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年賀・Xmasカードをやめた 岩崎邦子の「日々悠々」(64)

2020-01-10 08:38:21 | 【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」

【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(64)

年賀・Xmasカードをやめた 

 

 昨年暮れ間際になって「Merry Christmas & Happy New Year」のグリーティング・カード1通が私宛に届いた。怠け者の私は、もう何年も前からこうしたカードを送っていない。そして年賀状も一昨年からは、失礼して書かなくなってしまった。なぜなら、そうしたお金がないんです。というのはコジツケだが、私はすっかり横着者になったということだろう。

 もう少し若かった頃は、海外でお世話になった知人などに11月末までにはXmasカードを送り、12月に入ると、年賀状を作らなければと焦ることに。パソコンを利用していたが、送り先の名簿の点検、ハガキのデザイン、昨年との比較、諸々に悩まされていたものである。横着者の自覚をすると、「音沙汰がないのはきっと死んだのだろう」と、思われる覚悟が出来た。

 ところで、先に書いたクリスマス・カードを送ってきた人は、ロサンゼルスの知人S子さんである。彼女とは、週2回の無料の英語学校で知り合った。ご主人は現地で寿司職人をしていて、30代後半だったと思うので、私より10歳くらいは若かったかも。

 当時、日本企業から赴任してきている人の奥様方は、英語を勉強するにしても有料の所、あるいは個人レッスンを受け、優雅な集まりの日本人会を頻繁にしていたようだ。S子さんは、学校で知り合った数少ない日本人の一人である。

 まだ若いのに脳梗塞になったことがあるらしく、少し呂律が悪かったが、なぜか私に懐いてきてくれた。長いようで短かったロスから日本への転勤が決まり、我が家の不要となった日常品や衣類などの大量を、ありがたいことに、S子さんとそのご主人が引き取ってくれた。

 彼女の実家は横浜で、母親が一人暮らしをしているという。年に1、2回は一時帰国をしてきていたが、その時は必ず手土産にナッツやらジャーキーを持って私に会いに来てくれた。手づくりのパッチワーク・キルトのポーチなどをお返しにしたのだが、私が処分したいと思っている洋服などを喜んでくれたものである。そうこうしているうちに、彼女の母親も亡くなった。

「今、日本に来ているの。会いたいけど……」

 S子さんから久しぶりに電話があったのは2年前のことである。東京駅の地下街でランチをすることになったのだが、彼女は重そうなバッグパックからゼリー飲料が入っているような容器を取り出した。

「体にとても良い水なのよ」

 と、その容器を私に5、6個も手渡した。それだけではない。何やら健康に良いとか美容に良いのだとかといった品々を披露する。それらの素晴らしさを熱心に説き、自分の掛かりつけのロスの医師もこの水の成分を絶賛しているとか。

 S子さんの身なりや顔つきは、年相応というか、あか抜けない感と呂律の悪さは昔のままだが、その言動の変わりようには正直言って驚いた。そんな彼女の熱心さと説得に根負けした私は、六本木で結構なお話が聞ける人たちの集まりに参加するハメに。

 タワーマンションではないが、とあるマンションのフロアーに着いてみると、ちょっとしたパーティ会場となっていた。こうした会は定期的に開かれているらしく、若い男性がお馴染みの人や初めての人を仕分けしながら、手際よく席へと案内している。

 会場内の窓際にはプチケーキやおつまみが置かれた台があり、あちこちのテーブルには、その会社の商品らしき物が何種類か置かれていた。自由に手に取って見るようにと、若い女性が近寄ってきて、しつこい。S子さんの顔を立てるために来た私だが、不快な態度も表情も隠せなかった。

 やがて、メーンイベントとなる会場へ。イケメンの若い男は、水の効能の説明と数ある他の製品がいかに素晴らしいものか、まくし立てている中で、サクラとおぼしき人物が感動したように、聞き入っている。この怪しい雰囲気にますます嫌な気分になり、帰りたくなった。

 でも、S子さんから、

「私のリーダーで、尊敬している素敵な人に会って欲しいの」

 と、これまた熱心に頼まれた。

 会場の中で派手で一番目立っていた女性が、しばらくすると颯爽と近づいてきた。高いヒールの靴をコツコツと鳴らし、ショッキングピンクのワンピースに高そうなバッグを肩にかけ、ピンクのイヤリングが揺れている。

 左手には光る大きなダイヤモンド、右手にも大きな翡翠、長い爪には真っ赤なネイル。顔はにこやかだが、こちらの値踏みをしっかりしながら、私のことを「ちょろい奴」と、あきらかに見込んだようだ。S子さんと私、もう一人知らない人と共に、近くの喫茶店に案内された。

 S子さんから私の年齢なども聞いていたのであろうが、自分の年齢も言いながら、

「あなた、若い! とてもその年齢には見えませんね」

 と。私より6歳若いが、ちょっと見は50代半ばにも。常套手段として、一応は人を褒めてみることにしているようだ。私も負けずにその女性に対してあらん限りの言葉を尽くし、服装から持ち物、美しさなどを、盛大に讃えてやった。でも、そうした褒め言葉を聞きなれているのか、当たり前に思っているのか、「あなたも、すぐにこのようになれますよ」という感じで鷹揚に構えている。

 今、彼女の名前がどうしても思い出せないが、やたら田園調布に住んでいることを強調していたので、Dさんとしよう。ここの商品を日本だけでなく、海外にも如何にして多く売り上げているのか、Dさんの得々とした説明が始まった。彼女の夫はどこかの会社の社長をしており、その部下や知り合いを使って、どんどん子供や孫、その子孫を増やして行ったとか。

 ん? つまりネズミ講なの? この言葉は今では使われないので、ネットで調べてみた。

<ネズミ講の講には、悪い意味はないが、ネズミ算式に増幅するとの例えで、無限連鎖講の防止として、該当するものには罰則を持って禁止、なので、それに代わるものとして、マルチ商法がある。会員が新規会員を誘い、その新規会員が更に別に会員を勧誘する連鎖により、階層組織を形成・拡大する販売形態である。正式名は連鎖販売取引という>

 そういうことらしい。

 つまり、マルチ商法の頂点に立っているDさんには、遊んでいても優にお金が動いて入って来るというわけだ。そうした人脈の作り方を図に書いて、誰にも簡単にできるシステムなのだと説明しているようだが、私の耳には少しも入ってこない。うわの空で聞いていると、

「明日、田園調布の我が家でパーティをするから、ぜひ来てください。その会は楽しくて、素敵な友達も出来るから……」

 と、Dさんは自宅への行き方まで説明した。おまけにLINEの交換までさせられる始末である。「有難い水」のお土産も渡され、ほうほうの体で家に逃げ帰った。もちろん、憧れの田園調布のお宅に行くこともLINEで断った上、彼女のLINEそのものも削除し、送られてきた分厚いパンフレットも右から左でゴミ箱へ。

 私を慕ってくれていたS子さんのLINEも削除した。暮れに届いたグリーティング・カードも、もちろん処分してしまった。ご好意であったかもしれないが、横着をしたことへの反省は毛頭ない。こうして私は裕福で贅沢な生活のチャンスから見放されてしまったのかも。しかし、おかげで私は人を不愉快にさせることはなかった。それだけは確かである。「あっ、ハハハー」と、馬鹿笑いが出来る、元気な友人が何人かいれば、ね。


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