【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」㊲
先日娘から次女が車の免許を取った、というLINEが入った。大学に入っても学生寮での生活になるので、取りあえずすぐ車を乗りまわすこともないのだが。その取得にあたっての実地には、教習所ではなく母親である娘が次女の隣に乗って教えたのだという。
車の運転に関する授業は学校で教えているので、ペーパーテストはすでに終えている。16歳では免許のスクールに入ることになるが、17歳からは親、または免許保持者の同乗で、運転を実地に教わることが出来る。免許取得の費用は州によっても違いがあるらしいが、6ドルから10ドル程度だという。
日本での免許取得の費用とは雲泥の差がある。車は道路の右側通行であるアメリカ、赤信号でも右折が出来るところもある。これも州または都心部と田舎では異なるらしいが、その地での交通状態での臨機応変ぶりが感じられる。
今は日本の大学に行っている(娘の)長女も、同様にして車の免許の取得をしてきたが、全く運転はしていない。アメリカで生活するとしたら、絶対と言っていいほど、免許は必要なのだ。
我が家の隣に住んでいる息子は、子供の時から大の車好きで、小さい時のオモチャも、もっぱらミニカーばかりに夢中で、友達が怪獣などで遊んでいても見向きもしなかった。私が細い道で車のバックに苦労していると、小学校4年生になっていたが、後部座席からでもハンドルの裁きを「右」とか「左」とか、的確に教えてくれたものだ。将来は運送会社の大きな貨物自動車の運転をするのだと言ったりもしていたが……。
なのに、その息子の子供(孫)は、車には全くと言っていいほど興味を持たず、免許も要らない様子だった。高校3年を終えた時点が、免許取得の一番のチャンスなのにと、余計な心配をしたりもしていた。そんなある日「おーちゃん、あーちゃん、ほら!」と言って、取得したばかりの免許証を見せてくれた。「おーちゃん」は夫で、「あーちゃん」は私のことだ。
「へぇ~?」いつの間に教習所に通っていたのだろうか。本人は「多分、当分乗ることないけどね」と、涼しい顔だ。駅に近い所に住んでいるので、今後の学校への通学も電車に乗ることになるから、が理由だった。
その姉にあたる孫娘も、車には興味を示していなかったが、仕事をすることになった所が、電車やバスを利用するにはあまりに不便だという事で、免許を取り、車も調達して通っている。こうして令和になった今年で、我が家の息子家族、娘家族、全員が車の免許を取得していることになった。
若い家族がどんどん自分の世界を広げていく中で、その成長は喜びでもあるが、我々は老夫婦となってしまったことに、感慨深いものがある。高齢者の交通事故のニュースがやたら目に付く、今日この頃でもある。若い人たちの悲惨で重大過失の事故もあるのに、と少し腹立たしく思うこともあるが、高齢の身であれば、心して今後のことも考えねばならない。
いずれは、免許の返納も考えることになるが、徐々にその態勢にしていかねばと思っている。高齢者の問題としては、視力・体力の衰えが、まず問題であるとの見解がある。①夜間はなるべく乗らない、②遠出はしない、③悪天候の時は乗らない、④他人は乗せない――これらのことを、少しずつ実行して行こうと夫と話し合う昨今である。