八月は過去を振り返り、想いを馳せ、頭を垂れることの多い月である。
昭和20年8月6日(1945年)広島に、さらに9日に長崎に原子爆弾が投下され、多くの方々が一瞬のうちに亡くなられ、また、多くの人々が助けを求め、水を求め、無念のうちに亡くなられた。
原爆記念館に立つとその悲惨さに言葉を失い、核兵器の廃絶を叫ばずにはいられない。
毎年、平和記念式典が開かれ、平和への願いを込め、鐘の音とともに犠牲者に哀悼の誠を捧げ、冥福をお祈りして深く頭を垂れるのである。
お盆の入りには迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、精霊棚を飾りご馳走を供え、生前に想いを馳せて仏前に深く頭を垂れるのである。
お盆の間中、先祖を敬い感謝し、果物やお菓子、野菜などのお供物を供え、御墓参りし、
お盆の明けにはご先祖様のあの世への旅路が無事であるように再び送り火を焚いてお送りし、手を合わせ頭を垂れるのである。
第2次世界大戦での犠牲者は世界で4,000万人とも5,000万人とも云われており、日本でも軍属230万人、民間人80万人という犠牲者を出してしまった。
昭和20年8月15日正午、昭和天皇は終戦詔書を朗読され、NHKは玉音放送として放送した。
国民はラジオの前に正座し泣きながら放送に聞き入り終戦を知った。終戦を知った人々は皇居前に集まって玉砂利の上に直に正座し涙した。
以後、毎年、終戦記念日として不戦を誓い、戦没者に哀悼の念を表し頭を垂れるのである。
大正12年9月1日は関東大震災が発生し、東京、横浜地区では壊滅的な被害を受け、14万人とも云われる犠牲者を出した。
今日は各地で防災の日として、大地震に対しての防災訓練の行事が開催された。
東京直下地震の起きる確率は27年以内に70%とのこと。大地震は明日起こってもおかしくないと云われるが、何時来るか判らない。
どうすればいいのだ・・・と頭を抱えて頭を垂れるのである。?
1週間ほど前に電車の吊り広告に、新川のひまわりが見ごろであると宣伝していたので、今日、自転車に乗って見に行った。今日は朝方など霧雨が降ったり止んだりだったし、出掛けも雲が重くたれ込めていた。
新川に着いたときは、雲の間に陽も大きく傾く4時ごろだったが、あたりは少しうす暗い状態ではあった。
ひまわりは何処ぞ!と探すが、あの黄色いひまわりたちは目に入らない。
ひまわりは常に太陽にいっせいに顔を向け、高く勝ち誇ったように、いつも満面笑みで明るく出迎えてくれる、と思っていた。
あっ、居た居た。
土手の上を急いで現場を目指した。
ひまわり畑に着いてびっくりした。
ひまわりは薄明るい西の方ではなくて皆、東の方を向いている。しかも顔は真っ黒、皆が皆、下に向けてうなだれている。
「ちょっと!こっち向いて俺の目を見ろよ!」こんな暗い、根暗なひまわり見たことない。
顔の周りの黄色の花びらも、ワルポンのハゲ頭のようで付いていない。
そうか、八月は過去を振り返り、想いを馳せ、頭を垂れることの多い月だから、ひまわりも頭を垂れ、明日の日本の平和を祈っているのか。
夏はおしまい!
今日から新しい月、9月だ。
昭和20年8月6日(1945年)広島に、さらに9日に長崎に原子爆弾が投下され、多くの方々が一瞬のうちに亡くなられ、また、多くの人々が助けを求め、水を求め、無念のうちに亡くなられた。
原爆記念館に立つとその悲惨さに言葉を失い、核兵器の廃絶を叫ばずにはいられない。
毎年、平和記念式典が開かれ、平和への願いを込め、鐘の音とともに犠牲者に哀悼の誠を捧げ、冥福をお祈りして深く頭を垂れるのである。
お盆の入りには迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、精霊棚を飾りご馳走を供え、生前に想いを馳せて仏前に深く頭を垂れるのである。
お盆の間中、先祖を敬い感謝し、果物やお菓子、野菜などのお供物を供え、御墓参りし、
お盆の明けにはご先祖様のあの世への旅路が無事であるように再び送り火を焚いてお送りし、手を合わせ頭を垂れるのである。
第2次世界大戦での犠牲者は世界で4,000万人とも5,000万人とも云われており、日本でも軍属230万人、民間人80万人という犠牲者を出してしまった。
昭和20年8月15日正午、昭和天皇は終戦詔書を朗読され、NHKは玉音放送として放送した。
国民はラジオの前に正座し泣きながら放送に聞き入り終戦を知った。終戦を知った人々は皇居前に集まって玉砂利の上に直に正座し涙した。
以後、毎年、終戦記念日として不戦を誓い、戦没者に哀悼の念を表し頭を垂れるのである。
大正12年9月1日は関東大震災が発生し、東京、横浜地区では壊滅的な被害を受け、14万人とも云われる犠牲者を出した。
今日は各地で防災の日として、大地震に対しての防災訓練の行事が開催された。
東京直下地震の起きる確率は27年以内に70%とのこと。大地震は明日起こってもおかしくないと云われるが、何時来るか判らない。
どうすればいいのだ・・・と頭を抱えて頭を垂れるのである。?
1週間ほど前に電車の吊り広告に、新川のひまわりが見ごろであると宣伝していたので、今日、自転車に乗って見に行った。今日は朝方など霧雨が降ったり止んだりだったし、出掛けも雲が重くたれ込めていた。
新川に着いたときは、雲の間に陽も大きく傾く4時ごろだったが、あたりは少しうす暗い状態ではあった。
ひまわりは何処ぞ!と探すが、あの黄色いひまわりたちは目に入らない。
ひまわりは常に太陽にいっせいに顔を向け、高く勝ち誇ったように、いつも満面笑みで明るく出迎えてくれる、と思っていた。
あっ、居た居た。
土手の上を急いで現場を目指した。
ひまわり畑に着いてびっくりした。
ひまわりは薄明るい西の方ではなくて皆、東の方を向いている。しかも顔は真っ黒、皆が皆、下に向けてうなだれている。
「ちょっと!こっち向いて俺の目を見ろよ!」こんな暗い、根暗なひまわり見たことない。
顔の周りの黄色の花びらも、ワルポンのハゲ頭のようで付いていない。
そうか、八月は過去を振り返り、想いを馳せ、頭を垂れることの多い月だから、ひまわりも頭を垂れ、明日の日本の平和を祈っているのか。
夏はおしまい!
今日から新しい月、9月だ。