白井健康元気村

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優しさに触れる 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㊲

2022-02-10 04:28:53 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㊲

優しさに触れる

岩崎邦子 

 

 

「やっぱり、あった!」
 我が家のテーブルに置かれた眼鏡を見つけ、ホッとする共に、心配をかけた人たちへの申し訳なさで一杯になる。勘違いをして、眼鏡を紛失したと愚痴ってしまったのだ。早々にお詫びメールをパークゴルフ仲間に出した。
 まるで、サザエさんのマンガで波平さんが「眼鏡はどこだ!」と騒いでいるが、実は頭にかけていることを忘れているのと、似たような話である。
 いつも出掛ける時は、乱視用の眼鏡をかけて出かける私。疲れ予防に眼鏡は掛けていた方が良いと言われてはいる。パソコンに向かう時、手作業をする時、何かを読む時には、それぞれ専用の眼鏡をするが、それ以外は、「ノー眼鏡」で日々を過ごしている。
 以前なら冬の寒さ除けにもしていたマスクも、コロナ騒ぎ依頼、外出となると必ずマスク着用が必須。先日のパークゴルフの時、私の打った球はコースの中に植えられていたサツキに当たって、ОBになってしまった。
「あ~ぁ」と、残念に思いながら、ボールを拾い出し、息苦しく感じたのでマスクをはずす。そして眼鏡をしていないことに気づいた。芝生の深い所に入り込んだのか、手で探ってみても見当たらない。ま、眼鏡が無くても、景色も物を見ることも出来るが、スコアは物凄く悪くなってしまった。
 昼食の際、眼鏡を紛失したことを、プレー仲間に言ってしまった。失くした場所で思い当たるのは、サツキの木の下の芝生が深い所ではあるが……。
 しばらくすると、夫もプレー仲間も、探しに出かけてくれたようで、「無かったけど、他に思い当たる所は?」と聞かれ、最初に回ったコースと、失くしたと気付いたところまでを注意しようということに。
 ふと、「今日の私は眼鏡をかけて来たのかしら?」と、疑問が湧いた。今までは手製の布マスクだけだったが、不織布のマスクと共に二重にしたので、我ながら目の周りの感覚が少し変だったのだ。
「うー、確か、眼鏡をかけてましたよ」
 と、誰かが言うので、やはり眼鏡をかけてきたのだろう。そんなわけで、シャカリキになって探す。お仲間を動員して。でも、実際はかけてこなかったのである。とんだ迷惑をかけてしまった。
 冬場のパークゴルフの時、私はつばの付いた帽子に毛糸の帽子も重ね、しかも眼鏡とマスク姿。通りすがりでは「誰が誰やら」となってしまう。でも、お仲間には、声と雰囲気で認識してもらっているかも。
 私が出したお詫びメールに対して、「よかったですね」とか「よくあることです。良い方に転んで良かったです」「眼鏡、見つかって何よりです。良かったです」と、何とも優しいお返事が次々といただけた。
 ところで、パソコンに届くメールを見ていて、さすがぁと思うことがある。私にではなく夫も所属しているお仲間宛てのものだ。会の運営はもちろん、役所とのやり取りという難しい問題をTさんと幹事のSさんと交わされているのだが、もう頭の下がる内容である。
 そんなメールとは反対に、少しも重要でないことや、言葉の端をもじったような、どうでも良い事柄を出してくる人のメールもある。それに対しても出来る限りの誠意で対応されているTさんのメールを見ると、「何と優しい方なんだろう」と、お人柄に深く感じ入る。
 話を戻そう。私の眼鏡ロスは、認知症への助走にもつながるのではないか。気になったので、ネットで「物忘れから認知症が進行する」の項目を調べると――

 ①「言葉と人の名前が出てこない」「物をしまった場所を忘れる」
 ②「好きだったことが楽しくない」「集中力がなくなる」「同じ話を繰り返す」「直前に食べたものや暗証番号を忘れる」 

 さて、晴れて認知症になると、「物盗られ妄想」や「無いものが見える幻覚」に襲われたり、「徘徊して帰れない」ということになってしまう。 
 ということで、今のところ、①には心当たりがあるけれど、②に関しては、心当たりはあまりないので大丈夫のようだ。でも、私は物忘れや勘違いが結構あるので、認知症への入り口にいるのかも。
 嫌だ、嫌だ。認知症になって家族や人様に心配や迷惑をかけたくない。そう思っていても、認知症にならないという保証はない。
 また、家族や知人・友人にその認定が下される場合もある。家族は愛情を注くが、介護は専門家にお任せすることが理想とされている。
 仲間や友人とワイワイ楽しく話せているいる間にも、心得ておきたいことがある。重度の認知症になっても、誰が自分に優しくしてくれているのか、それだけは絶対に分かるらしい。
 以前に読んだことがある「傾聴ボランティア」の本には、「聞く(hear)」から「聴く(listen)」へという、善意を活かす「癒しのスキル」が書かれていた。一体何がどう違うのか。「聞く」は、音や音楽、言葉が何となく聞こえ、耳を素通りしていく状態。一方の「聴くlisten」は、自分の目と耳と心をフル活動して、注意深く、そして一生懸命聴くことなのだそうだ。
 高齢者は、私を含めて耳の聞こえが悪くなり、受け答えがズレることが少なくない。話題の内容から推察して話すときがあるが、明らかにバカにされた時もあって、悲しくなってしまう。もっと優しくなれないものか。
 ところで、「優しい」と言うと、つい最近、こんな出来事があった。今、北京で冬季オリンピック競技が開かれているが、スキージャンプ混合団体で起きた事態は、どうにも腑に落ちない。

 あの高梨沙羅選手が、1回目で大ジャンプを決めたのだが、スーツ規定違反と判定され失格となった。思ってもみなかった結果に泣き崩れる高梨選手を、スキージャンプ男子ノーマルヒルで金メダルに輝いた小林陵侑選手が優しくハグする。

 もう涙なしには見ていられない。心に沁みるシーンである。言葉以上に説得力のある「優しさ」を見た。そう感じたのは、私だけではないだろう。

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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