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アイスランドの火山噴火に翻弄された 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉕

2023-10-07 05:23:48 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉕

アイスランドの火山噴火に翻弄された

成田→自宅→成田→ロンドン

 

 

 2010年4月15日の正午に成田を飛び立ったロンドン行きJL401便(JL=日本航空)は、順調に飛行を続けていた。これからロンドンに赴任するのだ。美味しい機内食を楽しもう。映画『アバター』を観ながら、食後のブランディーに口をつけていると、ウトウトし始めた。その時だ。機長の落ち着いた声が機内に響いた。
「アイスランドで火山が噴火し、ヨーロッパの多くの空港が閉鎖され始めているため、成田に引き返す」と言う。離陸してから既に6時間以上経っている。飛行ルートを映し出すディスプレイを観ると、ロシアのエカテリンブルグとノヴォシビルスクの中間辺りだ。ロンドンまでの飛行時間は14時間弱だから、既に半分近く飛んでいる。

 不思議な事に、私はとても冷静にこの不測の事態を受け入れていた。気圧の低い環境で酔っ払っていたので、思考能力が低下していたのかも知れない。機内電話で、会社の安全センターに連絡を試みたが、担当者が誰も捕まらない。仕方なく、韓国出張中の同僚に電話して関係先への報告を頼んだ。機上から電話するのは初めてだったが、雑音が酷くて、辛うじて会話が成立するレベルだった。
 改めてルートマップに目をやると、ノヴォシビルスク辺りから突然東に向かう飛行ルートの起点が現れ、バイカル湖の北東に機体が表示されていた。成田到着後の行動から再出発までの手筈など目まぐるしく考えを巡らしている内に眠りに落ちた。


▲バイカル湖の北東空域でJL401便が U ターン

 

▲尋常でない飛行ルート。突然、フライトの起点がディスプレイ上に現れる

 

▲出国スタンプの上に VOID(無効)のスタンプが押された貴重なパスポート


 成田に到着すると、私の名前を書いた紙を掲げてJALの職員が待機していた。長年の「JALグローバルクラブ」会員の特権だろうか、長蛇の列を横目にタクシー乗り場まで案内してくれた。家にたどり着いたら午前1時を過ぎていたが、眠い目をこすりながら、妻が出迎えてくれた。

 いつでも再出発できるよう自宅待機を続けていたが、数日経つと、噴火の影響が徐々に明らかになってきた。アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル氷河が3月20日に噴火し、4月14日に二度目の噴火が起きたらしい。
 火山灰は上空約1万6000メートルに達してから南下した。そして英国北部に到達後、欧州北部と中部のほぼ全域に到達、4月18日にはスペイン北部にまで達した。火山灰は、ピトー管(対気速度計測装置)を詰まらせ、機体の表面に付着して、機体の重量のバランスと空力特性を狂わせる恐れがある。
 また火山灰にはガラス質の粒子を含んでいる事が多い。これがジェットエンジンの中に吸い込まれると、エンジンタービンの高温で溶け、エンジンに損傷を与える可能性がある。そんな事態を避けるため、欧州域内だけでなく、欧州以外の地域から欧州に向かうフライトも総てキャンセルされ、18日には約30カ国で空港閉鎖となった。

 


▲赤=領空封鎖、橙=部分封鎖 (2010年4月18日時点)

 

 事態は想像していたより遙かに深刻だった。私は毎日、会社の航空サービス部門と頻繁に連絡を取り、同月20日の成田発午前10時55分のBA006便(BA=ブリティッシュエアウエイズ)を押えることができた。
 9時半頃成田に到着したが、フライトは午後6時半まで遅れると告げられる。チェックインしていないので、ラウンジにも入れず、空港内で鬱々イライラと時間をやり過ごす。その後、更に午後7時15分まで遅れる事になった。やっとチェックインしようとしたところ、BA職員が涼しい顔でとんでもない事を言う。
「当便は、成田を離陸はしますが、欧州のどの空港に着陸するか決まっていません。多分、マドリッドのバラハス空港になるのではないかと思われます。それでも良ければ、どうぞご搭乗ください」                             「エッ、もう一度言って。目的地が決まっていないってどうゆうこと? その決まっていない目的地に到着後はどうなるの?」                           「そこから先は、お客様の責任で手配願います」                 
「冗談じゃない! これから、ロンドンに赴任するので、沢山荷物を抱えている。そんな状態で、最終目的地までのフライトが確保できてもいないのに、搭乗できる訳ないだろ!」
 あまりに非常識な物言いに、つい言葉が荒くなった。

 フライトをキャンセルし、家に戻る。もう疲れ果てた。翌日、「今日もどうせ飛べないだろう」とゆっくり起きたら、9時過ぎに航空エージェントから電話が入った。「今日、12 時発の JL401 便が取れました!」

 慌ててシャワーを浴びて、解いていた荷物を再パッキングし、タクシーで成田空港に向かった。タクシーに乗って数分後、忘れ物がないかブリーフケースをチェックしたら、パスポートがない!
 直ぐ、家に戻って探し回ったが、パスポートが見つからない。パニックに陥りながらも取りあえず、成田空港に向かう。タクシーの中からJALのグローバルデスクと成田の遺失物係に電話をかけ、パスポートの落とし物はないか、尋ねる。
 パスポートがなくて、出国できないなんて、恥さらしな事態は絶対避けたい。火山の噴火に、目的地不明のフライト、お次はパスポートの紛失? 「オレは、呪われているのか」と自分に悪態をつく。しかし、天は私を見放してはいなかったようである。パスポートは、遺失物係に届いていた。昨日の空港での忙しない行動の中で落としてしまったようだ。
 
 いずれにしても、国際線のチェックインは、2時間前、遅くとも1時間半前にはしなければならないが、成田空港に到着したのは、離陸の45分前である。普通ならチェックインできないのだが、前もってJALに電話して、事情を説明しておいたので、JAL職員(大賀さんという方だった)が、テキパキとチェックイン手続きをしてくれただけでなく、搭乗ゲートまで付き添っ
てくれた。
 お蔭で12時3分、着席。汗びっしょりだ。なんというドタバタ、何という強運だろう。こうして、三度目のトライでやっとロンドンに向けて飛び立つことができたのである。4月15日から21日までの顛末は、手帳に記してあったメモを見て、克明に思い出した。ちなみに、15日は妻の誕生日で、21日は私の誕生日だ。何かの因縁だろうか。

 

 

                                    

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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