俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『紅花』

2012-09-18 20:07:30 | 観光地
♪~逃げた女房にゃ 未練は無いが 
お乳欲しがる この子がかわい
子守唄など にがてな俺だが 
馬鹿な男の 浪花節 
一つ聞かそか ねんころり
セリフ そりゃ・・・無学なこの俺を親にもつお前はふびんな奴さ 
泣くんじゃねえ、泣くんじゃねえよ 
あんな薄情なおっ母さんを呼んでくれるな おいらも泣けるじゃねえか
ささ、いい子だ ねんねしな
       ♪~土方渡世の おいらが賭けた
          たった一度の 恋だった
           赤いべべなど 買うてかやれぬが
            詫びる心の 浪花節
             二つ聞かそか ねんころり
       ♪~どこか似ている めしたき女
          抱いてくれるか ふびんなこの子
           飯場がらすよ 噂は言うなよ
            俺も忘れて 浪花節
             三つ聞かそか ねんころり

一節太郎の浪曲子守唄です。
酔ったカラオケの席では、ワルポンのおはこの一つです。

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戦後・高度成長期にかけての集団就職の時代には、日本のあちこちの土木・建築現場には“飯場”が数多く有りました。当時は道路のほとんどがまだ砂利道で自動車が一般大衆化する前です。
ワルポンも昭和40年前後ごろのアルバイトや社会へ出たてのころは、温泉地での建築現場や山あいの橋の建設現場の飯場暮らしをしたものでした。

昭和58年、橋田壽賀子の「おしん」はNHKの連続小説で空前の大ヒットとなりました。
山形の貧しい農村で生まれたおしんが、貧しさの口減らしのため7歳で酒田へ奉公に出される冬の最上川べりの川下りの別れのシーンで、おしんは紺の木綿の着物姿だったのをご記憶の方も多いのではないでしょうか?

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栽培された「紅花」は、山形県を貫いて流れ下る最上川の舟下りで酒田へ集められ、北前船で京や堺へ運ばれて、紅色染料となり、華やかな着物や口紅となりました。

江戸時代、「赤いべべ」など買えない山形の寒村では、せめてみやびな紅い着物のひな人形でも子供らに与えてあげたいということで、最上川沿いの「ひな街道」が出来たと云われています。



あざみの仲間でもある「紅花」は、葉のふちに鋭いトゲがついていて、貧しい中にも辛抱強くあきらめないでたくましく気丈に生きるおしんのようでもあります。