【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㉘
東銀座駅を降り立ち3番の改札を出ていくと、すぐに歌舞伎座のおみやげ売り場となっている。改築される前の歌舞伎座には友達と何度か観劇に来ていたが、最近はすっかりご無沙汰している。あの当時は歌舞伎座前に出るために、狭い階段を上っていったが、足の不自由な人がいると渋滞となってしまう。
久しぶりに来てみると売り場の端の方にエスカレーターが設置され、地上への人の流れがスムーズになっていた。晴海通りに出て、お上りさんの私は、案内ハガキ「マダム・オブ・トウキョウ展」の地図にあった「文明堂は?」と見回すと、それは目の前にあった。
目指すはSWANのある銀座3丁目の白鳥ビル。文明堂と歌舞伎座との間の道を北へと歩き出す。途中で人が行列を作っている食べ物屋があるが有名なのだろうか。1つ目の通りをまたいで、少し歩いて行くと右手に郵便局があり、しばらくすると次の通りに出た。
右手を見ると目指す白鳥ビルが見えて、思ったよりはるかに近い所にあるのだと実感した。SWANを訪ねてきたのは、私が住んでいるマンションの林さんという方のお嬢さんが、ここで「マダム・オブ・トウキョウ展」が開かれているから。
そのことを知ったのは白井健康元気村のブログ記事で、お嬢さん・亜矢子さんへのインタビュー記事を読んだからだ。銀座とかマダムとか、全く縁のない私だが、亜矢子さんの受け答えを読むうち、少しニュアンスは違うが「そうだよね~」という気持ちが沸いた。
亜矢子さんはニューヨーク旅行中に、マダムたちの派手な姿を良いなぁと思い、カメラを向けると人見知りをしない人が多く、9割の人がOKで撮らせてくれたとか。日本ではその逆で9割が美徳?なのか「私なんか」となることが多いそうだ。
このお国柄のちがいは、日本人の特徴にも思うが、今の若い人でもそうなのか、それとも年代も関係するのだろうか。私を含めまわりの人も、自己の考えを主張し、自分をアピールすることが、苦手なのはなぜだろう。
少し話が逸脱するが、夫の転勤でしばらく居たロサンゼルスは人種のるつぼであって、そこの英語学校の経験では、日本人は英語の筆記試験・文法などは出来ても、いざ会話となると話が進まなくなってしまう。
私の場合は中学1・2年生のレベルの試験だったので、出来て当たり前であったが、日本の学校で英語が得意で高学歴だった人も、いざ会話となるとダメな人が多かった。これはその人の自信が災いするケースとも言える。
この学校はヒスパニック系が多かったが、彼らは試験の点数はまるでダメでも、ブロークン・イングリッシュで自分の意思を通じさせて仕事にありついていた。自己主張が強く、自分をけっして卑下することのない人たちだ。何かあれば自分をアピールすることに熱心である。
アメリカ社会では自己主張をきちんと発揮しないと生きては行けない。日本の社会では逆にそれをすると、嫌われたり疎んじられたりする。
またまた余談であるが、今ほど禁煙が叫ばれていない頃、娘が日本に一時帰国してきた折に、友人たちと食事をした時の話だ。友人の男友達が、
「たばこ、吸っても良いですか?」
と、聞いてきた。許可を得ようとする態度は紳士的とも思えるのか、日本で暮らす友達は肯定的とも思えるうやむやな返事しかしない。
「ここは食事をするところですから、喫煙所でお願いします」
そう娘は答えたという。
日本での高校生時代は自分の意見や自己主張も出来なかった娘だが、以前とは違ってアメリカ社会にすっかり馴染んでいた。友達もその男友達も、なんとキツイことを言うのかとばかりに、呆れた表情だったという。
自分の考えやルールなどをきちんと言えば白い目で見られるか、生意気な小娘だと日本では言われてしまう。ささいな経験ながら、帰国子女は日本の会社では扱いづらいという前評判を実感した娘、日本ではもう働けないと悟ったという。そんな娘の子供時代は、どうであったのか。それはどうも私とリンクしている気がしている。
私は人見知りが強く、自分から進んで前に出て誰彼と話すことが出来なかった。子供の頃に学校の先生に言われたことや、通知表にも書かれていたことを思い出す。高慢であったとは思わないが、
「誰とでも仲良く話しましょう」「人前に出て話しましょう」「持てる力をなぜ、出さないのですか」等々。
このことは、娘も小学校時代に先生から言われていたことを思い出す。
私がまだ若かった頃、積極的で何ごとも前向きの友人に言われたことを思い出した。
「女ばかりの仲間はダメよ。男性もいるグループに入らないと」
その当時はあまり意味が分からなかった。年を重ねてきてから、男性の多いパークゴルフをするようになり、白井健康元気村に入ったことで、自分を鼓舞しながら人に話しかけることをしてきた。なるべく笑顔になるように、努力もしてきたことで、少しはマシになったのではないか、と思っている。
さて、私は街中で「写真を」などと言われたこともないが、もしそんなことがあっても、美徳でも謙遜でもなく写真に撮られることは好きではない。若い人たちがインスタ映えする場所を選んで、盛んに自撮りをしているのをテレビなどで見かけるが、それらには全く興味がないのは、今の年齢になったからだろうか。
しかし、亜矢子さんの人柄が功を奏しているのか、魅惑のある日本のマダムたちの写真展が開かれていることを知って、好奇心だけは持つ私である。さてSWANの会場に1時少し前に着くと、林さん親子と本日のギャラリートークの方と思しき方、一人の男性が先客であった。
SWANは広くはないが、真っ白な壁が清潔感もあり、お洒落なギャラリーとなっていて、パンフレットでも見かけたモデルさんの写真がまず目に入った。奥行きのない横長の部屋なので、写真はほぼすべてが一望できる。可愛いスリッパがあったけれど、フロアーの段差もなく、入り口付近は狭いので、ここは外国式で靴は脱がないシステムの方が……と、余計なことを考えた。
明るく華やかな衣装の笑顔写真が壁に何枚も飾られている。それぞれのモデルさんのスナップが2枚から3枚あり、どの顔もにこやかで、過ごしてきた自身の人生に対して誇りを持ち、自信ともなっているのか、満足げに見える。亜矢子さんのカメラに収まっている人たちは、ほとんどが街中で声をかけて、被写体としてOKが取れた人たちだという。
それもすごいことだが、彼女たちの小説のよう経歴を聞いて、「えーっ」と驚くしかなかった。一体どんな人がモデルになったのか。(つづく)