横浜・本牧にある「三溪園」へ行ってきました。
《三溪園は生糸貿易で財を成した横浜の実業家 原 三溪(本名:富太郎)の元邸宅。彼はここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39(1906)年“三溪園”として一般公開しました。
175,000㎡(約53,000坪)の園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されています。》
(前文の《 》内は、三溪園のパンフレット「三溪園について」から抜粋しました)
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
南門から入ると、梅がちらほら咲き始めていました。
庭園全域が国の文化財の指定となっているとのことで、建造物だけで無く池や渓谷が有り、古木や石を配した庭の造作にも、また、沢山の野鳥にも巡り合うことが出来て、自然を楽しみながら心安らぐ散策が出来ます。
濃いオレンジ色の胸をしたジョウビタキがいました。
ムクドリもいました。
カワセミのオスもいました。
カモなどの水鳥も沢山いました。
氷ばかり撮っていると云うお爺さんカメラマンもおられました。
握っていた霜柱を手の平を開いて見せてくれました。
太陽の光にきらめく霜柱は透き通って、どんな宝石よりも、それはとても綺麗なものでした。
*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*
さらに、居ましたよ!
ここにも居ましたよ・・・ 三人組が・・・
野鳥狙いのリタイヤ組のカメラマンが・・・
3時間ほどの散策の間に3回も出会ったのです。
何処にもいることが可笑しい!
カワセミ並みですね? お互いに!
《三溪園は生糸貿易で財を成した横浜の実業家 原 三溪(本名:富太郎)の元邸宅。彼はここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39(1906)年“三溪園”として一般公開しました。
175,000㎡(約53,000坪)の園内には、10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が四季折々の自然の景観の中にたくみに配置されています。》
(前文の《 》内は、三溪園のパンフレット「三溪園について」から抜粋しました)
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南門から入ると、梅がちらほら咲き始めていました。
庭園全域が国の文化財の指定となっているとのことで、建造物だけで無く池や渓谷が有り、古木や石を配した庭の造作にも、また、沢山の野鳥にも巡り合うことが出来て、自然を楽しみながら心安らぐ散策が出来ます。
濃いオレンジ色の胸をしたジョウビタキがいました。
ムクドリもいました。
カワセミのオスもいました。
カモなどの水鳥も沢山いました。
氷ばかり撮っていると云うお爺さんカメラマンもおられました。
握っていた霜柱を手の平を開いて見せてくれました。
太陽の光にきらめく霜柱は透き通って、どんな宝石よりも、それはとても綺麗なものでした。
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さらに、居ましたよ!
ここにも居ましたよ・・・ 三人組が・・・
野鳥狙いのリタイヤ組のカメラマンが・・・
3時間ほどの散策の間に3回も出会ったのです。
何処にもいることが可笑しい!
カワセミ並みですね? お互いに!
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