【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑰
バクテー(肉骨茶)が喰いたい!
クアラルンプール、ペナン(マレーシア)
黒に近い茶色の汁に骨付きの豚肉が沈んでいる。食欲をそそる見た目ではない。しかし、漂ってくるこれまで嗅いだことのない漢方薬の様な複雑な匂いは、魅惑的だ。一番大きな肉と骨の塊にかぶりつく。「うまい!」
経験したことのない味なのに、何故か懐かしい様な気もする。レンゲで汁を掬い、艶のない長粒米のメシにぶっかける。これがまた「うまい!」。
次に、東南アジアではお馴染みの薬味だが、輪切りの青唐辛子(グリーンチリ)を酢と醤油に漬けた薬味と一緒に食べた。ああ、もう箸もレンゲも止まらない。
仕事でマレーシアに通い始めて間もない頃だった。確か1982年のことである。街の小汚い小さな食堂に掲げられている看板の「肉骨茶」というおどろおどろしい謎の名前がずっと気になって仕方がない。それを現地通の駐在員に話すと、翌朝、件の食堂に案内してくれた。冒頭のシーンは、食堂の屋外席で初めて肉骨茶(閩南語でバクテーと発音する)を食べた時のことである。
私を激しく感動させたバクテーは、主に福建省からマレーシアに移住してきた貧しい苦力(クーリー)が、肉をそぎ落とした豚の骨にわずかにこびりついた肉を食べる為に考案したものだと言われている。骨付き肉を漢方薬に用いる生薬、ニンニク、生姜、八角・花椒等の香辛料と共に甘い中国醤油で煮込んだものだ。
店によっては、椎茸、厚揚げ、湯葉なども一緒に煮る。その汁を白飯にぶっかけて食べるのが王道だが、油条(ヨウティアオ)と呼ばれる中国式揚げパンを浸して食べるのが好きな人もいる。ギトギトに見えてあっさり、何種類もの生薬や香辛料が渾然一体となって醸し出す強烈な旨み、癖になる甘じょっぱさには、飽きることがない。
「肉骨茶」という名前から、バクテーはお茶で煮込む料理のだと思い込んでいる人もいるようだが、脂っこい「肉骨」をさっぱりと洗い流す「茶」と一緒に食すことから、肉骨+茶で肉骨茶だと言う説もある。
▲バクテー
▲バクテーのフルセットメニュー
▲高級なバクテー
さてバクテーを食べるには、まず、お茶を選ばなければいけない。代表的なものは、脂肪を溶かす作用が強いと言われるプーアル茶、香りの良いジャスミン茶、鉄観音茶(烏龍茶の一種)等だ。
体重が増えるのが怖い私は、いつもプーアル茶を選んでいた。バクテーの汁にプーアル茶を入れると、一瞬にして白濁する。プーアル茶が、脂肪を分解して乳化するのだ。
お茶を選んだら、急須に入ったお茶と共に運ばれてくる小さな洗面器や深皿に入れられた湯飲み、箸、レンゲ、皿に熱いお茶を掛けて消毒する。最初の頃は、この儀式の様なものに戸惑った。熱いお茶で消毒せねばならないほど店が提供する食器類は清潔ではない、ということか。
食器を洗ったお茶は、無造作に床にぶちまける。だから、バクテーの店の食卓は大抵屋外にある。この風習は朝から力をつけたい肉体労働者が集まる屋台に毛の生えた様な店が多く、衛生的ではなかった時代の名残と言われているが、真偽のほどは定かではない。
骨をしゃぶった後、その骨をテーブルの空いた場所に無造作に積み上げるのが現地流だが、私はなんとなく抵抗があって、自分の皿の上に置いていた。親しくなった現地の中国系のエージェントと一緒にバクテーを食べたときのことだ。
「ミスター・フジワラ、骨をお皿の上にまとめて置くのは、あまりよくないヨ。ここの流儀ではない。口から出した食べカスをお皿の上にまとめるのは、とても汚く見えるヨ。あまり、いい気がしないヨ」
「えっ、そうなの? 日本では、食べカスを食卓の上に置くのは、マナー違反で考えられないくらいお行儀が悪いことなんだけど…」
ここまで書いて、ふと満洲開拓団のことを思い出した。満洲に移住した日本人は当然のことながら、便所を作って用を足していた。それを見ていた中国人はこう言って、呆れたという。
「糞を一カ所にまとめるなんて、日本人はなんて不潔なんだ!」
一方、日本人はどう思ったのか。便所を作らずに、家屋周辺の適当な場所で用を足す中国人を見て、
「なんと非文明的な習慣なのか」
と嘆いた。
私は、異文化を尊重する気持ちが人一倍強い方だと思ってはいたが、当時まだ20代のヒヨッコ。多分粋がって格好を付けたかったに違いない。尊重と迎合は違う。尊重は謙虚さから生まれ、迎合は卑屈さに繋がる。気をつけたいものだ。
▲食器セット。お茶で洗う。
ペナンの海岸沿いには、バクテーが美味しいと評判のレストランがいくつかあった。食事代よりタクシー代の方が高かったけど、潮風に吹かれながら食べるバクテーの誘惑には勝てるわけがない。また、仕事を終えて、マレー、インド、福建、潮州、客家、上海、広東、四川などの味を競う屋台が数十件軒を並べる屋台村に行くのも楽しみだった。
▲バクテーは屋外で食べるのが美味しい
バクテーは元々肉体労働者のパワーフードだったが、今や高級料理の仲間入りをした。その旨さ故、イスラム教徒の多いマレー系以外のあらゆる人種、階層の人達に愛されている。ペナンでは、銀行や大企業の重役達がバクテー・レストランでブレックファスト・ミーティングをやるのが流行っていた。掘っ立て小屋のようなレストランの前にメルセデスやBMWの運転手付きリムジンが並んでいる様子を想像してもらいたい。まさにシュールそのものではないか。
ああ、バクテーが喰いたい! でも、ダイジョウブ。東京には何軒か肉骨茶を供する店がある。それに「無印良品」や「カルディ」に行けば、肉骨茶の素が売られている。肉は、スーパーで売っているBBQ用の骨付きスペアリブや角煮用のバラ肉で代用できる。現地の味にはほど遠いが、バクテーの気分は味わえるのだ。この原稿を書き終えたら、早速「イオン」に行って、バクテーの素を買ってこよう。
▲肉骨茶に夢中になった頃の筆者
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。