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なぜかテレックスが懐かしい 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑯

2023-08-05 05:31:29 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑯

なぜかテレックスが懐かしい

東京(日本)

 

 

 卓上の黒電話の受話器を取ると、最初に「サーッ」とか「ザーッ」という音が耳に飛び込む。まるで海底から聞こえてくるような音である。それで国際電話だと分かった1970年代のことだ。
 国際電話は当時、まだまだダイヤルインは一般的ではなかった。国によっては、オペレーターを通してしか電話できない場合も多かったのである。もちろん、スマホもEメールもない。TELEX(テレックス)と電報が海外との主な通信手段だった。
「急ぎの短いメッセージは電報、急ぎだが長いメッセージはテレックス」
 そう使い分けていた。
 本当に急ぎでない用件なら、ごく普通に手紙でやりとりしていたのだ。今では、考えられない時間感覚である。

 テレックスとは、下の写真のような、ダイヤルのついた印刷電信機とも言うべきモノだ。テレックスの加入者間で、相手番号をダイヤルして通信する。
 接続された後はテレックスのキーボードでメッセージを入力するか、あらかじめ2~3cm幅の紙テープに文章を点字のような形で入力しておいたものを自動送信装置(紙テープリーダー)にかけて送信する。回線が繋がっていれば、今で言うチャットのような使い方をすることもできた。


▲ テレックスマシン


 当時の名刺には、FAX番号やEメールアドレスの代わりにテレックス番号が記載されていた。大きな会社では大抵テレックス室や通信室という名称のテレックス専門部門があり、多数の「キーパンチャー」が働いていたのである。海外の大規模支店や現地法人となると、テレックス専門要員が派遣されていた。
 そうそう、「タイプ室」という組織もあった。パソコンが普及し始めてからは、英文のレターや見積書は各自が作成するようになったが、当時は手書き原稿をタイプ室に持ち込んだものである。
 私が勤めていた会社を例にとると、確か5人ほどいたタイピストにIBMの大型タイプライターで打ち込んでもらっていた。恥ずかしながら、私の書く英文は、「悪筆で読みづらい!」と不評だった。
 タイピストの中に私のクセ字を判読できる人がいて、随分助けてもらったものである。テレックス室、タイプ室共に、原稿の持ち込みには締め切り時刻があって、その時刻を過ぎると原則翌日回しになってしまう。
「このレター大至急でタイプお願いします」
「もう締め切り時刻は過ぎているわよ。今日は、もうおしまい! 明日、明日!」
「そんなこと言わないで、どうかお願い。どうしても今日中に出さなければならないので」
 さて、ここからが運命の分かれ道である。
「しょうがないわね、今度だけよ!」と受け入れてもらえる人もいれば、「ダメなモノはダメ!」と冷たく門前払いをくらわせられる人もいた。
 無理が通るか通らないかは、タイピストのご機嫌の善し悪し、原稿を持ち込む人(大抵は若手男性社員)の好感度によって左右されていたようだ。Aが持っていったらダメだったが、Bが持って行ったらOKだったと言うような話をよく聞いた。
「タイピストに無理をきいてもらえないような奴は、お客様にも相手にされないぞ。タイピストをお客様と思い、修行せよ」などと先輩社員からまことしやかな顔で発破を掛けられたものだ。私はAだったのか、それともBだったのか。さあ、それは言わぬが花かも。

 


▲ IBMのタイプライターとその印字ボール


 テレックスマシンの中には、大きなトイレットペーパーのような紙のロールが格納されていて、受信するとカタカタカタという大きな音と共に原稿を吐き出す。入札情報などの長文だと紙の長さは数十メートルにもなる。
 この長い紙は、通称「ふんどし」と呼ばれ、段落をまたがぬよう注意しながら大体A4サイズに裁断し、必要枚数をコピーして最短時間で関係者に配付するのは新入社員の役目だった。
 入札準備で一人深夜残業していると、広い執務室の薄闇の中に鎮座しているテレックスマシンが突然カタカタカタと鳴り出し、椅子から飛び上がったことが何度もある。時差の関係で夜中に受信するのは、ほとんどが北米、中南米か欧州からのものだった。

 ちなみに、テレックスでは、アルファベットの大文字しか使えない。そして、通信費は送信する文章の長さによって変わる。省略できる単語はできるだけ省略するのが鉄則だ。
 日本語の場合、原則として母音(a i u e o)は削るので、英語、日本語を問わず、いきおい略語だらけの文面になる。

 例えば―
YDY=yesterday(昨日)
TMRW=tomorrow(明日)
UDSTD=understood(分かった)
ASAP=As soon as possible(なるべく速やかに)
TKS or Thx=Thanks(有難う)、
U=YOU(あなた)R=ARE(は)
DJB DESUKA?=ダイジョウブデスカ?

 地名は原則総て略称だ。
TYO=Tokyo(東京)
BGT=Bogota(ボコタ)
LA=Los Angeles(ロサンゼルス)

 また文語調で書くことも多かった。
UNA HENKOU(ウナ返乞う)
GENSHUSARETASHI(厳守されたし)
KAKUSHUSHITTEMATSU(鶴首して待つ)
YRSKYA?(よろしきや?)

 そんなテレックスだったが、1980 年代に入ると、急速に姿を消し始めた。ファックス=FAX(当初、きちんとテレファックス=TELEFAXと呼んでいた)が普及したからである。先進国の中で、未だにファックスを使い続けているのは日本ぐらいで、 IT 化の遅れの象徴として揶揄されることもあるファックスだが、それが登場したときは革命的だった。
 何しろ日本語を漢字、カタカナ、ひらがなで普通に書くことができるし、図面だって送ることができる。中国語を使う人は、日本人以上に感動していた。ご承知のとおり、中国語には、四声というのがあって、音の上げ下げで意味が全く変わってしまう。
 有名な例えに、「妈妈骂马吗?」(マーママーマーマー?) =ママが馬を叱りましたか?」がある。中国語はピンインというローマ字を使った発音記号で表すことができるが、各語の声調を付記せず単にma ma ma ma ma? と書いても全く意味が分からないのだ。その点、ファックスだと、漢字が見えるから意味も分かった。

 ま、いずれにせよ、スマホとEメールのなかった時代は海外出張中、その国の通信事情や国際電話料金が高かったせいもあり、数日、長ければ1週間ほども本社と連絡が途絶えることもあった。不便、そして不安でもあったが、ビジネスのスピードが今よりゆっくりしていた時代にあっては、悪いことばかりではなかったのではないだろうか。
 連絡できる機会が限られると言うことは、落ち着いて状況を見極め、分析する時間ができるということでもある。だから、都度都度の報告の中身は考え抜いた結果であり、密度の濃いものであったように思う。
 とは言え、今や退職した身であっても、スマホとEメールなしの生活は考えられない。それが良いことかどうかは分からないけど……。

 

 

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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