるのです。

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信心深い長南町の誇る信仰の場の一つが「笠森観音」です。


正式名称は天台宗・別格大本山笠森字(かさもりじ)」と称し、延暦3年(784年)伝教大師最澄上人によって開基されたという名刹で、お堂の建築様式は日本唯一の「四方懸造(しほうかけづくり)」で、国宝、国指定重要文化財となっています。

笠森霊園前の駐車場から杉木立の参道を上ると、根元で枝分かれした「三本杉」が迎えてくれます。


更に上ると「子授楠」が眼前に現れます。大木に空いた穴をくぐり抜けると子供を授かるという。


お堂の急で長い階段を、息を切らせて上ると回廊が巡っていて、山門や境内の植木が眼下にあり、大木の杉の先端も目の高さにあります。


周辺の山々は「県立笠森鶴舞自然公園」に指定されており、特に観音山は「国指定天然記念物笠森寺自然林」となっていて、ハイキングコースにも最適です。

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笠森観音から茂原方面へちょっと下ると、「像の寺」で知られる「長福寿寺」があります。
正式名称は「三途河頭極楽東門蓮華臺上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺(さんずがとう・ごくらくとうもん・れんげだいじょう・あみだぼう・たいへいやさん・ほんじつじょういん・ちょうふくじゅじ)」という日本一長い名のお寺だそうです。

本堂の前には「吉(きち)ゾウくん」と「結愛(ゆめ)ちゃん」という「御影石一刀彫」のゾウの像が立っていて、お参りすると宝くじ高額当選が続出しているそうです。
本当に続々・・・なのかな?


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また、長南町は紅花のふるさととかで、6月には10万本の紅花が咲き乱れるそうです。
あの広さの畑で10万本もあるのかな?


御朱印をお願いしたら、“4か所の仏さんがおられるが何枚にしますか?”とのこと・・・
御本尊だけでお願いしました。

境内にはお土産品売り場があるなど、なかなか商売熱心な御住職とお見受けしました。

『本土寺・帝釈天・法華経寺』

2017-06-25 11:59:43 | 観光地
またまた御朱印ゲットの旅に出かけました。
今回は以前に何度もお参りした葛南地区の有名寺院を訪ねました。
そのいずれもが日蓮宗のお寺です。
房総は日蓮の生まれた国なので多いのは当然でなのしょうか?

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最初に訪れたのは松戸市北小金の本土寺です。


紫陽花寺としても有名です。


秋には紅葉も美しくて参拝客が絶えません。
昼休みの時間は御朱印の記帳ができませんでしたので、仕方なく参道にある茶店で昼食を摂りましたよ・・・

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次に、本土寺から車で20分ほど走り、“寅さん”で有名な葛飾柴又“帝釈天”に行きました。
正式名称は「経栄山題経寺」です。

“瑞竜松”とよばれる松の木が帝釈堂の屋根よりも高く聳え立ち、まさに天にも昇らんとする龍のようでした。


法華経の説話を絵巻の題材として木彫の「胴羽目彫刻」が帝釈堂の周りを囲んでいます。


大正11年から昭和初年にかけて当時の彫刻名人たちが欅材(縦1.27m、横2.27m、厚さ20cm)に彫ったもので、「重要文化財級の価値がある」と、彫刻ギャラリーの入場券に書いてありました。

大庭園:邃溪園(すいけいえん)には回廊がめぐらされていて、見学することができました。


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さらに車で20分ほど走ると市川市下総中山の法華経寺に着きました。
日蓮宗の総本山は身延山の久遠寺ですが、ここ法華経寺は日蓮が生まれた誕生寺などと共に五大本山の一つです。
毎年11月1日から2月10日の寒中に100日間にも及ぶ修行は比類なき荒行として知られています。

蓮池にはもう赤とんぼの姿も・・・


“比翼入母屋造り”の「祖師堂」は圧巻で国指定重要文化財に指定されています。
この様式の建物は岡山市の吉備津神社(国宝)と2か所だけとのこと。


「鬼子母神堂」前の本殿寺務所で御朱印を頂きました。
御朱印を頂いた時の代金は比叡山はじめ、多くの神社仏閣で300円でしたが、こちらでは“御芳志”とありました。

小銭を持っていない時は困るう~・・・
お釣りを下さいとも言えないし・・・大枚をお納めしました。

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ちなみに、諏訪大社の4社は500円でした。観光地だからでしょうがないのでしょうか?

本土寺で御朱印の記帳を待っていたおば様たちに聞いたところによると、明治神宮や赤坂の日枝神社は500円だそうで、やっぱり東京は高い。
そう思ったのですが、神田明神や浅草浅草寺は300円とのこと。

信心深そうな老若男女も金銭には口さがないことで・・・




『香取神宮と鹿島神宮』

2017-06-23 23:05:51 | 観光地
明治以前、“神宮”と称する神社は伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社しかないなく、格式の高い神社でした。
その香取と鹿島へ行ってきました。
実は年相応に、このところ凝っている“御朱印”をゲットするために・・・です。

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香取神宮の創建は神武天皇18年なる由古文書に記されているそうですが、現在のご本殿は元禄13年に檜皮葺屋根、黒塗権現作りで徳川綱吉公によって造営されたそうで、重要文化財となっています。
明治4年に官幣大社となり、戦場へ赴く軍人や兵隊たちが武運長久を祈願しました。


本殿の脇には樹齢約1000年というご神木がありました。


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鹿島神宮の創建は皇紀元年頃(紀元前660年)で、有史以来の歳月を重ねているとのこと。


社殿はその昔、伊勢神宮のように20年ごとに造営されていたそうです。
現在の社殿は元和5年(1619年)に二代将軍徳川秀忠公により奉納されたそうです。

「奥宮」は、慶長10年(1605年)将軍徳川家康公が本殿として奉納されたものを元和の造営の際に引き移したのだそうです。


「要石」は見えているところは直径25㎝ほどしかありませんが、中へ行くほど大きくなっているそうで、地震を起こすといわれる大鯰の頭を押さえていると言われています。
水戸光圀公が掘らしたところ7日7晩かかっても掘り切れなかった大きさとのこと。
このため、この地方での地震の災害はないそうです。


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帰りに「潮来あやめ園」へ立ち寄りました。


「娘十八番茶も出花」・・・こんな穢れのない清々しい浴衣を着たような可憐な花もありました。


夕日が西に大きく傾くころ帰途に就き、一日がかりの小旅行で首尾よく両神宮の念願の“御朱印”を有難く頂戴いたしました。

・・・信仰も疲れるものです。


『御射鹿池』

2017-06-16 12:56:51 | 観光地
蓼科山麓の農地は高地にあることや、奥蓼科温泉郷から流れ出る水は酸性が強く冷たい鉱泉のため、農民たちは水不足と冷害に苦しんできたのです。

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このため、流れ込む冷たい水を、溜池を作って温めることによって農業用水として使用しようと、1933年に「農業用温水ため池」である「御射鹿池」を作りました。
面積1.3ha、貯水量26000t、最大水深8m、堤体標高1528mです。
「御射鹿池」の名の由来は、諏訪大社に伝わる神に捧げる鹿を射るという神事、「御射山御狩神事」にあるそうです。

PH4前後と酸性が強く魚などは生息できません。でも、そのために湖面には山や木々がきれいに映し出されるといわれています。


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東山魁夷画伯の名画「緑響く」はここをモデルにされたそうです。


農林水産省の「ため池100選」にも選定されています。



「乙女滝」

2017-06-14 16:49:39 | 観光地
江戸時代、蓼科山麓にある田畑は水不足で度々飢饉におそわれていました。
名主の“坂本養川”は蓼科山から流れ出る何本かの川を横断してつなげる堰を作ることで水量の多い川から取水し、水不足の地域に水を流す計画を作成し高島藩に献策しました。

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これによって、滝の湯川から「芝湛(しばたたえ)」と呼ばれる木と石で築いた堤防で川を堰き止め取水し、開削によって作った延長10.4kmの「滝之湯堰」が1785年に完工、また、延長12.5kmの「大河原堰」も1792年完工し、現在もそのまま使用されています。
これらは「世界かんがい遺産」に登録されています。

取水した川の冷水を温めてから農業用水として流すために、周囲1㎞、面積0.08㎢の「温水溜池」とよばれる「蓼科湖」が標高1250m地点に造られました(1952年)。

横谷渓谷は深い谷です。ここを横断する「大河原堰」は人工の滝を作って水を一旦渓谷に落としました。これが「乙女滝」です。

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「横谷温泉旅館」の手前の崖寄りの空きスペースに路駐して、すぐ近くの階段を下りること50mぐらいで滝のサイトに立つことが出来ました。

落差16mとはいえ、てっぺんから滑るように谷底深く落ち込む様は迫力満点です。


落ち込む滝口まで登ってみましたが、流れ落ちる水流と一緒に谷底に吸い込まれそうで足がすくみました。


無事生還できてよかった・・・


『波の伊八』

2017-06-08 15:08:17 | 観光地
先日、ドライブがてらに走っていたら、万木城カントリークラブの近くの「東頭山行元寺」というお寺の前を通りかかりました。
“波の伊八”の縦看板が目に留まりました。
葛飾北斎の浮世絵「冨獄三十六景神奈川沖浪裏」にそっくりの欄間が見られるという。


本堂に参拝して観光案内の方から丁寧に長々と説明を受けた後、薄暗い書院に案内され、「波に宝珠」と名付けられた“欄間”を拝見しました。
北斎もこれを見て、宝珠を富士山に置き換えて描いたのでは・・・と説明をされました。


伊八は鴨川の生まれで本名を武志伊八郎信由(1751~1824年)といい、房総の各地や相模の国に数多くの欄間彫刻を残したということです。
開山して1150年という古刹でした。


時にはぶらりと訪ねても新しい発見ができるものですね・・・知らないのは自分だけかもしれませんが・・・


『モモイロペリカン・カン太君』

2017-04-11 19:11:58 | 観光地
北印旛沼のモモイロペリカンのカン太は元気です。
住みついてから20年以上にもなると言いますから、相当のお歳ではないかと思います。

漁師のおじさんは佃煮にする小魚を印旛沼で漁っているそうですが、サイズの大き過ぎるのをカン太君にやっていました。


『迎賓館赤坂離宮』

2017-04-09 12:10:39 | 観光地
赤坂離宮が一般公開されていると云うので物見遊山で見てきました。
200人ぐらいの行列をして切符を買い求め、押すな押すなの混在の中、係員の「立ち止まらないでください」の掛け声に後押しされて順路を一巡りしてきました。

印象に残ったのは、白い壁と大きなシャンデリア、3階分はあろうかと思われる真っすぐな階段、それに壁画かな?

昭和49年の改修時には天蓋のある寝室なども見学させて頂いたのですが・・・

内部は写真撮影禁止!
外観だけどもと写真を撮りました。






参観料金1000円は高くない?・・・

『近藤勇陣屋跡』流山

2017-03-02 17:27:24 | 観光地
千葉県流山市は江戸時代に江戸川の大改修によって銚子から利根川を通っての船の航路が開設され、集散地として商家が立ち並ぶ街が出来だのです。
また、「小金牧」に属して馬の放牧が行われ、馬産地としても発展しました。

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明治に入ってからは「利根運河」が造られ、明治23年に開通してからは37、600槽もの通行があり大いに発展しました。

幕末期には新選組の近藤勇が最後の陣を敷きましたけれど、官軍に追い詰められて自首して最後の地となったのです。




名産品には「流山みりん」(万上本みりん)があり、江戸時代からの生産地でもあるのです。

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つくばエキスプレス(TX線)が開通してからは都心まで30分弱程度で行けるので沿線には大規模住宅団地と大型のショッピングセンターが出来て人気が出ています。

人口も急増していて、今後の発展が期待できそうです。