【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑧
DUKES Barのドライ・マティーニ
ロンドン(イギリス)
▲ヘンリー8世が愛人と逢瀬を重ねた場所に建てられたDUKES Hotel
ロンドンの由緒ある名店が並ぶセイント・ジェームス・ストリートを南に下り、3つ目の路地を右に曲がる。そして見落としてしまいそうな小さな路地を更に左に曲がる。その先の袋小路に、突然、赤レンガ造りのこぢんまりとしてはいるが堂々たる威厳を漂わせる建物が姿を現す。
玄関にはユニオン・ジャックがはためいている。1908年創業のDUKES LONDONだ。ビクトリア様式の瀟洒なホテルで、代々王室関係者や貴族が住んでいた。ヘンリー8世が愛人と逢瀬を重ねた場所としても知られる。ホテルの1階(英国流にいえばGround floor)にあるのが、DUKES Barだ。
この小さな、居心地の良いバーで白髪禿頭の陽気なイタリア人バーテンダー、アレッサンドロ・パラッツィが作るドライ・マティーニを求めて世界中から酒好きが集まってくる。彼が作るドライ・マティーニは、かつて、ニューヨーク・タイムスに「世界で最高のマティーニのひとつ」と絶賛されたことも。
DUKES Barには、もう一つのレジェンドがある。常連であった007の原作者イアン・フレミングが、かの有名なジェームス・ボンドに言わせたセリフだ。
Vodka martini, shaken, not stirred.
(ウオッカ・マティーニ、ステアではなく、シェイクで)
このセリフをフレミングが思いついたのが、DUKES Barだったという。しかし、DUKES Barで試すべきは、シェイクしたウオッカ・マティーニではない。アレッサンドロ流のジン・マティーニである。
アレッサンドロのマティーニのレシピとその作り方は、誰にでも真似できそうなほどシンプルだが、その味は決して誰にも真似ることはできない。バーの座り心地の良い、青い小さなソファーに腰を下ろすと、アレッサンドロが、古ぼけた木のワゴンを押してやってくる。
ワゴンの上には、フリーザーから出したばかりの美しい霜をまとったお薦めのジンの
ボトル数本と特大のカクテルグラス、それに握り拳より大きなアマルフィー産のレモンが。
DUKES Barに伝説のドライ・マティーニを求めてやってきた人にアレッサンドロがまず薦めるのは、セイクレッド・ジン (Sacred gin)だ。セイクレッドは、ロンドン北部のハイゲート (Highgate)の小さな蒸留所で作られるアルコール度数43.8度のクラフト・ジンで、軽く、ボタニカルの爽やかさが際立つ飲み口は最初の一杯にはうってつけだ。
シトラスの香りが心地よい、赤い軍服を着たキツネのラベルのジンColonel Fox (フォックス大佐)や、重厚な味わいのNo.3等もお薦めだ。
▲DUKES Barには、何種類ものジンが
アレッサンドロは、霜をまとったカクテルグラスにドライ・ベルモットを少し注ぎ入れ、目の高さに持ち上げてクルクル回すとくすんだ紅い色の絨毯に無造作に撒く。そして、ベルモットの香りが移ったグラスに、キンキンに冷えたジンを丁寧になみなみと注ぐ。アマルフィーの特大レモンにナイフを入れ、縦方向に2㎝程の幅で薄く皮を切り取り、注意深くレモンピールをグラスにかざして捩じる。ジンの表面に飛び散ったレモンピールの油分が、無数の小さな点になって浮かぶ。
仕上げに、ねじれたレモンピールでグラスのふちを、まるで呪文をかけるようになぞると、それをグラスに沈める。シンプルで、雑味のない究極のドライ・マティーニの出来上がりだ。オリーブなど余計なものは添えない。
このDUKES Barに足を運ぶのは、決まって夕食前だ。鮮烈なレモンの香りとジンの突き刺すような刺激を楽しみながら、一口すする。喉、食道、胃と冷たいジンが駆け降りる。数十秒の間をおいて、強いキックが頭にガツンと来る。至福のひと時である。
DUKES Barには、アレッサンドロの他に、若い見習いバーテンダーが3人ほどいた。ある日、アレッサンドロに挨拶をして、ソファーに腰を下ろすと、アレサンドロではなく、顔見知りの見習いバーテンダーがワゴンを押してやってきた。DUKESに来るのは、うまいドライマティーニにありつくためだけではない。アレッサンドロと冗談を言いながら、彼のパフォーマンスを楽しむためでもある。
見習いバーテンダー(名前は忘れてしまった。アンジェロとでもしておこう)は、当たり前のように、一連の儀式を始めようとした。
「オイオイ、アンジェロ、ちょっと待ってくれ。アレッサンドロを呼んで…」と言い
かけたその時、アレッサンドロが現れて、アンジェロの耳を引っ張りながら言った。
「おい、アンジェロ、お前、いったい何やってんだ! ゲストの前でマティーニを作るのは100年早い!」
「ごめんなさい!」
アンジェロは、大袈裟に身を縮めながら、退場した。アレッサンドロがゲストを楽しませるためにやった余興だった。
DUKES Barは午後3時から開いている。夕食前はいつも混んでいるが、困ったことに、予約は受け付けないのである。いくら有能な秘書Mさんをもってしても、DUKES Barの予約は無理だった。しかし、出張者や大事なお客様のアテンドは、駐在員の大切な仕事の一つである。相手の好みとスケジュールに合わせて、食前酒を飲むバー、レストランを選定し、予約しなければならないのだ。
私がDUKES Barに惚れ込み、如何に素晴らしいバーであるか吹きまくったために、DUKESに行きたいという出張者がどんどん増えていった。私は、事態打開の糸口を見つけようと頻繁にDUKESに通い、アレッサンドロと親しくなるよう努めた。
そして、ある特殊な方法に辿り着いた。アレッサンドロは自由で寛大な心を持つイタリア人であり、ここは、原理原則を尊重はするが融通無碍で知られる英国である。事前に連絡しておくと、都合よく希望の席数が空いているようになった。
▲すっかり仲良くなったアレッサンドロと
先に述べたように、DUKESのカクテルグラスは、特大である。日本のホテルで使われているグラスの倍以上、いや3倍はあるかも知れない大きさだ。大粒のグリーンオリーブをつまみに、すきっ腹に2杯飲むと、気分が高揚し、初めて会った人とでも、古い友人のように打ち解けることができる。
しかし、いくら美味いドライ・マティーニとはいえ、3杯目はお薦めしない。昔、大切なディナーの前に、3杯を飲み干して、酔っ払った挙句、大切な取引先の人のネクタイを趣味が悪いと言って締めあげた豪傑がいたと聞く。人生、総てほどほどがいいようだ、
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、NHK俳句通信講座講師を務める夫人と白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。