【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑦
犬のウ〇チが街の魅力?
アムステルダム(オランダ)
おそらくオランダを紹介するガイドブックには載っていないだろう。あくまでも私の独断で選んだアムステルダムの印象的な風景を紹介したい。
アムステルダムの街を歩くと、運河に掛かる橋の上や、まるでお伽の国にあるような傾いた古い建物の陰に錆びるがまま放置された自転車がそこかしこにある。オランダの自転車は、オランダ人の体格に合わせて大きく、武骨なつくりのものが多い。一昔前に日本の米屋さんなどが使っていた運搬用の自転車のようないでたちだ。
そんな自転車が、車輪が無くなったり、捩じれたりした哀れな姿で雨曝しになっている。それらは、決して美しいものではないのだが、古い街並みに溶けこみ、まるで物語の一部のような独特の風情を醸し出す。
日本のママチャリは、機能的で素晴らしいとは思うが、アムステルダムの景色に溶けこむことはできないだろう。霧雨降りしきるアムステルダムで、うち捨てられた自転車を探し歩きながら、勝手に物語を紡ぎだして、写真に収めるのも楽しいかも知れない。
▲壊れた自転車が放置されたまま
オランダ人は、犬が大好きだ。それも大型犬が好きである。日本で人気の小型犬を目にすることはまずない。大きな体のオランダ人が大きな自転車に乗って、大きな犬を運河沿いに散歩させている姿は、なかなか絵になる。
が、彼らが通り過ぎた後には、必ず大きな忘れ物が…。それは何か。作家の開高健が「雲古」と表現していたウ〇チである。たびたびこの言葉を使わざるを得ないので困ってしまう。せっかくの格調高い文章が台無しになるので、「U」と呼ばせていただく。
アムステルダムの殆どの道は石畳で舗装されているので、Uは干からびて風に散らされるか、雨に流されて運河に消えてゆく定めだ。古い街並みと一体化した運河の景色は、なんとも抒情的で美しい。ところが、あの大量のUが流れ込んでいるかと思えば、ちょっと興醒めである。
つかの間の休日に、東京から出張してきた二人と街なかを散歩した時のことだ。私は面白半分に壊れた自転車や干からびたUの写真を撮りまくっていた。Uを撮影する私を、出張者の一人が面白がってカメラにおさめる。その二人を不思議そうな目で見つめる6人のオランダ人がいたので、彼らも構図に取り込んだ一枚を、もう一人の出張者が撮影した。
物珍しそうに見物していたオランダ人の一人が、好奇心を抑え切れなかったのだろう、怪訝な顔で私に尋ねた。
「しゃがみこんで、一体何の写真を撮っているの?」
「犬のUだよ」
「どうしてそんなものを撮るんだい?」
「オモシロイから撮っているんだ」と、私はクソ真面目な顔で答え、逆に尋ねた。「犬のUだけど、これはアムステルダムの路上風景に無くてはならないものだと思わないかい?」
「………」
「いいかい、犬のUは、美しいアムステルダムの街路の風景に変化を与えるスパイスのようなものだよ」
「オー! 今まで犬のUのことなど気に留めたこともなかった。けど、言われてみれば確かにそうかも知れないな」
他の連中も私の出まかせのジョークを真面目な顔をして聞いている。やがて唇が少し綻び、それは爆笑へと変わった。全くアホなことをしたもんだ。
▲犬のウ〇チを撮る筆者をオランダ人が訝しげに
アムステルダムの犬には、独特な地域文化とでも呼ぶべき特徴がある。犬同士もそうだが、いつも尻尾を振っているので、人間に対しても無防備なほどフレンドリーだ。精神安定剤のような薬でも与えているのだろうか。そう勘繰りたくなるほどである。
棒切れを投げて犬に取りに行かせる遊びがあるが、アムステルダムでは、運河に掛かる橋の上から棒切れを水面目掛けて投げ入れる。すると、犬がすかさずダイブしてそれを取りに行く。
犬たちは、これを飽きる事無く、何度も何度も繰り返す。飼い主がいい加減面倒になって、止めようとすると、犬たちは、「ヤダ、ヤダ、モット!」と、騒ぎ立てる。
水から上がった犬は身体をブルブル震わせて水しぶきをまき散らす。時々、通行人にも、飛沫が掛かることもあるが、それで怒った人を見たことがない。皆、笑って通り過ぎていく。
この遊びは、新緑が萌え始めるころから、枯れ葉が散り始めるころまで続く。アムステルダムならではの光景だ。水に飛び込む犬たちを見ていると、本当に嬉しそうで、なんだか羨ましくなってしまう。
オランダでは、四季を通じてよく雨が降る。大雨になることはあまりなく、降ったり、止んだり、強い風が吹いたり、ほんの一瞬眩い光が目を射たり、天気が目まぐるしく変わるのだ。
そんな気まぐれな天気を求めてわざわざオランダにやってくる人たちがいる。かつてオランダの旅行会社が、雨を見たことがない中近東の人たちに、Rain watching tour(雨を見る旅)と銘打ったツアーを売り込んで、ちょっとしたブームになったことがある。
「アムステルダムに3日間滞在して、雨が降らなかったら、旅行代金の2割か3割を払い戻す」とやったものだから大人気になった。殆ど払い戻すことはなかったらしい。それにしても、雨が観光資源になるとは……。それに気が付いた旅行会社の慧眼は、素晴らしいではないか。
▲アムステルダムの雨の絵葉書
さて、オランダの景色の楽しみ方についてお話したい。ご存じの方も多いだろうが、オランダは、その4分の1が海面より低いポルダーと呼ばれる干拓地である。ほとんどの土地が海抜200メートル以下なのだ。「世界は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった」と言われる所以である。
昔は、水車を使って低地の水を排水していたが、今では電力で動くポンプを使っているので、1週間も停電すると、オランダ全土が水没するという。やはり、オランダ人は今もオランダをつくり続けているのだ。
郊外をドライブすると、緑豊かな美しい景色が続くが、その単調さ故に直ぐ退屈してしまう。単調な景色しかないオランダではあるが、風景画の世界では確固たる地位を占めている。
画面の下から4分の1か3分の1ほどの低い位置に描かれた地平線。広い、大きな空に描かれているのは、様々な表情の雲と降り注ぐ太陽の光だ。添え物のように地平線上に描かれているのは、風車や湖面に浮かぶ帆船、農家、放牧された牛などで、主役はあくまで表情豊かな空である。
フランスやイタリアの風景画と比べてみると、オランダの風景画の特異性が際立つ。風景画家になったつもりで、オランダの実際の雲や太陽光を凝視してみると、単調な景色が色づいてくるような気がするではないか。
▲曇り空のザーンセスカンス風車村
▲大きな木靴を履いてポーズを決める(ザーンセスカンス)
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、NHK俳句通信講座講師を務める夫人と白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。