私が出会った「元気人」②
図々しく生きるのが元気の秘密?
山本徳造(フリー・ジャーナリスト)
香取達吉(仮名)と知り合ったのは、1986年のことである。
この年、フィリピンではピープルズパワーによるエドゥサ革命でマルコス政権が倒されたが、その取材中にたまたま知り合ったのが香取だった。それから東京にやって来るたびに杉並区高円寺の拙宅に居候するようになる。
私とフリーランスのカメラマン、通称「なべさん」こと、渡辺克己が別の取材でマニラを訪れたときも、香取がコーディネイトしてくれた。ある夜、取材を終えた私たちを下戸の香取がゴーゴーバーに案内した。私たちビールを注文したが下戸の香取はジュースをちびりちびりと口にしながら、カウンターの上で踊る女の子たちを眺めてご満悦である。ダンスを終えた女の子が香取の横に座ると、相好を崩して片言のタガログ語で冗談を飛ばす。女の子も笑い転げていた。
「こういう店には、よく来るんですか?」と私が尋ねると、
「ええ、毎晩のように来ますよ」
まるで当然であるかのような口ぶりである。
言っておくが、香取は20代でも30代でもない。当時は60歳は軽く越えていた。一度結婚に失敗した香取には、一人娘がいたが、もう30歳を過ぎている。訳があって日本を脱出し、向かった先がフィリピンだった。口が達者な彼のことだから、現地で女性を口説くのも朝飯前だったのだろう。私が知り合う数年前、マニラで40歳も年下の現地女性と結婚し、1女をもうけている。娘の名前を聞いて驚いた。なんと「プリンセス」、つまり王女と名付けたというではないか。
それから数年後、また香取が日本にやって来て、いつものように拙宅に転がり込んだ。いつも上機嫌だが、その日はとくに上機嫌だった。
「嬉しそうですね。何かあったのですか?」
「ええ、それがね、娘が生まれたんですよ」
と打ち明ける香取の顔は、喜びのあまり、炎天下のソフトクリームのように溶けてしまいそうだった。
「えーっ、また子供をつくったんですか!」
このおっさんは化け物か! 2人目をつくったとは……。うー、許せん!
そんな気持ちを必死で抑えながら、私は尋ねた。
「で、名前は? 1人目がプリンセスでしょ。こんどはクイーン(女王)だったりして、ハハハ」
そんな私の冗談に、香取は不思議そうな表情を浮かべて言った。
「えっ、なんで知ってるんですか?」
げっ、本当にクイーンと命名したというのだ。図々しいにもほどがある。
その夜、外資系化粧品会社に勤めていた妻が、部下4人を引き連れて帰宅した。揃いもそろって20代の美女たちである。香取がよだれを垂らさんばかりに興奮したのは言うまでもない。さも自分が30代のイケメンであるかのように、自信たっぷりな表情で彼女たちに電話番号を聞く香取を見て、私はつくづく思った。人間、図々しく生きたほうが勝ちだな、と。