安房小湊の「鯛の浦」へ行ってきました。
回遊する鯛を遊覧船に乗って間近に見られるという観光地です。
でも、今回も御朱印を頂戴するための旅ですから、お寺へまっしぐら・・・
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
日蓮聖人は、ここ安房小湊の磯のほとりで、鎌倉時代の貞応元年(1222年)にお生まれになりました。と、いうことで、この地へ「誕生寺」が創建されたのです。建治2年(1276年)のことでした。
それにしても幼少の日蓮は利発で聡明そうなお顔立ちですね。
しかし、明応7年(1498年)の大地震による津波によって消失してしまったために、現在の地へ日蓮宗小湊山誕生寺として移設再建されました。ところがまたもや元禄16年(1703年)に、房総沖を震源とする大地震・津波によって、支院十坊、門前の人家百余戸が流出、僧俗408名が溺死する大災害に見舞われたのです。
水戸の徳川綱条公が先代の黄門さまの光圀公の追善のためとして、再建復興することが出来たそうです。
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小湊から車で20分走り、曲がりくねったヘアピンカーブのかなりきつい山を上って、清澄寺(せいちょうじ)へお参りしました。
宝亀2年(771年)天台宗の寺院として建てられたのですが、その後800年を経て真言宗智山派の法脈に属したのですが、大正時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって衰微したため、日蓮聖人の出家得度の霊地として昭和24年に日蓮宗大本山清澄寺となりました。
お堂の脇を流れる山からの涼しい風で、大きな階段を一気に駆け上った汗がす~っと引きました。
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安房に誕生寺があるためか千葉県下は日蓮宗が多いと思っていましたが、実際は圧倒的に真言宗智山派が多いそうです。
清澄寺も戦前まで真言宗智山派でしたし、千葉県で最も知られる成田山新勝寺もそうでした。
お寺によっては宗派が変わることもあるのですね。
そういえば日蓮の像がある曹洞宗のお寺もありました。
回遊する鯛を遊覧船に乗って間近に見られるという観光地です。
でも、今回も御朱印を頂戴するための旅ですから、お寺へまっしぐら・・・
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日蓮聖人は、ここ安房小湊の磯のほとりで、鎌倉時代の貞応元年(1222年)にお生まれになりました。と、いうことで、この地へ「誕生寺」が創建されたのです。建治2年(1276年)のことでした。
それにしても幼少の日蓮は利発で聡明そうなお顔立ちですね。
しかし、明応7年(1498年)の大地震による津波によって消失してしまったために、現在の地へ日蓮宗小湊山誕生寺として移設再建されました。ところがまたもや元禄16年(1703年)に、房総沖を震源とする大地震・津波によって、支院十坊、門前の人家百余戸が流出、僧俗408名が溺死する大災害に見舞われたのです。
水戸の徳川綱条公が先代の黄門さまの光圀公の追善のためとして、再建復興することが出来たそうです。
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小湊から車で20分走り、曲がりくねったヘアピンカーブのかなりきつい山を上って、清澄寺(せいちょうじ)へお参りしました。
宝亀2年(771年)天台宗の寺院として建てられたのですが、その後800年を経て真言宗智山派の法脈に属したのですが、大正時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって衰微したため、日蓮聖人の出家得度の霊地として昭和24年に日蓮宗大本山清澄寺となりました。
お堂の脇を流れる山からの涼しい風で、大きな階段を一気に駆け上った汗がす~っと引きました。
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安房に誕生寺があるためか千葉県下は日蓮宗が多いと思っていましたが、実際は圧倒的に真言宗智山派が多いそうです。
清澄寺も戦前まで真言宗智山派でしたし、千葉県で最も知られる成田山新勝寺もそうでした。
お寺によっては宗派が変わることもあるのですね。
そういえば日蓮の像がある曹洞宗のお寺もありました。
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