【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㊶
学生だった頃は、6月1日になるとセーラー服から白いブラウスに、10月1日にはその逆になり、一斉に制服が変わって季節の変わり目を実感させられたものだ。時には、そのことに気付かないで登校してくる人もいたが、きっと気まずい思いをしたに違いない。「衣替え」という行事は、学校とか一部の企業などでは、今も行われているのだろうか。
テレビに出ているタレントなどは季節を早々と先取りした服装で、画面に現れるのを見かけるが、さすがに「おしゃれだなぁ」と感心する。衣替えの日程を気にするということからは遠ざかった生活をしていると、服装の決め手にするのは、一番にその日の天候や気温と、時、場所、場合、いわゆるTPOによって服装選びを考えることになる。
簡単に決められるのは、パークゴルフの時で、スポーツシャツとパンツ。寒暖で重ねるベストやジャンパーで加減をする。帽子は必需品で夏の日焼け予防にはつばが広いものを選ぶ。風の強い日もあるので飛ばされないように、帽子ストッパーも必需品だ。冬は防寒を兼ねて毛糸の帽子を重ねる。昔は雨でもプレーをしたが今は流石に中止になるので、雨具は要らない。これから向かう猛暑のときには、水分補給とともに、首周りを冷やすことを考える。極寒のときは服装だけでは無理なので、ホカロンを活用し、それなりの対応をしている。
趣味の手作り教室に行くときは必ず、過去の自作のブラウスやベストをあるいはコートを着用する。それが出来ない時でも、やはり自作のブローチなどを選んで付けて行く。この教室では最古参になってしまっているので、新人さんに少しアピールするためと、作り方を忘れてしまった反省も交錯している。
コーラスや何かの会議に行くときは、手持ちの洋服から選ぶのだが、部屋の冷暖房がされることも、考慮しなければならない。上下の服の色合わせが気に入らなくて、悩むことが度々である。このところ地球温暖化のせいか、真夏日になったかと思うと、肌寒くて重ね着をし、ひざ掛けをする日がある。冬物から夏物などの入れ替えがすっきりと出来ない。ま、単に物の整理が出来ない私の言い訳かも。
衣類だけではなく物があふれている今の時代、整理の上手な人たちは「断捨離」という言葉とともに、マスコミにも登場して話題となっている。「そうだよね」分かっているのに思い切りが悪い。こじつけのような理由がいろいろあって、プレゼントされたものとか、形見のようにして分けてもらった着物などは、簡単には処分ができない。買ったときの思い入れのあるものや「高かったのよ」とか、「あと、少し痩せたら着られる」とか、がある。
先日、私の娘ほどの年齢の人と話していたのだが、この私の言葉に「そうです! 私も」と笑いながら、「分かります、分かります!」と言われた。クローゼットには、溢れるほどの洋服があるのに、いざ、お出かけとなると、「えーっ、着るものがない!」という思いにもなる。そんなことは絶対にないのに。この話をすると、彼女はもっと大笑い。しきりに同感されてしまった。